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岩手から母と二人で世界へ…パラ陸上小野寺萌恵 。YouTubeが14歳に見せた「夢」を叶えるとき

集英社オンライン / 2024年7月3日 11時0分

2度目のパラリンピックは「進化する“テコンドー道”の発表の場」。支援業務から選手に異色の転身、パラテコンドー 田中光哉 〉から続く

岩手県花巻市。「ずっと陸上競技場にいたいぐらい大好き!」 森に囲まれた美しい陸上競技場で笑顔を見せるのが、車いす陸上の新星・小野寺萌恵だ。あどけない表情とは裏腹に、鋭い眼差しは、しっかりと初めてのパラリンピックを見据えている。

【写真】ど迫力の小野寺選手の走り

YouTubeが運んできた世界への夢

4歳で急性脳炎を発症。後遺症で両脚を思うように動かせなくなり、両腕にも麻痺が残った少女に、夢は突然やってきた。「中学2年生でした。14歳になるちょっと前」。2017年、ロンドンで開催されたパラ陸上世界選手権の車いすレースをYouTubeで偶然見たという。「この人なんでこんなに速いの! めっちゃ速い!」 心を奪われた。



その少し前に、岩手県の障害者スポーツ大会で車いすレースを体験していた。「春に2、3回練習会があってすぐ大会で、大丈夫かなと思ったんだけど、けっこうまっすぐ走れて、『これはいけるでしょう』という感覚はありましたね(笑)」。

YouTubeを何度も何度も見たのは、この経験の後だった。「自分と同じ障害のレベルの人がなんでこんなに強いんだろう。『自分も本気でやりたい!』そう思ったときの自分をよく覚えています」。

それまで水泳はしていたが、リハビリのためで競技として取り組んでいたわけではない。母・尚子さんは、娘の県大会の車いすレースでの活躍に驚きはしたものの「途中でやめちゃうんじゃないの。水泳と違ってお金もかかるよ」と反対だったという。

しかし「水泳ではチャンピオンになれなくても、レースならチャンピオンになれる。私、世界に行くから!」と説得。小野寺萌恵の夢が決まった。だが「まだあのとき、本当は世界までは考えてませんでしたけどね」と笑う。

厳しい競技環境の中で道を拓いた

だが道のりは平坦ではなかった。「ちゃんと指導してくれる人がいませんでした。体育の先生にヘルメットとグローブはあった方がいいと言われて、グローブは買ったんですけど」県には車いすレースのチームもなかった。

また、中学3年生の春からは体調を崩し、なかなか本格的な練習に取り組めなかった。

「でもやっぱり私、風を切って走るのが好きなんです。風が来るともっと向かいたくなるんです」生来の負けず嫌いもあって、いくつかの大会に出場した。しかし成績はふるわず、冬、雪が降ると練習もままならない。

試行錯誤で娘をサポートする母は「室内練習用のローラーは買わなきゃ」と、中3の終わりにローラーを購入した。

高校生になり、体調も快復。「ローラーもいいんですけど、陸上競技場の絵がついてたらいいのにって思います。スタートの線とかあると、モチベーションが上がるんですよ」自分の中のイメージを体現することが大切な芸術肌スプリンターだ。

いよいよトラックでの練習も再開し、ヘルメットも購入した。だが地元の陸上競技場は土トラックで、車いすレーサーの使用は許可できないという。「30キロ離れた他の市まで通いました」ハードルだらけの道を手探りで進んだ。

それまで練習の度にレーサーを借りていたが、「ありがたいことに、県のサポートで初めて自分専用の車いすレーサーが手に入りました」様々な動画を見て研究もした。

「この1位の人、タイヤを回しっぱなしなのかな、それとも一旦手を離しているのかな、とか見て、自分でもいろいろ試しました。時速のメーターがどんどん上がっていくいくときって、すんごい楽しい。26(km/h)まで上がっても、これでは勝てない、もっと! もっと!って」。

「あの日の夢」が現実になっていく 

親子で夢中で努力するうち、ついに本当に世界への門が開くときがきた。高校2年生で、未来のトップアスリートを発掘する「J-STAR」プロジェクトに合格。

「中東のバーレーンで開催されたアジアユースパラ競技大会に出たんです」折しも、新型コロナの影響下にあった2020年。

「初めての海外で不安だから母と一緒に行きたかったんですけど、人数制限があって行けなくて…。大会は出場選手が少なくて、別のクラスの人と同じレースでした。タイの選手の車輪を叩く音が強くて、ゴールでその音の迫力に負けて、すごい悔しかった」。

メダルは逃したものの、世界のトップ選手と最後まで競えたことが大きな自信になったという。

国内大会では破竹の勢いで連戦連勝。2023年7月には、YouTubeで最初に魅了された世界選手権に出場した。「嬉しかったです」結果は100m 5位、800m 6位。

「100mは、スタートからのピッチを早く上げればよかった。ゴール地点で力を抜かなければ、4位内に入ったかも」と分析。

「800mは3位に入っていたけど、隣に目線が行って集中を切らしたら順位が徐々に落ちてしまいました」特に苦手なのがオープンレーンに入るところだという。「自分からどう入ればいいのか、特に選手が増えるほどわかりづらくなる。レース中に後ろを向くのが自分に合わないので…」と、今後の課題を挙げた。

3ヶ月後の杭州アジアパラ競技大会では、苦手なオープンレーンでの駆け引きでトラブルが起こった。「800mのカーブ地点で、追い越そうとする中国選手とレーサーがぶつかったんです。私は中国選手の進路を妨害したと判定され、ゴール後に失格となりました。こんなパターンもあるのかと思って。次からは繰り返さないようにしたいです」と、前を向く。

まだ初めて経験することも多く、どんなことでも糧にできる強さがある。

「メダルを獲得するために全力で走る」

「やっぱり私は競技場が大好き! 競技場がなかったら生きていけません。毎日競技場で走りたい。陸上を始めたころは、競技場のある家があったらいいなって、けっこう本気で親に言ってました」。

車いすレースに魅せられた小野寺萌恵の目標は「パリパラリンピックで100メートルのアジア記録18秒46を更新すること」そして「メダルを獲得するために全力で走ること」だ。

尚子さんは「大会動画を何回も見て勉強しています。萌恵に説明しても本人が納得するまでに時間がかかるんです。感覚が強くて100%納得できないとやらないので」と話す。陸上経験のない母だが、全力で娘を支え続けている。

世界の頂点を目指す20歳の娘と母の、夢への挑戦まだ始まったばかり。本番はこれからだ。

 取材・撮影/越智貴雄[カンパラプレス]

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