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「知的障害があっても、硬式野球はできます」青鳥特別支援学校が高校野球大会に初出場の快挙。結実した「甲子園夢プロジェクト」の道のりとは

集英社オンライン / 2024年7月8日 11時0分

球児たちが白球を追う季節になった。高校野球はどのチームにとっても晴れ舞台。すべてのチームが主役に違いないが、2024年、夏の甲子園(第106回全国高校野球選手権大会)予選には注目を集めるチームが出場する。青鳥特別支援学校だ。特別支援学校とは、障害によって学習や生活上の困難を抱える生徒たちに必要な知識技能を与えるための学校である。なぜ今回青島特別支援学校ベースボール部(硬式野球部)は初出場となったのか。これまでの軌跡を、久保田浩司監督に聞いた。

【画像】青島特別支援学校ベースボール部の練習風景

さかのぼれば1982年、1983年と沖縄県のろう学校(当時)が単独チームとして甲子園の地区予選に出場した記録があるものの、特別支援学校が単独チームとして出場した記録はない。安全面などの関係から、知的障害のある子どもに硬式野球は難しいとされてきたからだ。



だが青鳥特別支援学校を率いる久保田浩司監督は、同校に赴任した2021年以前からずっと、知的障害がある子どもたちが硬式野球に打ち込むための環境づくりに尽力してきた。

当初は無謀とも思われた、「甲子園夢プロジェクト」と名付けられたその計画。全国の特別支援学校の生徒に参加を呼びかけ、元プロ野球選手なども指導を手伝う形で取り組みが実現していった。「知的障害があっても、硬式野球はできます」久保田監督がその言葉を確信するまでの道のりを描く。

障害児教育に興味があったわけではなかった

青鳥特別支援学校ベースボール部には現在、12名の部員がいる。単独チームとして甲子園地方予選に出場するための最低人数である9名を超えたのは、今年が初めてだ。

「2023年の創部時点では人数が足りず、他の普通学校との連合チームで出場しました。今年は12名の部員がいるので、東京都の高野連から出場を認めていただくことができました。昨年は昨年で感慨深いものがありました。19対23で敗れはしましたが、9回すべて正々堂々、怪我もなく闘い抜いたんです。長く『知的障害のある子どもには硬式野球はできない』と言われた時代を塗り替えたのですから」

久保田監督はそう誇らしげに振り返る。

今年で教員生活37年になる久保田監督だが、養護学校教諭として着任した当初は障害児教育に興味があったわけではなかった。

「お恥ずかしながら、特に関心が強いわけではありませんでした。糞尿を漏らしてしまう子どももいますし、身の回りの世話をするのは思いのほか大変で、『次の異動までがんばろう』くらいに考えていました。

しかしソフトボール部の指導をしたとき、あるダウン症の子どもが『ボールの投げ方を教えてくれ』と言ってきたのです。ソフトボール部といったって、放課後のお楽しみクラブのような色合いの濃いものです。怪我をさせないように見ておくのが仕事だと思っていました」

コロナ禍に発足した「甲子園夢プロジェクト」

ところが、この生徒は真剣だった。久保田監督が教えれば教えるほど技術を吸収し、投球の飛距離が伸びていく。さらに、それまでソフトボールとかけ離れたお遊びをしていた他の生徒も、徐々にまとまってきたのだ。

「そのとき、気づいたのです。『障害のある子にはできない、難しい』と決めつけていたのは大人のほうであって、彼らは真剣に向き合えばどこまでも成長するということに。

危険に結びつきやすいものを生徒から遠ざけるときに『危ないから』という慈悲深い言い訳が用いられますが、それは管理する側の都合である場合もあります。しっかりとした管理を行ったうえで、彼らが真剣に打ち込める環境を整備するのが私たちの仕事なのではないかと思うようになりました」

こうした体験を経て、久保田監督は養護学校ソフトボール部監督に着任し、2000年から7連覇を含む都大会通算14度の優勝という偉業を成し遂げる。

久保田監督はその人生を高校野球に捧げてきた。ある特別支援学校での面接の一幕はいまだに覚えているという。

「その学校で『硬式野球部を作りたい』と話すと、管理職の顔が曇りました。『安全面が心配なんだ』というのですが、どうすれば安全に行えるかという建設的な議論はできませんでした。安全に行える方法を管理職内で真剣に検討した様子もありません。

特別支援学校に通う生徒も、『勝ちたい』と思う気持ちはあります。そこに健常者と障害者の線引きはありません。『危ないから』という理由だけで勝ち負けの土俵にも上げてもらえない現実をどうにか変えられないかと思案しました」

現状を打開するため、2021年3月に発足したのが、前述の『甲子園夢プロジェクト』だ。日本全国の特別支援学校に通う生徒のなかから「硬式野球をやりたい」という子どもをつなぐネットワーク。コロナ禍だったので、リモートを活用して練習会を実施した。それでも久保田監督には、参加者の”熱”が確かに届いた。

「参加者や保護者の方に話を聞いてみると、やはり『小学校までは野球をやっていたけど、障害を理由にプレーできる場所がない』『通っている特別支援学校に硬式野球部がない』という声が多くあがりました。『甲子園夢プロジェクト』にかける期待がよくわかり、改めて彼らがのびのびとプレーできる環境を作りたいと襟を正しました」

初となる試合結果は…

活動を続けるなかでうれしいこともあった。強豪校との合同練習だ。

「私たちの取り組みが理解されてくると、胸を貸してくれる学校が増えてきました。昨夏の甲子園優勝校の慶應義塾高校(神奈川県)や強豪・創価高校(東京都)などの強豪校も快く合同練習に応じてくれました。

その様子をみていると、技術の高い彼らが一方的に夢プロジェクトのメンバーに“教えを施す”のではなく、同じ野球人として、対等にプレーしているのが伝わってきました。合同練習は、そうしたスポーツマン同士の交流という意味合いもあり、彼らの成長につながってくれたのではないかと思っています」

障害者と健常者という隔たりはなく、野球というスポーツに惚れ込んだ者同士として向き合うこと。そこに技術の巧拙は関係ない。ただお互いのベストを尽くして声を掛け合う。

久保田監督は「甲子園夢プロジェクト」の野望をこう打ち明ける。

「特別支援学校の単独チームが出場することは歴史上なく、注目を浴びるでしょう。しかし私はその先を夢見ています。つまり、健常者か障害者かという視点での注目ではなく、『あの子のプレーいいね』と思った子が、調べてみたら『へぇ、特別支援学校の子だったんだ』という、その程度のなにげなさ。そんな風に埋没するくらい、知的障害がある子が硬式野球をやるのが普通のことになればいいなと思っているんです」

7月7日、青鳥特別支援学校ベースボール部は、1回戦で散った。

「0対66という大敗でした。この5月から野球を始めた選手が3人いるこのチームで大切にしてきたことは、技術の向上よりもまず精神的な部分をひとつにしていくことです。たとえば私は普段、生徒たちに対して『仲間のプレーに声を掛けていこうね』と話しています。試合中、チームがそうしたことをきちんと意識してやっていたと思うので、次につながる第一歩を踏み出せたと私は評価しています」

そう話す久保田監督の表情はどこか晴れやかだった。天井のない広大な球場では、鋭い打球が天に向かってまっすぐに伸びる。その愚直さが、子どもたちの可能性を信じて一心不乱に遮るものを取り払った久保田監督の挑戦に重なって、夏の記憶に溶ける。


取材・文/黒島暁生

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