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貧困は「増えている」とも「減っている」とも言える!? 統計データはいくらでも都合のいいように使えるという事実

集英社オンライン / 2024年7月3日 8時0分

イギリスで壮大な「国民IDカード」構想がまさかの頓挫! 政府はなぜ根拠に乏しい計画を強引に進めようとするのか〉から続く

政府統計などの数字で示されたデータを見ると、私たちはつい「客観的」で「信頼できるもの」だと思い込んでしまう。しかし、果たして本当にそうなのだろうか? イギリスでは、かつて貧困や失業者数に関する統計で「基準の変更」が頻繁に行われ、混乱が引き起こされたことがある。話題の書籍『ヤバい統計』から一部を抜粋して紹介する。

失業者の数は、マーガレット・サッチャー首相政権の1980年代に最も激しい論争を巻き起こす起こす問題の一つ

貧困が減ったかどうかは「見方による」!?

「今日の英国に、貧しい子どもがまだ一人でもいれば、貧しい年金受給者がまだ一人でもいれば、そして人生でチャンスを与えられない人がまだ一人でもいれば、彼ら全員がその状況から解放されるまで、一人の首相と一つの政党は休みなく働き、決して何かを成し遂げたなどとうぬぼれず、決して自分の使命が完了したなどとは思わない」。

1999年にこの誓いを立てた「一人の首相」とはトニー・ブレアであり、「一つの政党」とは労働党だ。だが、彼らは貧しい子どもを減らすことができたのだろうか。次の2つの選択肢から、思ったほうを選んでみてほしい。「わからない」または「見方による」。

1999年から2010年にかけて、子どもの絶対的貧困率は35%から18%に減少した。つまり半減した。だが、同時期の「相対的な」貧困率は26%から20%への減少だった。つまり、4分の1程度の減少に留まった。

「相対的貧困」とは、所得の中央値の一定割合に満たない金額で暮らしている状態を意味している。ところが、住居費も考慮に入れると、子どもの絶対的貧困率の減少は3分の1程度、相対的貧困率の減少は10%強となる。

そのため、2010年に行われた政権交代の直前の労働党政権末期には、貧しい子どもが当時の推定より10万人も多くいた可能性がある。

少なくとも、2010年に首相の座に就いたデイヴィッド・キャメロンはそう主張していた。新首相は、相対的貧困状態にある人が10万人増えた2005年から2010年の期間を「労働党政権末期」として、この数字を出したのだった。

2020年6月まで時間を進めると、またしても同じような光景が繰り広げられていた。保守党のボリス・ジョンソン首相と、野党第一党である労働党のキア・スターマー党首は、貧困に関連する数字の食い違いについて、国会で2週続けて衝突していた。

労働党党首は、「貧しい状況で暮らしている子どもは、政権交代直前の労働党政権時代よりいまのほうが60万人多い」と主張した。首相はそれに異議を唱え、「絶対的貧困状態の子どもは10万人減った」と訴えた。どちらの主張も、政府の公式な数字に裏づけられていた。

なぜ数字の食い違いが生じるのか

同じデータに基づいているにもかかわらず、人によって異なる結論が導かれる第一の原因は、どの年のデータをもとに比較するかで結果が大きく変わる点にある。

2010〜2011年度と2018〜2019年度で比較すると、相対的貧困状態の子どもの数、絶対的貧困状態の子どもの数はどちらも増加している(指標によって数字は異なっていて、その幅は10万人から60万人のあいだとされている)。

だが、2009〜2010年度と2018〜2019年度とで比べると、絶対的貧状態の子どもの数は減っているのだ。

両者の主張が異なる理由は、比較する年の選び方にあった。連立政権への政権交代が2010年5月だったことから、「政権交代直前の労働党政権時代」を2009〜2010年度か2010~2011年度のどちらとするのかは、それぞれの解釈しだいだった。

こうしたたぐいの曖昧さは、特定の何かを主張しようとしている人にとっては、非常にありがたいものだ。

また、さらにややこしいことに、非政府機関による貧困関連の推定値のなかには、政府のものとはまったく異なる状況を示しているものもある。その一例は、独立系機関の「社会指標委員会」によるものだ。

同委員会は、貧困に関する現実的な指標の考案を目的として、2018年に設立された。その推定値では、世帯の収入のみならず貯蓄なども考慮されている。

同委員会の2019年の報告書によると、英国において貧困状態で暮らしている人の数は、ここ10年間で60万人以上も減少している。

貧困に関する統計データは、基本的には「好きなものだけを選んで合わせる」ものだ。つまり、よい状況に見せたいか、または悪い状況に見せたいかに応じて、好きな取り合わせを選べばいい。

「貧困」には確立された定義がないため、さまざまな貧困の指標(公式なものもあれば非公式なものもある)から好きに選ぶことができる。

選び方しだいで異なる結論にたどりつく場合もあるだろう。減少または増加を主張したい場合も、それがよく表れるような年を選んで比較すればいい。

あるいは、子どもの貧困、すべての年齢層における貧困、世帯における貧困のデータのなかから、自分が訴えようと思っていることの最も強力な裏づけとなるものを選べばいい。

だが、これは、本当に適切な方法といえるのだろうか? 貧困の議論では、相反すると思われる主張のどれもが真実となりうるため、本当の意味で勝てる人は誰もいない。

統計学の専門家にとっての最善の策は、貧困の代理変数を一つだけ選び(どれも完璧ではないことを忘れてはならない)、徹底してそれだけを利用することではないだろうか。

問われているのは、「物事を経時的に比較するための、完璧ではないが一貫性が保たれている方法を確立させること」と、「たとえ経時的な比較ができなくなっても、数えたり測ったりする方法を常に改善しようとすること」の、どちらが有益かという点なのだ。

数える基準が変われば、失業者数も変わる

「失業者数は300万人を記録し、今後さらに増える見通し」という見出しが第一面に躍った、1982年1月27日の『タイムズ』紙では、英国の失業者数がこの記録的な数字を初めて超えたと報じられた。

その前日、国会でこの数字を公表したマーガレット・サッチャー首相が、「改善の兆しはある」といくら言い張っても、やじが飛びつづけたという。

「マギーの何百万もの失業者たち」(注:「マギー」はサッチャー首相の愛称)と呼ばれた失業者の数は、1987年ごろまで300万人を下回ることはなく、1980年代に最も激しい論争を巻き起こす起こす問題の一つとなった。

国会議事堂と川をはさんで、ちょうど向かい側に本部を設けていた大ロンドン議会も含めた一部の労働組合評議会は、管轄地域における最新の月次総失業者数が書かれた横断幕を、市役所に掲げる行動に出た。

夜のニュースでは、「本日の失業者数」というコーナーができ、世間はまるでこの数字に囚われたかのようになった。それは、2020年の新型コロナウイルス感染症パンデミック時に発表されていた感染者数への世間の反応とよく似ていた。

政府に批判的な人たちは、失業者数のわずかな上昇さえも見逃さず、この政府は国を危うくしていると責め立てた。一方、数字が下がると、政府は野党に得意げに見せびらかした。

だが、1980年代が進むにつれて、公表される失業者関連データの算出方法が何度も微調整されていることに、人々が気づきはじめた。

さらには、ある計算によると、微調整どころか、「どういった人を失業者数に含めて、どういった人を外すか」といったかなり大きな変更(外すほうがより頻繁に行われた)も含めて、1996年までに計31回以上の変更が行われたという。

そうした変更のなかには、うわべだけのものもあった。1981年11月、失業中で補足給付金(所得補償)を受け取っている60歳以上の男性に対して、今後は失業手当を受け取らなければ、代わりに補足給付金を増額するという条件が提示された。

この変更によって、約3万7000人の男性が失業者として数えられなくなったが、それでも彼らが給付金を受け取っていたことに変わりはなかった。

さらに、1983年にはこの制度がさらに拡大され、失業手当を受給している60歳以上のすべての男性に対して、今後は失業手当を受け取らないことにすれば、代わりに事実上の引退を認めると提示された(引退すれば年金が支払われる)。

この変更では、16万2000人が失業者数から除外された。

政府による「制度の変更」は数字の改ざんか?

1989年にも同様の変更が行われた。余剰鉱山労働者年金制度から手当を受け取っていた元炭坑作業員たちは、失業手当を受け取らなくても給付金が支払われると告げられた。

これらの変更は、記録を整理することを目的とする場合もあったが、それによって失業者数が減少するという、うってつけの結果につながるときもあった。

当時、失業手当の小切手を受け取るには、地域の失業手当事務所に本人が毎週または2週間ごとに行かなければならなかった。

一部の公共職業安定所では、登録して実際に手当を受け取っている人だけでなく、登録者全員を失業者として数えていた。

失業者を「なんとかする」ために政府がまず取り組んだのは、各地域事務所の業務を標準化し、全事務所で、登録者すべてではなく受給者だけを失業者として数えるようにしたことだった。その結果、月次失業者数は約19万人減少した。

その一方で、単なる見せかけではない変更もあった。1988年社会保障法が施行されると、国民保険料の納付額が不足している場合は失業手当が受けられなくなった。

その結果、約3万8000人が失業手当受給者数から外された。だが、これは単なる統計データ上の変更ではなかった。これらの人々は手当が打ち切られたからだ。

さらに、今日では失業手当受給のための重要条件となっている「積極的に仕事を探している姿勢をはっきりと示す」「紹介された仕事を、自分には向かないという理由だけで断らない」などが導入されたのもこの時期だった。

この条件を満たせなかったために失業者と認められなくなり、結果として手当が打ち切られたと思われる人が約5万人いたと推測されている。

政府に批判的な人たちは、こうした変更は政府の取り組みを実際よりもよく見せようとするためのものであり、世間を小ばかにした数字の改ざんにほかならないとみなした。

何百万人もが失業しているという、きわめて現実的な問題をなんとかしなければならないという政府の重圧は計り知れないほど大きかった。

そのため、こうした変更を行う判断をする際に、「早い段階で多少なりとも成果を出しておきたい」という意識が裏で働いたのではないかと疑わざるをえない。

それでも、これらの変更に、もっともな理由によるものがあったのは間違いない。定年となる年齢に近づいている元炭坑作業員が、炭鉱の跡地に次々と建設される大型ショッピングセンターで新たな仕事に就ける見込みはほぼなかった。

再雇用の当てもないまま、毎週、彼らに失業手当を延々と受け取りに来させるのは、誰にとっても有効な時間の使い方ではなかった。

失業手当に関する事務手続きの見直しとコンピューター化は、タイミング的にうってつけだったから行われたものにせよ、正しい方向へ進むための歓迎すべき(かつ必然的な)一歩になった。

実態がわからなくなってしまった失業者数

ただし、短期間にこれだけ多くの変更が行われた結果、失業者数が本当に変化したのかどうかを見極めることが、時期によっては不可能になってしまった。

英国国家統計局が調べたところ、「データに大きな影響を与える変更」は9回行われていた。それはつまり、そうした変更をまたぐ期間での経時的な比較はできないことを意味している。

最終的に政府は、過去にさかのぼって、変更を行う前の失業手当受給者数を示すデータを公表した。それらのデータは、何十年も前にさかのぼって当時の状況を調べたり、過去と現在の状況を大まかに比べたりするうえで、とても役立っている。

これらのデータによって、一般の人々は少なくとも「同じもの同士を比べる」ことができるようにはなったとはいえ、統計データをここまで大幅に修正するのは果たして正しいことなのだろうか。

過去の変更によって失業者数から除外された人たちは、失業手当をもらうための列に2週間おきに並んでいる生身の人間だったのだ。

統計データに表れるほどの大きな方針変更は、そこで起きたことの重要な部分を物語っているはずだ。

異なる手法で同じものを測るとまったく逆の傾向が示されてしまうという事態に、なぜ陥ってしまったのだろう? 同じものを数えるのにさまざまな手法があるため、どんな議論においても、自分の主張の裏づけになるような都合のいい統計データを好きに選べるような状況に、なぜ陥ってしまったのだろう?

さらには、物事を数える方法があまりに何度も変更されたために、当時実際に起きたことを数年後に振り返ろうとしても、ぼやけた情景しか描けないような事態に、なぜ陥ってしまったのだろう?

これらの原因の一つは「車輪の再発明」、つまり、すでに確立されていることを再び一からくりなおすことと関係している。新たに発足した政権は、前政権時のことは一掃して、まったく新しいスタートを切りたがるものだ。

それは、一方では「前政権の仕事ぶりはひどかったが、自分たちはもっとうまいやり方を考え出せる」と本当に思っているからでもあり、一方では、新政権の歩みを前政権のものと決して直接比べさせまいとするためでもある。

また、政府が統計データを重視する姿勢も、年代とともに変化した。この変化は政治的な周期に従って起こる傾向があり、通常は、発足直後の政権が新たな取り組みを進めていることを急いで示したいときに大きな変更が行われる。

さらに、データをどう利用するかについては、政権によって考え方がまったく異なっている。

通常、政策上の問題が解決されるには、一つの政権の期間より長くかかることが多いため、そうした問題について一貫性を保ちながら長期間にわたって追うことのできる方法をとることが、最も理にかなっているといえる。

だが、それにもかかわらず、ことあるごとに再び「ゼロ年」から始めようとする心理が働くのだ。正当かつ現実的な理由と政治的な理由という2つの要因があることを考慮すれば、そうしたくなる気持ちは容易に理解できる。

写真/shutterstock

ヤバい統計 政府、政治家、世論はなぜ数字に騙されるのか

著者:ジョージナ・スタージ
訳者:尼丁 千津子
2024年1月26日
2,640円
四六判/368ページ
ISBN:978-4-08-737003-4
【絶賛!】
政策はAI(人工知能)では作れないことを、徹底的にわからせてくれる。
――藻谷浩介氏(『里山資本主義』)

その数字は、つくり笑いかもしれないし、ウソ泣きかもしれない。
データの表面を信じてはいけない。その隠された素顔を知るための一冊!
――泉房穂氏(前・兵庫県明石市長)

【データの“罠”が国家戦略を迷走させる!? ビッグデータ時代の必読書!】

「データ」や「エビデンス」に基づいてさえいれば、その政策や意思決定は正しく、信用できると言えるのか?

私たちは政府統計を信頼しきっているが、その調査の過程やデータが生み出されるまでの裏側を覗けば、あまりにも人間臭いドタバタ劇が繰り広げられていて驚くはずだ。本書は英国国家統計局にも関わり、政府統計の世界を知りつくす著者が、ユーモア溢れる筆致でその舞台裏を紹介した一冊である。

扱われるのは、英国の移民政策、人口、教育、犯罪数、失業者数から飲酒量まで、実に多彩な事例。それぞれの分野で「ヤバい統計」が混乱をもたらした一部始終が解説される。いずれも、日本でも同じことが起こっているのではないかと思うような話ばかりだ。

現在、この国では「根拠(エビデンス)に基づいた政策決定(EBPM)」が流行り言葉のようになっている。人工知能の発達も急速に進みつつあり、アルゴリズムに意思決定や判断を任せようとの動きも見られる。「無意識データ民主主義」といった言葉も脚光を浴びつつある。しかし本書を読めば、数字やデータだけを頼りに物事を決めることの危うさが理解できるはずだ。

数学や統計学の予備知識はいっさい不要。楽しみながらデータリテラシーが身に着く、いま注目の集英社シリーズ・コモン第3弾!

【目次】
第一章 人々
第二章 質問する
第三章 概念
第四章 変化
第五章 データなし
第六章 モデル
第七章 不確かさ

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