なぜ日本人は幽霊が大好きなのか。“日本最初”の幽霊は誰? 初めて幽霊画に登場した歴史上の人物とは?
集英社オンライン / 2024年7月15日 18時0分
夏到来とともに毎年、日本では怪談のイベントや幽霊画の展覧会が多く開催されることからも、日本人は世界屈指の“幽霊好き”といえるだろう。そのルーツとは?
【画像】円山応挙の幽霊画のうち、現存する作品の中で真筆といわれている二つのうちのひとつといわれる『返魂香之図』
書籍『「死」を考える』より一部を抜粋、編集してお届けする。
美術史で確立されていない「幽霊画」というジャンル
夏になると日本では毎年、怪談のイベントや幽霊画の展覧会が多く開催されます。なぜか日本人は幽霊が大好き。
近年では、幕末から明治にかけて活躍した落語家、三遊亭圓朝のコレクションが納められている東京都台東区谷中の全生庵(ぜんしょうあん)で毎年8月に開かれる幽霊画展などにも、多くの人が足を運ぶようになりました。
幽霊画というのは美術史の中では確立されていないものです。幽霊や妖怪を研究するのは民俗学や宗教学、国文学の人で、美術の世界にはいません。
なぜなら、美術史は「何年何月にこの人が描き、その影響でこういう作品が生まれた」という「基準作」がなければ成り立たないものだから。幽霊画にはそれがないのです。
日本人が「死んだ人がよみがえる」ということを物語に書き始めたのは平安時代のことです。『日本霊異記』という仏教説話集には、人に殺されて野ざらしになった髑髏を供養した者が、髑髏が変身した人物に恩を返されるという話などが収められています。
まさに日本人が幽霊を意識し始めた現れだと思うのですが、これらの話は実は中国にルーツがあるもの。平安時代後期に書かれた『今昔物語』の中の源融(みなもとのとおる)という人物の幽霊が、日本独自の幽霊の始まりではないかと幽霊研究者は言っています。
幽霊が絵画の中に登場するのは、鎌倉時代初期の「北野天神縁起絵巻」あたりから。
讒言(ざんげん)によって死んだ菅原道真が怨霊となり、人々を懲らしめるために、わざわざ衣冠束帯(いかんそくたい)の正装で比叡山の尊意僧正(そんいそうじょう)のところに挨拶に行き、「これから恨みを晴らしに行くからあなたの法力で邪魔しないでください」と頼む。
僧正はそれを断り、幽霊と人間の間で妖術合戦が行われる。絵巻物にはその様子が描かれています。
道真がかんでいたザクロをブワッと吐くと火がつき、燃え広がる。すると僧正も法術で手から水を出して消火します。この道真の幽霊には足があります。
異界から来る妖怪と現世に怨念を残す幽霊
中世には「百鬼夜行(ひゃっきやこう)絵巻」「付喪神(つくもがみ)絵巻」「土蜘蛛(つちぐも)草紙絵巻」など、妖怪が出てくる絵巻物が作られていますが、これらの作品で描かれているのは幽霊ではありません。
よく幽霊と妖怪を混同されることがありますが、幽霊は現世に怨念を残した死者があの世に行けなくて出るもの。必ず人間の姿をしています。一方、妖怪はあの世とは違う異界から来ているので、獣や器物などの形で現れたりするのです。
先ほどの「北野天神縁起絵巻」からだいぶたちますが、岩佐又兵衛という絵師が江戸時代初期に手掛けた「山中常盤(やまなかときわ)物語絵巻」には、平家討伐のため奥州へ下った牛若丸を訪ねて旅をしていた母の常盤御前が盗賊に殺され、牛若丸の夢枕に立つ、というシーンが描かれています。
この常盤御前はまさに幽霊で、真っ白な装束で「私の復讐をしてください」と伝えるのですが、これが幽霊として描かれた二つ目くらいじゃないかと思っています。
ただ、もし「幽霊画」というジャンルを立てるのであれば、画題として単独で幽霊が描かれていなければなりません。では、最初に幽霊画を描いたのはいつ、誰なのかというと、これは江戸時代中期に京都で活躍した円山派の祖、円山応挙だといわれています。
「百物語」を盛り上げた幽霊画の始祖・円山応挙
応挙はいわゆる美人顔の足のない女の幽霊を描き、後進に大きな影響を与えました。ただ面白いことに、世の中に「応挙の幽霊画」と呼ばれるものは数あれど、実は現存する作品の中で真筆といわれているのは二つのみなのです。
一つはカリフォルニア大学バークレー校美術館に寄託されている「幽霊図」、もう一つは弘前の久渡寺(くどじ)にある「返魂香之図(はんごんこうのず)」。
前者は応挙のサインも入っていて、私も江戸東京博物館に来たときに見ていますが、応挙筆に間違いはないと考えています。後者は年に1回、旧暦の5月18日に当たる日に1時間だけ公開されています。こちらの方がさらに出来がよいですね。
応挙の幽霊画が有名なので、応挙の落款があるもの、応挙筆と称するものは世の中に何十とあります。間違いなく、応挙のものではない。でも所蔵するお寺では応挙といっているのだから、それはそれでいいと思います。幽霊というのもある意味で信仰と共にあるものですからね。
そもそも、なぜ応挙の幽霊画が単独で掛け軸に描かれたかというのは──これは私が勝手に想像しているだけで根拠はあまりないのですが──江戸時代の出来事を調べたら、ちょうど応挙の活躍した江戸中期の安永年間(1772~81)に、商人クラスの人々を中心に「百物語」という怪談会が大流行していたんです。
仲間を集めて怪談を1話ずつ披露しては、別室に立てた100本の蠟燭(ろうそく)を1本ずつ消していくというもので、100本目が消えた時に怪が起きる、という。
それで、恐らくその会を主催した会主の一人が「床の間用に何か幽霊の絵を」と応挙に頼んで描いてもらったんじゃないか。それに人々はびっくりしたんでしょうね。それまでの幽霊には美人という定番もなかったし、足のない幽霊もいなかったわけですから。
定番を作ったのは応挙です。死装束の女性はキリッとしているけれど、見方によっては恨みが残っているのか、それともただ美しく微笑んでいるのか。
面白いのは紅をさしていること。死後に湯灌(ゆかん)をして死化粧をした、そのままの姿かなとも思えます。この絵が大評判になって、次の会主が「今度は他のヤツに描かせて、あっちの会主をびっくりさせてやろう」という感じで、競い合って絵師たちに幽霊画を注文した。私はそう考えています。
江戸後期から幕末にかけてバリエーションが豊かに
描かれる幽霊が圧倒的に女性ばかりなのは応挙の影響でしょう。特に幸薄そうな女性が多いのは、日本人の好みでしょうね。
とはいえ、次第に幽霊画も人々のニーズに従ってどんどんバリエーションが増え、表現が細かくなっていきます。
同じような絵ばかりでは飽きられるので、絵師も工夫をするようになり、掛け軸の本紙の周りの裂地(きれじ)部分にも描くことで軸から飛び出してくるような印象を与える「描表装(かきびょうそう)」などの表現も使われるようになりました。
さらには歌舞伎の幽霊場面が描かれたり、生前の職業を察することができるようなものも登場したり、一見幽霊に見えないようなものも。だまし絵のような幽霊画も描かれるようになっていきます。
また、当初は「百物語」の際に飾られていたと思われる幽霊画も、政情不安が世の中にまん延する幕末になると、単独の鑑賞用としても描かれるようになります。
この頃には見世物小屋がもてはやされ、人形師の松本喜三郎による“生人形(いきにんぎょう)”と呼ばれる精巧な人形が人気を呼ぶなど、怪奇趣味の流行もありました。
カタルシスを得ることでストレス解消となるような画風が好まれ、怖いもの見たさを満足させる作品が絵師に注文されるようになります。
聖書のサロメも真っ青の、生首を持っている幽霊などもいくつも描かれました。渓斎英泉(けいさいえいせん)の「幽霊図」もその一つです。
この人は幕末期に退廃した女を描いた画家で、根津で女郎屋をやったり、媚薬を作って売ったりもしていたらしいいわく付きの人ですが、おしろいの匂いが漂ってくるような妖艶な美人画を得意としました。
葛飾北斎の「生首の図」や月岡芳年(よしとし)によるスプラッタ系の作品もその流れにあります。
三遊亭圓朝は怪談噺の参考とするために幽霊画を集めたといわれていますが、この頃には幽霊画そのものの鑑賞会のようなものもできていたのではないかと思われます。
私が面白いと思うのは、中国には日本よりもずっと前から仙人たちの世界を描くなどした絵がたくさんあるし、上田秋成『雨月物語』などに収められた怪異小説のルーツも中国にあるのに、日本のようにそれが大衆にまで広まり、楽しまれてはいなかったということ。中国の幽霊は高等遊民だけのものだったのです。
ただ、日本でも応挙の幽霊図のように単独で描かれる幽霊図が広まらなかった分野があります。浮世絵版画です。
浮世絵版画といえば美人画や役者絵。人気絵師の葛飾北斎や歌川広重が風景画を描いたのは幕末になってからです。
北斎は幽霊単体を描いたものとして、「百物語」をテーマにしたシリーズにも着手しますが、これは全く売れなかったのでしょう。5図までしか作られませんでした。
北斎としては売れると見込んで挑んだわけで、そのせいか気合いを入れて、一般の人には理解しがたい工夫を凝らし過ぎてしまったんでしょうね。
その後、浮世絵版画では歌舞伎の幽霊登場場面が描かれます。歌舞伎の幽霊場面は盛んに描かれますが、これは役者絵を含む芝居絵の一部です。これとは別に、幽霊を単独で描いた錦絵は北斎の「百物語」くらいでしょうか。つまり単独の幽霊図は、浮世絵版画の世界では流行しなかったのです。
幕末の不安を吹き飛ばしたグロテスクな幽霊たち
幽霊画の特徴の一つに、特定の人を描いた作品が少ないということもあります。素晴らしく刺激的な名品を残している河鍋暁斎の作品には亡くなった妻・登勢の死に顔をスケッチしたといわれている幽霊画がありますが、これも想像の域を出ません。
死者の供養のために描くならば、生きている姿を描くはずですよね。ただ、暁斎には彼のパトロンであった勝田家の娘、たつが14歳で亡くなった後に描いた作品「地獄極楽めぐり図」があり、これは実在の人物を描いたものとして知られています。
たつがお釈迦様の案内で地獄や極楽を巡るという作品で、彼女はこの中で生前好きだった歌舞伎役者に会って観劇したり、親戚と再会したりしながら、最後には蒸気機関車に乗って極楽に行きます。
幽霊画の一つの流れに骸骨画というのもありますが、これは妖怪のすむ「異界」と幽霊のすむ「あの世」の間にあるものといえるでしょう。
三遊亭圓朝の「怪談牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」をテーマにした、円山応挙の弟子、駒井源琦(げんき)の最高傑作「釣灯籠を持つ骸骨」などはその代表作です。
骸骨の絵には結構いい加減なものも多いのですが、暁斎の「骸骨図」はなんと男と女の骨格を描き分けています。そして、女の方には卵子、男の方には精子の絵を添えている。彼には西洋医学の知識もあったのです。
幽霊画は捨てられない! 祟りが怖くて寺に寄贈
さて、幽霊画のコレクションがお寺に納められていることが多いのはよく知られています。これは、お寺が集めたというわけではもちろんなく、祟りを恐れて寺に寄贈する人が多かったからです。
幽霊画とお寺といえば、前出の圓朝コレクションがある全生庵が有名ですが、千葉県市川市の徳願寺というお寺も結構な数を持っていて、毎年1回、11月の「お十夜会(おじゅうやえ、十日十夜法要)」の日に一般公開しています。
福島県南相馬市の金性寺(きんしょうじ)は、幽霊画の掛け軸を供養してあげますよと言ったら全国からたくさん集まり、今では86幅ものコレクションを持つまでになりました。東日本大震災以前はこちらも毎年1回、お盆に「ご開帳供養会」を開いていました。
江戸から明治にかけて盛んに描かれた幽霊画ですが、幽霊を描く画家がいなくなったわけではありません。日本画家の松井冬子は現代における幽霊画の名手ですし、現代美術家の束芋(たばいも)も初期には幽霊を描いていました。もちろん、見る側の興味は今も高い。
日本人には決まった宗教はなくとも、宗教心はありますから、死んだら霊が残ると思っている人は多くいます。だからこそ、今なお夏になれば幽霊画の展覧会やお寺の供養会に人が集まるのです。
文/安村敏信 写真/shutterstock
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