キラキラした街「港区」がゴキブリやドブネズミばかりだった1970年代…底辺漫画家が振り返る「仲がよかったのが“小指のない”おじさんで」
集英社オンライン / 2024年6月8日 19時0分
東京都港区東麻布出身の漫画家・近藤令。港区の“ハイソな街”のイメージを覆す、今でも忘れられない幼少期のこと、クセが強すぎる家族との思い出とは?
【画像】幼少期のとき、お腹が減ったら親父が作ってくれた生姜焼き定食
近藤さんの幼少期を『底辺漫画家 超ヤバ実話』(青志社)より、一部抜粋、再構成してお届けする。
断末魔の声と、白いはらわた
ぼくが通った小学校は、飯倉小学校といって、歴史だけは古く明治11年の開校ということでした。名前は名門のような響きですが、第二次ベビーブーム世代だというのに、学区内に子どもが極端に少ないから、運動場も驚くほど狭い。まるで幼稚園の運動場です。その上、地面は土じゃなくてゴム。人工芝みたいにメンテナンスが簡単になるからだと思う。グラウンドは一周200mもなかったから、学年全員が集合すると、もうすし詰め状態(笑)。手を伸ばして左右に振ったら、隣の友達に触れる感じですよ。
ただ、そんな場所だから、街中には今で言う小股の切れ上がった……この言い方も古いな。キャピキャピした感じの、いかにも金持ち社長たちに気に入られそうな「港区女子」なんて姿形もありませんでした。
いるのは、新橋にいるようなくたびれたサラリーマンと、油まみれの作業服をまとった工員の人ばっかり。当時すでに、商店街は廃れていて「ど田舎」というか「田舎のシャッター商店街」という感じに成り果てていましたね。
両親はそんな東麻布の一角で小料理屋をしていました。ランチや仕出し弁当がメイン。夜はスナックのような感じで、なんでもありみたいなお店。名前は、ひらがなで「いろり」。
父方のおじいちゃんが創業したと聞くけど、本当のところはわからない。親父一代で築いたとは思えないから、創業はたぶんおじいちゃんで間違いないでしょう。
一階が店で、二階が住居。飲食店はどこもそうだと思いますが、とにかくゴキブリが多かった。深夜、寝ていると頭の上をゴキブリがササ~っと這っていく。顔を噛まれたことも何度かある。
おばあちゃんは、ゴキブリを素手でぐしゃりとつぶし、握った手から内蔵が流れ出していた。
店では親父がバカでかいどぶネズミを足で器用に踏みつぶし、「ぎゃ~っ、ギキキッッ……」と叫ぶ、どぶネズミの断末魔の声と、口から飛び出した白いはらわたが今でも忘れられない。
あんな俊敏な動物をよく足で的確に補足し、瞬時に踏み殺せるなと尊敬していた。
あと、すぐ二階が住居スペースなのに両親は、滅多にあがってこない。ゴキブリやどぶネズミがウジャウジャいるお店の座敷席に布団をしいて寝ていました。今だったら絶対に、そんな場所で寝るなんて信じられないけど、当時はゴキブリやネズミぐらい平気だったんでしょうね。よく、ネズミに顔をかじられなかったもんだ。
まぁ、そんなことより、二階にあがるのが面倒だったんでしょう。
時代を先走りすぎた父親が店に導入したもの
お店の自慢料理……って、そういうタイプの店じゃないんですよね。どっちかといえば、近隣のサラリーマンとか、工場の人がふらっと立ち寄ってなごむような場所で、なにか特別な名物料理みたいなものはなかったな。客足が途絶えなかったのは、お酒が呑めるお店がまわりに少なかったせいなのかもしれません。
料理で思い出すのは、生姜焼き定食。たまに、自室がある二階からお店へおりてくると、親父が「なんだ、腹減ってるんなら、めし食うか?」って、必ず生姜焼きをつくってくれる。
厨房の隅の方で食べるんだけど、それがかなりしょっぱいんですよ。塩っ辛い。たぶん、お酒を飲む人にとってはちょうどいいんだろうけど、子どもの口にはからくて、からくて。で、そのぶん、白いご飯が進む。そのメニューがでると、いつもご飯をおかわりしていた。
あれは、いつだったかな。ぼくが幼稚園に通っているぐらいの時に、お店にジュークボックスがきたんです。親父は特別、音楽が好きな人じゃなかったと思うけど、当時から山師みたいな商才があったんでしょうね。テーブル6つに、杉の木の一枚板のカウンターがあるようなお店にジュークボックスだから、これでピンボールでもあれば、飯倉の「ラブホテル鹿鳴館」みたいな感じですよ、喩えていえば。
当時、サザンオールスターズがデビューした頃で、お店が開店する前を見計らって、ジュークボックスの前に行っては、親父に100 円もらうんです。それでもう、何度も『勝手にシンドバッド』を聴いてましたよ。自分でも何度も何度も、まあよく飽きずに聴いたと思います。YouTube で簡単に聴ける今の時代には信じられないでしょ、一曲を聴く度にお金を払うなんてね。
それからしばらくして、今度はカラオケを導入したんです。これもまぁ、先見の明というか、時代を先走り過ぎですよ。世の中に、カラオケっていうものが浸透する遥か前ですから。当時はまだ、流しとか生演奏が主流で、70年代後半の頃まではそうでした。
カセットテープみたいな形のカートリッジにカラオケが入ってるのかな。それを本体にさし込むと、曲が流れ出すようなマシン。やっぱり、高価だったからなのか、一度も歌わせてもらえなかったですね。
このカラオケで思い出に残っているのは、二階の部屋でぼくらが寝てると、酔っ払ったおじさんのがなり声が響いてくるんです。これにもう、腹がたってね(笑)。ビートルズやローリング・ストーンズならいいけど、結局、殿さまキングスとかぴんから兄弟でしょ。
こども心に「『女の操』ってなんだろう?」って好奇心が収まらず、「お母さん、みさおってなに?」って、母親に聞いたりしてね。
母親も機転のきく人だから、「いさお伯父さんの下に、フィリピンで戦死したみさお伯父さんっていう帝大に通ってた頭のいい子がいてね……」とか言って涙ぐむんですよ(笑)。
で、歳の離れたいさお伯父さんも初めて聞いたけど、母親には「みさお伯父さん」っていう帝大の秀才もいて、学徒出陣でフィリピンで戦死したっていう話はかなり後まで信じていましたよ(笑)。
カチコミ、恋愛相談、絵を描く面白さを教えてくれた女性
基本的には、5人家族だったんですが、家にはどういうわけか、頻繁に親父の妹の綾子叔母ちゃんが寝泊まりしていました。はっきりとした理由はわからないけど、もしかすると、旦那さんと喧嘩をしたり、なにかお金に困ったりすると、うちの家に来ていたのかもしれません。
この叔母ちゃんは、もともと、子どもがいない家庭だったから、ぼくのことを自分の子どものように可愛がってくれました。とにかく世話焼きでおしゃべりで、小津安二郎の映画によく出てくる杉村春子みたいな感じの人。これ、あんまりわかんないかな。まぁ、温かい感じがする人でした。
ぼくが野球のボールを目に当てられてあざをつくって帰って来たり、自転車を小学校の上級生に借り逃げされた時なんかは、真っ先にぼくを連れてカチコミ、これはちょっと特殊な用語ですね(笑)、今流に言えば、きついクレームをつけに行ってくれた人でもあります。
親族で、唯一恋の悩みを真剣に相談できる、頼り甲斐のある女性でした。
絵を描く面白さを教えてくれたのも叔母さんで、絵画教室に通ってちゃんと学んだこともあるらしく、絵が滅法うまかった。それで、当時好きだった鉄人28号とかアトムとか、そういう漫画をたくさん描いてもらっていました。そのうまい絵を部屋中に飾って眺めたりするのも楽しかった思い出です。
残念ながら、綾子叔母ちゃんは、ぼくが30歳の時、若くして病気で早逝しましたが……。
ひょうきんでキュートな叔父の正体
もうひとり、うちの家族と仲が良かったのが、母の弟のよしあき叔父ちゃんです。顔は長渕剛に似てたかなぁ。小指が無いので、ぼくが「どうして指がないの?」と聞くと、ニヤッと笑って、逆手の小指を使い「ほら手品」って指をくっつけたり離したりしていました。ひょうきんなところがとってもキュートでした。
指の本数が少なかったので、「バルタン星人」と近所の子どもから呼ばれていましたね。でも、天衣無縫な人だったので、そんなふうにからかわれても、無邪気に笑うだけなんです。
ぼくには優しくて、お年玉なんかもびっくりするくらいくれる。彼がヤクザだって知ったのは大分後になってからで……。父親が借金をつくった時に「お前のとこのガキをさらうぞ」って、筋の悪い借金取りから脅しがあったときには、叔父ちゃんに相談し、ぼくの護衛になってもらったらしい。
もちろん、叔父ちゃん本人じゃなくて、若い衆ですよ。当時ぼくは何も知らなかったけれど、登下校の際、遠くの方でギラギラした感じのヤクザが護衛をしてたなんて……そっちの方がはるかに怪しい(笑)。
そんな、叔父ちゃんには、ぼくより5つくらい年下のN 君という息子がいました。人懐っこい感じで、くりくりした目が印象的で、童顔というんでしょうか。まさか、この子の親父がヤクザだなんて教えられないとわからない感じ。
当時はあまりそうした話をしなかったけれど、大人になってからヤクザを親に持つ苦労話をよく聞きました。やはり親父がヤクザだと、色々な経験をするらしい。
例えば、ベンツで首都高速を走っていた時に、トラックにあおられたことがあるそうです。
普通の人なら相手にしないが、そこは、ヤクザのよしあき叔父さん。首都高のど真ん中だというのに、ベンツを斜めに停めて、トラックを停車させる。その後、なぜかトランクに常備していた木刀を取り出し、トラックのドアを軽くノック。相手も根性の入った運ちゃんだから、勢いで窓を開けた途端、顔面に木刀を連打させたという。
その光景を見たN君は、「今日もまた長い1日になりそうだ」と、思ったそう(笑)。
そんな凄惨な光景を見て、冷静にそう思えるところが、さすがヤクザの息子です。
文/近藤令
〈底辺漫画家がアシスタント時代に気がついた“業界に残り続ける人”の共通点とは 「漫画がずっと好きな人はあんまり残れない」〉へ続く
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