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かつて野中広務が田原総一朗に渡そうとした裏金の額とは?「いいお茶を渡したい」喫茶店で渡された紙袋の中には100万円の封筒がひとつ、ふたつ…

集英社オンライン / 2024年6月26日 8時0分

最高齢にして最前線にいる稀代のジャーナリスト、田原総一朗氏。その半生を振り返った書籍『全身ジャーナリスト』より一部抜粋・再構成し、野中広務と田中角栄から渡された裏金について、当時の逸話を明らかにする。

【画像】田中角栄がこよなく愛したウィスキーとは?

権力と金の誘惑、そしてタブーへの挑戦

僕はこの本を極めてアクチュアルな「遺言」のつもりで語り下ろしている。こういう本にありがちな構成を裏切るように、まずライフワークとして追いかけている政策テーマについて、長々と述べたのは、その切迫感からだ。

二つ目に言い残したいことは、ジャーナリストの取材姿勢についてだ。

自由な言論を司るジャーナリズムは、批判力こそがその精髄だ。僕らは、誰に対しても、何に対しても、常に自由に批判できるようにしておかなければならない。



批判の矛先は権力に向けられることが多い。ということは、権力から身分と金を受け取ってはならないということになる。

田中角栄から差し出された厚さ1センチの封筒 

僕はジャーナリストだけど、名刺には肩書きが一切ない。名前と連絡先だけだ。僕が好きなことを言えるのは、肩書きがないからだ。つまり、どこにも属してないので、気を遣う必要がない。

権力側の、ジャーナリストを取り込んでやろうという露骨な狙いには絶対に乗らないことだ。その一つは、政府の審議会委員というポストの提供だ。

政府は、官邸から各省庁まで数多の審議会なるものを擁していて、ジャーナリストも、メディア枠のなかで委員就任を求められることがままある。

僕もこれまで数知れず頼まれたが、すべて断った。確かに役所から情報を取れるかもしれない。だが、資料が与えられ、役所の意向に沿って報告書や答申を作るというお役所の延長のような仕事は、ジャーナリストがやることではないと思っている。

難しいのはお金だ。お金をもらうと書くべきことも書けなくなる。もちろん、原稿を書いたり、講演をしたり、司会をしたりすることに対する対価としての報酬はちゃんと受け取る。

問題は、政治の世界にはそうではない種類のお金が存在することだ。政治家が、記者なりジャーナリストなりを籠絡するために、大金を配ることがあるのだ。

他の人のことは知る由もないが、僕の体験を話しておこう。何かの役には立つかもしれない。

僕がライター時代の1980年のことだ。『文藝春秋』で田中角栄をインタビューすることになった。田中角栄は1976年にロッキード事件で逮捕、起訴されてからは、どこの取材にも一切応じていなかっただけに、このインタビューは特ダネとして注目を集めた。

なぜ、僕にその役目が回ってきたかと言うと、僕が『中央公論』に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」という論考を書いたからだ。

「田中角栄大悪人論」だけが吹き荒れる世論に対して、ロッキード事件とは、日本の自立を構想した田中に対する米国側の謀略ではないかということを仮説として提示した。

この論考はいまでは田中評価の先鞭を付けるものとみなされているようだが、当時、僕はこの視点を、かつて共産党の幹部でその後、国際情勢分析で名を馳せた山川暁夫から学んだ。

最近、ジェレミー・ウールズィーというハーバード大学の東アジア研究科の研究者が訪ねてきて、田中角栄をめぐる当時の山川と僕の論考を読み比べたりしていることを知り、驚かされた。

彼は『中央公論』2023年6月号に「忘れられたジャーナリスト山川暁夫と『現代の眼』」という論考を発表している。

明日から永田町を取材できなくなるぞ

話を元に戻すが、田中側は僕の論考を読んでよしとしたのだろう。

インタビューで田中は、5時間、語りに語った。オールドパーを飲み、タオルで汗をぬぐいながら滔々と話した。そこまではよかった。問題はその後だ。

インタビュー終了後、田中が僕に封筒を差し出した。厚さ1センチくらい、たぶん100万円だろう。予測もしていたし、受け取るつもりは毛頭ない。だが、5時間も語り尽くしてくれた田中に対し、即、封筒を突き返すのは大人げない。

いったんは受け取った。が、その足で平河町の田中事務所へ駆け込み、インタビューを仲介してくれた第一秘書の早坂茂三に返却交渉することにした。

「返したい。受け取ってくれ」

早坂に言うと、早坂は、

「こんなの返したらおやじが怒るよ。明日から永田町を取材できなくなるぞ」

と脅してくる。しかし、こちらもこの点は譲れない。

「こんなの受け取ったら僕はジャーナリストとして失格になる」

永田町どころではなく、どこでも取材できなくなるという本音だった。

30分以上綱引きし、最後、僕は早坂に土下座までした。

早坂は最後まで納得しなかったが、僕はとにかく拝むようにして封筒を置いてきた。

2日後に早坂から電話がかかってきて、意外そうな声でこう言った。

「田原君、おやじが返却をオーケーしたよ」

僕はほっとした。田中角栄がこれに怒って僕に「×」マークを付けていたら、その後の僕は永田町で取材しづらくなったのではないかと思う。

田中から金を渡されて断ったジャーナリストが何人いるか僕は知らない。少なくとも僕との間では、これがきっかけになって胸襟を開くことができたと感じている。

ジャーナリストとして、田中に試されたのかもしれないとも思う。

野中広務からの1000万円

内閣官房機密費(報償費)の話もしておこう。

官房機密費とは、「内閣官房の行う事務を円滑かつ効果的に遂行するために、当面の任務と状況に応じて機動的に使用する経費」だが、一言で言うと、時の政権が政局運営、政策推進のために使う闇金、工作費である。

予算計上は毎年14億6000万円だが、一時はそれでも足りないとして、55億円といわれた外務省の外交機密費のうち20億円を毎年、官邸に還流させていたこともあったといわれる。

使途は、「調査情報対策費」「活動関係費」「政策推進費」にわかれるが、国会議員の外遊時の餞別や、野党工作、メディア対策にも充てられる。

もちろん、首相番記者とか、大手新聞社の記者にはそんな露骨なことはしないだろうが、裏情報に通じたフリーの記者とか、影響力のある政治評論家らには定期的に配られていたという。

僕も影響力のある政治評論家の一人と認められたのか、このお金が届けられたことがあった。関係者がもうすでに亡くなっているので、1ケースを明らかにしたい。

2000年4月の小渕恵三政権末期だった。自自公連立から小沢一郎の自由党が抜けるかどうか、連立離脱政局があった時だ。小渕、小沢の会談が決裂して、自由党の連立離脱が決まり、一方で、小沢自由党も二つに割れ、二階俊博のグループが連立に残ることになる。

小渕もただでは小沢の離脱を認めない、という鬼気迫る政局だった。小渕はあまりにその戦いに傾注した結果体調を崩し、小沢との会談の後に脳梗塞で倒れた。

野中広務から僕に連絡があったのは、小渕が緊急入院したすぐあとだった。野中は当時、自民党幹事長代理で、その半年前までは官房長官を務めていた。

野中から、「田原さん、いいお茶を渡したい」との電話があり、「部屋を取ってくれ」と言う。お茶をもらうのに部屋を取ることもなかろう、どうもおかしいと思い、「喫茶店で結構です」と答えた。

着物を着た女性が約束の場所に現れ、紙袋を僕に渡した。僕はその重さから判断して、「お金なら返さなきゃならない」と押し問答したが、女性が「絶対違います」と言うので受け取った。

女性が帰った後、紙袋をトイレで確認するとやはりお金が入っていた。100万円の封筒が10個、計1000万円。これはいかんと女性を捜したが、すでに帰った後。1000万円だけが手元に残った。

申し訳ないけど受け取れません

田中のケースと同様、すぐに返さなければと人を介して返す方法を探したが、適当な人が見当たらない。これは本人に直接返すしかないと腹を固め、野中の地元・京都に飛んだ。

電話を入れて野中の事務所に赴き、選挙関連で本人が不在のところに、「申し訳ないけど受け取れません」とメモと紙袋を置いてきた。

その後、野中とはこの問題について、一切やりとりしなかった。互いに一件落着のつもりだった。ところが、10年後の2010年4月、野中がテレビのインタビューで、官房機密費の話を明かしていた。

官房長官時代の話として、「言論活動で立派な評論をしている人たちのところに、盆暮れ500万円ずつ届けることのむなしさ」があったと暴露、僕が受け取りを拒否したことにもきちんと触れてくれていた。

率直に言って、これは助かったと思った。僕が受け取らなかったと言っても、そもそも密室での話であり、それを証明するものは何もなかったからだ。出した当人に言ってもらえればそれに勝るものはない。

田中からも野中からも金は受け取らなかったということが、その後の僕のジャーナリスト人生にどれだけ役立ったか。

まず、相手がお金で籠絡しようとしてこなくなる。この人には無理だということが業界内で知れわたる効果がある。そうなると、誠心誠意、本音で取材の受け答えをするしかなくなってくる。それがまた僕の狙いでもあった。

ジャーナリストは、政治との関係にかかわらず、お金の問題は常に身ぎれいにしておくことが肝心だと思っている。


イラスト・写真/shutterstock

全身ジャーナリスト (集英社新書)

田原総一郎
全身ジャーナリスト (集英社新書)
2024/4/17
1,210円(税込)
336ページ
ISBN: 978-4087213102

90歳の〈モンスター〉が「遺言」として語り下ろす。「朝生」で死にたい! なぜ僕は暴走するのか?

最高齢にして最前線にいる稀代のジャーナリスト、田原総一朗。長寿番組『朝まで生テレビ!』での言動は毎度注目され、世代を問わずバズることもしばしば。

「モンスター」と呼ばれながらも、毎日のように政治家を直撃し、若者と議論する。そんな舌鋒の衰えないスーパー老人が世に問う遺言的オーラルヒストリー。

その貪欲すぎる「知りたい、聞きたい、伝えたい」魂はどこからくるのか。いまだから明かせる、あの政治事件の真相、重要人物の素顔、社会問題の裏側、マスコミの課題を、自身の激動の半生とともに語り尽くす。

これからの日本のあり方を見据えるうえでも欠かせない一冊!

原一男、佐高信、猪瀬直樹、高野孟、辻元清美、長野智子らが、田原の知られざる横顔を証言するコラムも収録。

【目次】
序 章 僕はなぜジャーナリズムを疾走するのか
第1章 非戦の流儀
第2章 ジャーナリストの心得
第3章 反骨の証明
第4章 不条理の世界に対峙する
第5章 映像の過激派
第6章 テレビと民主主義
第7章 原発と電通
第8章 田中角栄が踏んだ「虎の尾」
第9章 「モンスター」の誕生と転落
第10章 首相への直言秘話
終 章 混沌を生きる方法

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