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「“わからない”を小説で問う」木下昌輝×朝井まかて『愚道一休』

集英社オンライン / 2024年6月20日 11時0分

風狂に生きた室町時代の破戒僧・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)。

【関連書籍】『愚道一休』

禅の道を究めんとした男の生涯に真っ向から挑んだ、木下昌輝さんの『愚道一休』がついに刊行された。



風狂に生きた室町時代の破戒僧・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)。
禅の道を究めんとした男の生涯に真っ向から挑んだ、木下昌輝さんの『愚道一休』がついに刊行されました。
今回は、大阪文学学校 (文校)の先輩でもある歴史小説の名手、朝井まかてさんをお迎えして、約十年ぶりの対談が実現!
文校伝統の「合評」で、互いの創作論をぶつけ合うなど、関西弁で繰り広げられるお二人の軽快なトークをご堪能あれ。

聞き手・構成/細谷正充 撮影/香西ジュン

一休宗純を書く

――まず木下さんにお伺いしますが、なぜ一休を書こうと思われたのでしょうか。

木下 以前、「小説すばる」で書かせてもらったのが、天才絵師・絵金(えきん)(弘瀬金蔵(ひろせきんぞう))を主人公にした『絵金、闇を塗る』でした。次の作品も絵金みたいなアバンギャルドで芸術家のような人がいいかなと考えて、思いついたのが一休。彼の生き方はアーティストと言ってもいいんじゃないかと。それで一休を書きたいですって言ったのが始まりですね。
朝井 木下君は、もともと一休に関心があったの?
木下 実はあまりなかったですね。アニメの『一休さん』は見てましたが、晩年に森侍者(しんじしゃ)という女性と好(い)い仲になった程度のことしか知らなかった。そこから調べてみたんですけど、これがなかなかよくわからない。『狂雲集(きょううんしゅう)』という一休の漢詩集があるんですけど、そこに載ってるのは、“エロ詩吟”みたいなものすごく卑猥(ひわい)なものやったり、養叟(ようそう)(一休の兄弟子)のことを放送禁止用語でめちゃくちゃに貶(おとし)めてたりする詩。いろいろ取材にも行かせてもらったんですけど、その中で堺(さかい)の学芸員の先生が、一休と養叟は漫才師と同じ、西川きよしと横山やすしみたいなもんなんやって言わはって。
朝井 “やすきよ”!
 

木下 そう、仲は悪いけど笑わせるっていう方向性は同じやからと。
朝井 うまいこと言わはるね。
木下 当時の禅は腐っとったから、一休も養叟もそれをなんとか糺(ただ)そうとした。仲は悪いけど目指してる道は同じやったんやって言われて、これを芯にして書いたらいいんやなと思ったんです。
朝井 なるほど。でも、一休のアーティストとしての一面から入ったというのは意外でした。
木下 一休を知るうえで、詩は一番とっつきやすかったので。だけど、公案(こうあん)(修行のために老師から与えられる問題)の意味が全然わからなかったんですよね。両手を打ち合わせたら音がするけど、片手やとどんな音がするか(「隻手音声(せきしゅおんじょう)」)とか、全然意味がわからん。でも、わからないことを題材にしたほうが面白いというのもあるじゃないですか。なんでこの人、こんなことしたんかなとか。
 

朝井 おっしゃるとおり、わからないから書くことで迫りたいんですよね。私は木下君が一休を書くって聞いたときに、うわ、すごいところに入っていくんやなと驚いたんです。でも、アーティストの面から入ったと聞いて、なるほどと思いました。私は一休っていうと、まず臨済禅を思い浮かべるから。
木下 そうなんですか。僕は一休が禅の人っていうイメージが最初はあんまりなかったですね。

禅と創作

朝井 大阪では珍しいんですけど、うちは実家が臨済宗なんです。妙心寺(みょうしんじ)派。そやから親しみはあるけど、文章で禅に取り組むには一生でも足りへんと思って、よう近づかんかったわけです。だから、木下君、すごい肝玉してるなと思って、どんな小説になるのかめっちゃ楽しみにしてました。
木下 そうだったんですね。ご実家が臨済宗ということは、お葬式とかも?
朝井 ええ。しかも夫の実家は曹洞宗。だから、いろんな宗派のお葬式に行くとですね、今日のお坊さんのお経よかったなとか、今日のはまだ声が練れてないとかを批評し合う、ヤな夫婦(笑)。でも現代のラップにしたって、お経の遺伝子もあるよね。いかに伝えるか、耳に馴染んでもらうか、口に出してもらうか。すると当然、演者の巧拙も出てくる。
木下 うちの妻がお寺の娘なんですけど、歌がうまいんですよ。喉がいい。
朝井 お経で喉を鍛えられてるんやねえ。
 

木下 お経をひたすら読んでると、トランス状態になるとか言うじゃないですか。お経じゃないですけど、東大寺のお水取り(修二会(しゅにえ))とか、諷誦文(ふじゅもん)という儀式があって、闇の中、祈願をひたすら呪文のように唱えるんですけど、そういうのを見てるとトランス状態みたいになるって言う人もいますね。
朝井 『愚道一休』にも出てきますよね。トランス状態よりもさらに進んでしまった「禅病(ぜんびょう)」が、すごくリアルに描かれてる。
木下 取材させてもらった臨済宗のお坊さんも、同期の人が精神的に追い詰められて亡くなったとおっしゃってました。『敵の名は、宮本武蔵』を書いたときに、妙心寺の塔頭(たっちゅう)を取材させてもらったんですけど、禅をなめないでください、私らは命懸けでやってるんですと言われたこともあります。
朝井 修行で籠もって下界に下りたら世界の色が違って見えたと、私も聞いたことがあります。
 

木下 すごいですよね。だって、武蔵が命懸けで試合するのはまだわかるじゃないですか。自分の技術と相手との駆け引き次第で死ぬことはないかもしれない。でも、臘八接心(ろうはつせっしん)(不眠不休で七日七晩坐禅を組む)なんかは、駆け引きとかじゃないじゃないですか。
朝井 倒すべき相手がいる場合は、斬って捨てたらそこで終わる。けど、己自身と向き合う闘いは果てがない。この『愚道一休』の“愚道”は、まさに私たちにとっての創作の道にも通じますよね。
木下 そうかもしれないですね。
朝井 途中にいっぱい落とし穴があって、突き詰めたら、それこそ禅病みたいになったりする。命を落としてきた作家も実際にたくさんいるわけで。だから小説の道と重なって、身につまされました。
 あと、この小説の書き方で感じたのは、技巧に凝ったり構造を複雑にしてないこと。木下君はさっき、“わからん”から入っていったって言うてたけど、ああ、なるほどなと思った。理解しがたい、正解のないことを一所懸命悩みながら書いていってるから、一休の人生が時系列で書かれてるんやね。その、真っ向勝負の挑み方がよかった。技巧や構造に頼ってないから、一休という人間がそのときどきに切実なる苦悩を抱えて、それこそ自殺未遂をしたりもして、でもそうしながらも生きていく姿が真っすぐに書かれてる。つまり禅でいう修行ってそういうことなんでしょうね。いかなるときでも平気で生きるということ。まさにその愚かなる道が、この作品には書かれてあった。
木下 ありがとうございます。たしかに言われたらそうですね。一章で取り上げた「趙州無字(じょうしゅうむじ)」(犬に仏性(ぶっしょう)があるかないかという公案)も、どういうことなんやろうと考えながら、自分が思いついたことをそのまま書いたし。僕、執筆の途中から、箕面(みのお)の妙心寺派のお寺で作務(さむ)をさせてもらったり、坐禅を組ませてもらったんです。今も続けてるんですけど、それでちょっとだけ禅のことがわかっていったかもしれないです。
朝井 なぜって問いながら書く状態、同じ書き手としてよくわかる。
 

――なぜって引っかかるところがないと、題材として取り上げる気にならない?

朝井 そうですね。謎や引っかかりがあればこそ腕まくりをします。木下君はどうですか。
木下 僕もそうかもしれないですね。わからんまま書いて、最後にわかって冒頭を直したりもする。
朝井 一緒やわ。でもなんか、書いてる途中に、あっ! て思う瞬間があるでしょう。その一瞬があるから、こんなしんどいことでもやめられへん。やっぱり好きなんやね、書くことが。
木下 僕はあんまり、その一瞬はないんです。『絵金』も書いてる最中は絵金という人間が全然わからんかった。でも書き終わって何年かした後、しまった、これ書いといたらよかったみたいな、ふとした瞬間に見えてなかったものが見えるようになることはありますけど。
朝井 わかります。書き手にはそのときそのときの心の尺がある。執筆のキャリアだけじゃなくて、ちょっとずつでも人生を重ねているわけで、解釈、表現法も全然違ってくる。昨日と今日とでも違う。だから私、あまり自分の過去の作品を読み返せない。時間が経ってるものは、逆にちょっと愛おしかったりもしますけどね。

小説の技法と方言

――木下さんは今まで、わりと技巧的な書き方をされてきたじゃないですか。『敵の名は、宮本武蔵』なら、敵の視点という搦め手(からめて)で宮本武蔵を書くといったように。先ほど、朝井さんも指摘されていましたが、今回はそういう技巧を捨てられたのかなと思いました。

朝井 得意なことを封印して挑んだんでしょう。武器を手放すって、なかなかできませんよね。怖いもの。でも徒手空拳で臨んだから小説が身体的になり、肉声を持ち、おのずと禅の修行になっている。技巧で観念を書こうと思ったら、木下君ならきっと書ける。それをしなかったのは潔いなと思いました。こんなに邪心だらけの男が(笑)。
木下 誰が邪心だらけですか(笑)。でも、おっしゃるように最初は『敵の名は、宮本武蔵』みたいな構造にしようと思ってたんです。正直、それをしたら楽じゃないですか。一休という存在がわからないということを、そのまま書けるから。
朝井 周りの視点で書くと、一休本人の心情も伝聞になるもんね。掘り下げに限界が出る。
木下 けど、それはやめたほうがいいんじゃないかと編集者に言われた。コロナがあって取材も思うようにできなくて、逃げ道をふさがれて仕方なく正面から取り組んだようなところはありますね。
 

朝井 逃げ道をふさがれてよかったよ。禅を中心に据えるという時点で、単純に敵や味方という配置は使えないわけじゃないですか。けど、木下君の筆ってもともと策略家とか、ただ者ではない邪悪な人間を書かせたら絶品なわけで。だから赤松越後守(あかまつえちごのかみ)や山名宗全(やまなそうぜん)、養叟との信頼関係や相克の描き方も冴(さ)えてました。でも小説の魂は、一休自身の視点で書いたことで生まれた。彼が愚直に生きた道を木下君も共に生きたよね。だから読み応えがあったし、本人は仕方なくとか言うてますけど、作家としての充実にふさわしい題材を選ばはってんなあと思います。……しまった、ちょっと褒めすぎ?
木下 ええんですよぉ、正直に言うてもらって!
朝井 実は私、ゲラが届いてわりとすぐに読んだんです。対談までだいぶ間が空いてしまったから昨日改めて読み返して、気になるところに付箋を貼ってきた。
木下 え、怖っ! めちゃくちゃいっぱい貼ってあるじゃないですか! ちょっと合評してくださいよ。文校時代を思い出して。
 

朝井 ほな、いきます。まず、このプロローグは美しいと思いました。
木下 ありがとうございます。
朝井 後で付け足しましたか。
木下 後です。
朝井 やっぱり。
木下 いいじゃないですか別に、いつ書こうが。
朝井 そうよ。これは全部書き終えて、何かをつかんだ後でないと書かれへんプロローグやなと思ったの。
木下 まさにそうです。
朝井 あと、「師兄(すひん)」とか唐の音もちゃんと入れてあるのがよかった。でも、セリフに時代性や地域性、役割性が出てきてないのはちょっと残念でした。
木下 なるほど、京都弁とかですか?
朝井 公家言葉とか。あと、堺には堺弁があるじゃないですか。木下君、関西人やから書こうと思たらできたんとちゃうの。
木下 当時の関西弁って、わからないじゃないですか。
朝井 わからへんでしょうよ。だから、それを作るんでしょうよ。
 

木下 僕、あんまりそれはしたくないんですよね。江戸時代とかやったらいいんですよ。船場(せんば)言葉とかありますもんね。でも一休が生きた時代って、ほんまに今みたいな関西弁しゃべってたんかなっていう疑問があって。僕は京都弁とかも、戦国時代より前ではあんまり使いたくないんですよね。
朝井 なるほどね。自分で考えて作りたくもない?
木下 なんか作りたくないんですよね。
朝井 そこは人それぞれなんで、これ以上は追い込みませんけど。でも、池波正太郎さんの戦国物で三河弁が出てくるんやけど、すごくチャーミングで好きですけどね。
木下 三河弁はいいですよね。尾張弁をしゃべってる織田信長とかもかっこいいなと思います。
朝井 そやろ? よろしければ今後の作品でご検討いただけましたら幸いでございます。
木下 はい、ちょっと検討するようにいたします(笑)。
 

――一方で朝井さんの作品には、多彩な方言が入っていますよね。

朝井 それはもう、ほんまに好きでやってます。私自身、心の中では「いけねえ!」じゃなくて「あかん!」と叫んでるわけで、言葉と感情のつながりはスルーし難いんですよね。あとは、昔より方言が嫌われなくなったのもありますね。

――津本陽さんの『下天は夢か』で、織田信長が「みゃあみゃあ」しゃべってから受け入れられるようになったと思います。

朝井 私、大学生のときに読んで感動したんですよ。人間が生き生きと感じられて。
木下 大阪弁でいう「いとさん」みたいなのを入れるのは面白いかなとは、ちょっと思いますね。でも京都なんかやと、それこそ花街の言葉とか、職業によって違ってきたりするじゃないですか。凝りだすとすごい沼にならないですか。はまったら抜けられないというか。これは読者に通じひんやろっていう言葉もあるし。
朝井 方言には時代と環境、生活と人格が籠もってるもんねえ。だから私は自分で水底を作るの。これ以上は沼らないという底。正確さだけにこだわったら一生かかるし、音をそのまま文字化しても小説言語としては成立しない。だからかっこ付きで説明入れなあかんくらいやったら、使わない。あ、でも翻訳もののようにルビで多重音声はやってみたいかな。やるかも。

作家の死生観と作品の現代性

――ところで朝井さんの小説は、主人公の死で終わるという形をほとんどとらないですよね。老いるんだけど、死ぬまではいかない。

朝井 そういえば……そうかも(笑)。べつに主義があるわけではないんです。主人公が死ぬ瞬間を書こうとしたら、言葉では紡げない部分がありますよね。それをどう紡ぐかに、まだ挑戦してないだけですね。いずれ挑戦します!
木下 まかてさんは、死についてどう考えてるんですか。僕は、ちょっと「救い」みたいにも思ってるんですけど。
朝井 私もそう思う。だから、木下君の『人魚ノ肉』の書評でもそう書いた。死は救いでもある、って。
木下 僕は死を書くのが大好きなんです。そこってファンタジーじゃないですか。死ぬ瞬間を経験した人に話は聞かれへん。経験した人はみんな死んでもうてるんで。僕、幼稚園の頃、起きてるときと寝てるときの境目を必死に記憶しようとしてたことがあったんです。けど、起きたら覚えてないっていうのが、すごいもどかしくて。それは生と死の境目とも似てるんかなとか思ってた。
朝井 見直したわ、幼稚園の頃のあなたを。
木下 幼稚園の頃は仏性を身に付けてたんで。
 

朝井 人間は仏性を持って生まれてくるんよね、きっと。で、少しずつ失われていく。
木下 どんどんわからなくなっていくんですよね、みんな。
朝井 でも私は、老いて、いろんな罪をいっぱい犯して、周りにも嫌われて、という人間が大好き。曲亭馬琴(きょくていばきん)のような人も、周りにとったら、ほんま迷惑やけど、書く分には楽しいてしかたない。
木下 『秘密の花園』の馬琴もそうですけど、まかてさんって老醜をコミカルに書くのが本当にうまいですよね。
朝井 そう? 自覚ないけど。
木下 嫌なところを前面に出して書くこともできるけど、あえてユーモアでまぶすというか、フィルターをかけるというか?
 

朝井 いや、そういうことはしない。嫌らしいものは嫌らしい、罪は罪。けど、なんかそんなところも可笑(おか)しいやん。無様さも。そやから、筆先に可笑しさが浸潤してくるのよ。その感覚だけは自覚がある。
木下 『朝星夜星』にしても『ボタニカ』にしても、書かれてる男の人は煩悩だらけ。現代の観点からしたら人間的にあかんことばっかりしてますよね。
朝井 ほんまに、どの人もこの人もやらかすねん。でも書こうと決めたら、非道徳的な面にも踏み込みます。業(ごう)や煩悩こそ、書き甲斐があるもんね。
 

――歴史小説といっても書いてる作家は現代の人で、読んでる読者も現代の人なので、現代性というものからは切り離せないと思うのですが、そのあたりはどう思われますか。

朝井 現代人である作家が書いていて、読者も現代人ですから、現代性はその響き合いで十分かなと思っています。現代に投げかけようと意識すると、たくらんだ感じになってしまうといいましょうか。過去の、ある個人の物語であればこそ、時代を貫ける。ただ、まさに現代が抱える闇や苦悩を歴史に見るときがあって、背筋が震える瞬間はあります。

二人の関係

――お二人は大阪文学学校のご出身ですが、木下さんが通われたきっかけを教えてください。

木下 ライターの仕事が少なくなってきたんで小説を書こうと思って。そのときたまたま大阪文学学校の広告を見て、当時の職場から近かったんで行ってみたら、田辺聖子さんと同期の人がチューターをやってたんです。その人が、僕が提出した作品を読んで、「君は直木賞を獲(と)れる」って言ってくれた。それでちょっと天狗(てんぐ)になりました(笑)。
朝井 文校はそれまで、芥川賞作家しか輩出してなかったもんね。
木下 それが「タイトルさん」っていう、テレビのテロップを手書きで作る職人の話でした。新人賞に出したら二次までいって、その次に書いた「宇喜多の捨て嫁」で受賞できたんです。
 

朝井 「タイトルさん」は何時代の話?
木下 昭和ですね。
朝井 木下君は、昭和は書けへんの?
木下 書きたいですけどね。
朝井 昭和、今朝も書いてきたけど面白いよ。

――そろそろ昭和も歴史小説の範疇(はんちゅう)に入ってくるかなという気がしますよね。さて、お二人が対談をされるのは約十年ぶりとのことですが、久しぶりにお話ししてみていかがでしたか。

木下 十年前は公開イベントでお客さんがいたんですけど、いつもはスベるようなところが、まかてさんのおかげでめっちゃウケた記憶があります。
朝井 たまには役に立つ。
木下 あのときはまだデビューして二年目ぐらいで、自分のことでいっぱいいっぱいやったから、またいつかまかてさんとやれたらいいなと思ってたんです。今回、久しぶりにまかてさんと小説の話をさせてもらって、僕ももっと頑張らなあかんなって思いましたね。
朝井 あら、そんな殊勝なことを。お珍しいではございません? 十年前は切れっ切れやったのに。
 

木下 どういうことですか。
朝井 もう、どこまでもいったるぞ! みたいな。その感じはその感じで魅力的でした。けれども、今はキャリアを重ねて、心が据わらはったなって。それは作品からも伝わってきます。決して上から目線ではなくて。
木下 全然大丈夫ですよ、上からで(笑)。
朝井 いやいや、めっそうもない。今日は本当に楽しかったです。
木下 こちらこそ楽しかったです。ありがとうございました。

「小説すばる」2024年7月号転載

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