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世界では薬物注射による死刑執行が主流となりつつあるなか、なぜ日本は今も絞首刑を続けているのか

集英社オンライン / 2024年7月16日 8時0分

ヨーロッパでは死刑がほぼ全廃されており、いまや先進国で死刑執行を行っているのは日本とアメリカのみという状況だ。しかも「死刑はともあれ、絞首刑は違憲ではないのか」との指摘がなされるなか、なぜ日本は今も絞首刑を続けているのだろうか。

【画像】1873年に頒布された、日本における死刑執行の際に使用される絞首台の図式

書籍『「死」を考える』より一部を抜粋、編集してお届けする。

欧州では死刑がほぼ全廃、先進国で残るは日米のみ

日本で死刑が法令で規定されるようになったのは、今から1300年近くも前の律令時代のことです。律令体制下では斬首刑と絞首刑が規定されていました。

江戸時代にはさまざまな方法での死刑が行われており、放火犯は火刑に処していましたが、さすがにこれは明治に入ってすぐに廃止され、斬首刑と絞首刑で行われるようになっています。



その後、旧刑法を作る際にお雇い外国人から「残酷だ」との声が上がったため、斬首刑も廃止。明治中頃以降は旧日本軍が銃殺刑を採用していたことを除き、現在に至るまで絞首刑のみで死刑が執行されています。

しかし、自国の死刑制度について、私たちはほとんど何も分かりません。日本では絞首刑の執行に関する具体的な事項は、全く明らかにされていません。法律にも規則や命令にもほとんど規定されておらず、情報も開示されないので、詳細を調べようにも調べられない状況なのです。

アムネスティ・インターナショナルの調査によれば、2022年末時点で、法律上も事実上も死刑を廃止していない国、つまり法律で死刑というものが決まっており、死刑判決を言い渡して死刑の執行まで行っている国・地域が55あります(図1)。

ここには日本やアメリカ、中国も入りますが、イスラム教の国が多いのが特徴的です。

一方、死刑を完全に廃止している国は112あります。さらに、軍事犯罪や内乱などを除いて、通常犯罪の死刑は廃止しているという国が9、法律上は死刑が残っているけれども実際には使っていない、すなわち事実上廃止しているという国・地域が23あります。

つまり、数だけを見ると「死刑を完全に廃止しているか、事実上廃止している」という国の方が多いのです。しかも、先進諸国を見れば、いまだに死刑を行っているのは日本とアメリカだけ。

ヨーロッパではほとんどの国が死刑を廃止していますが、国連加盟国で1カ国だけ廃止していないのが独裁国家として知られるベラルーシです。ベラルーシは、人権上も大きな問題がある国といわれています。

ヨーロッパでは死刑がないことが当たり前の時代に育った世代が増えていますから、日本がいまだに絞首刑を採用していると言うとかなりびっくりされますし、日本人の人権感覚自体を疑われることもあります。このことは多くの方に知っておいてほしいと思います。

2001年6月25日、欧州評議会(人権、民主主義、法の支配の分野で国際社会の基準策定を主導する汎欧州の国際機関)は、オブザーバー国である日本とアメリカに対し、速やかに死刑執行を停止し、死刑廃止に必要な段階的措置を取ることなどを求める「欧州評議会のオブザーバー国における死刑廃止」という決議を行いました。

この決議は03年1月1日までに死刑を巡る状況の改善が見られなければオブザーバーとしての資格を剥奪することも辞さないという、かなり強硬な一文が付いたものだったので、欧州評議会の本部のある仏ストラスブールの総領事も重要な外交のチャンネルが失われては困ると考えたのでしょう。

外務省の本省に対し、全部で8ページから成る文書を送付しています。

この文書で注目すべき点は、先の決議に対する「当面の対処振り」として、「対話の継続の重要性」や「死刑囚の処遇改善」などに加え、「死刑執行停止」という意見具申がなされていること。

外交官から本省に対して「ヨーロッパとの外交において、日本が死刑を続けているのはハンディキャップになる。とりあえず執行だけでも止めてくれ」と訴えたわけですから、死刑の継続がヨーロッパでの外交活動にどれだけ影響を与えるのかが分かります。

とはいえ、これによって法務省が死刑執行を止めるなどの変更を行うには至りませんでした。ただ、日本の考え方や、現在行っている死刑が残虐なものではないというような説明をもっと丁寧にやった方がよいということは、法務省と外務省との間でも意見の一致を見たようです。

ヨーロッパ諸国は死刑廃止に力を入れてきましたが、その主な理由は「人権上大きな問題があるから」というものです。それに対して、イスラム教の国では戒律上の理由で死刑制度を残していることが多い。

一方、アメリカでは州によって死刑を廃止しているところと、現在も執行しているところに分かれており、これは、民主党が強い州と共和党が強い州の分布図とほぼ重なっています。

アメリカが国全体として死刑廃止に舵を切っていないのは、共和党の支持層に、死刑による犯罪抑止効果を重視する人が多いからです。

アメリカでは2020年に共和党から民主党への政権交代が行われましたが、「死刑は違憲である」という判決が出る可能性は当分ないでしょう。

なぜなら、同年にリベラル派の重鎮だった連邦最高裁判事のルース・ベイダー・ギンズバーグが亡くなり、トランプ政権末期に保守派のエイミー・コニー・バレットが後任とされたことで、連邦最高裁の構成は保守派優位がより進んだからです。

アメリカの死刑支持者が考える犯罪抑止効果というのは、「凶悪な犯罪者を死刑に処すことで次の犯罪を止められる」というもの。

ただ、抑止力については学問的に実証されておらず、死刑を廃止した国や地域で、それを理由に凶悪犯罪が増えたというデータはありません。そもそも、刑罰の重さよりも、検挙されやすいことが犯罪の抑止に影響することが、犯罪学の知見としてほぼ確立しています。

世界では主流となりつつある薬物注射による死刑執行

では、日本における死刑、また死刑執行とはどのようなものでしょうか。

まず、日本では重大な事件を幾つも起こした被告人に死刑を一度に二つ以上言い渡すことはできません。また、死刑と懲役刑を一緒に言い渡すこともできません。

死刑は最も重い、究極の刑罰。死刑と罰金刑や懲役刑は一緒に言い渡されないのです。ですから、死刑確定者は、刑に処せられた者を収容する刑務所ではなく、死刑が執行されるまで拘置所の単独室という一人部屋で過ごします。

現在、死刑執行は当日の朝に本人に伝えられています。アメリカでは数週間前には告知され、文字通りそこをデッドラインとして諸々の手続きが進んでいきますが、それとは対照的です。

日本でもかつてはもう少し前に伝えていて、最後の夜の食事を他の死刑確定者と囲むようなこともあったようですが、執行が日一日と迫ってくる状況は酷だとも考えられます。

日本で執行当日に告知するようになったのは、過去にその苦痛に耐えられなくなり自殺した人がいたから、ということのようです。

前述の通り、日本では死刑執行に絞首刑を採用しています。一方、アメリカでは現在、ほぼ全ての死刑執行が薬物注射によるものとなりました。

中国でも以前は絞首刑が採用されていましたが、急速に薬物注射が主流になってきていると聞きます。ただ、軍関係の場合は銃殺刑を用いることが多いようです。

アメリカでは当初は絞首刑のみでしたが、1890年に初めて電気椅子が導入され、1930年前後からは電気椅子が圧倒的に多くなりました。薬物注射が登場したのは82年。

これは絞首刑や電気椅子の場合、うまく執行できないリスクが付きまとい、死亡まで時間がかかることがあるので、できるだけスムーズに執行し、苦痛を少なくするためにと考えられたものです。

日本では、執行のための設備や器具、手順についての規定は、1873(明治6)年に頒布された太政官布告にある絞罪器械図式(図2)にさかのぼります。

現在ではこの図のように階段を上っていく形ではなく、平面上を進ませ踏み板を開いて落下させる地下絞架式が採用されていますが、これには法改正などの手続きは取られていません。

150年前の規定に基づく絞首刑の設備や手順

刑場には事前に依頼しておいた仏教、神道、キリスト教などの教誨師(きょうかいし)によって読経などが行われたり、遺書を書いたりする教誨室が隣接しています。

戦後すぐは各刑場に新聞記者が入って取材することが可能だったようで、私も1947年に『名古屋タイムズ』が名古屋刑務所の刑場を取材した記事と、同年の『アサヒグラフ』に掲載された広島刑務所の刑場に関する記事を確認しました。

また、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の検閲により公表禁止とされましたが、読売新聞が名古屋刑務所の刑場を取材して記事を作成しています。

67年には田中伊三次法務大臣が東京拘置所を視察し、記者に刑場を公開したとされています。

2010年に当時の千葉景子法務大臣が死刑執行に立ち合った後、報道機関に対して東京拘置所の刑場を公開しましたが、それ以降は全国に7カ所ある刑場のいずれも公開されていません。

執行に誰が立ち合うかは法律で決まっています。これは拘置所の所長や検察官、検察事務官などで、実際に死刑を執行する拘置所の刑務官も含まれます。

法的に正当な裏付けがあるとはいえ、刑務官の方たちには人を殺すという、非常に重い仕事をお願いしていることになります。

ならば、この方たちにどのような待遇をし、どのようなケアを行うかについて、もっときちんと考えなくてはならないはずですが、そもそも議論の叩き台となる情報が何も開示されていない。これは大変な問題だと思います。

絞首刑に発生しやすい「うまくいかない執行」

さて、日本で絞首刑が続いているのは、1955年に最高裁判所が「絞首刑は合憲」として以来、アップデートがなされていないからです。

諸外国では執行方法をはじめ、死刑に関するさまざまな議論が行われてきましたが、日本では情報がほぼないため、議論すらできない状態が長らく続いています。

死刑が執行された場合は、執行後すぐに「死刑執行始末書」というものが作られて法務大臣に報告されるのですが、これを開示請求しても、重要な部分のほとんどは黒塗りされています。

そこで私はGHQ/ SCAPが収集し保管していた記録に着目、そこから日本における絞首刑の実態を調べることにしました。

記録の原本はアメリカの国立公文書記録管理局に所蔵されており、それをマイクロフィッシュで複写したものが日本の国立国会図書館憲政資料室に収蔵されているのです。

私が入手したのは戦後すぐの百数件についての死刑執行始末書ですが、基本的に今も同じ方法で死刑が執行されているのですから、資料として大いに参考になります。

そこには執行日や立ち合い者の名前、遺体の取り扱いや存命中の通信についてなどが書かれていました。

中でも重要なポイントが、執行の所要時間が記載されていたこと。床が開き下に落ちて首に縄がかかってから死亡が確認されるまでに平均で14分余り、長い場合は22分かかっているということが分かりました(拙著『GHQ文書が語る日本の死刑執行』現代人文社)。

絞首刑の場合はうまくいかない執行が発生しやすく、時間もかかる。苦しみながら亡くなることも多いと想像されます。

また、実際には被執行者の死亡が確認された後、法律の規定により5分間はそのままの状態で置かれることになっていますから、その間に遺体も汚れてしまいますし、現場で執行に立ち合う刑務官の人たちにとっても負担はかなり大きいはずです。

そんなこともあり、死刑そのものの是非を争う議論や裁判の中でも、「死刑はともあれ、絞首刑は違憲なのではないか」というものが、ここ10年ほどの間にしばしば上がってくるようになりました。

2011年にオーストリアの法医学者、ヴァルテル・ラブル博士が大阪地裁で弁護側証人として出廷、絞首刑は数分間にわたって意識が喪失せず苦しむことや、頭部が離断することがあるなどといった証言をしたこともあります。

ただ、今のところ日本では、絞首刑は日本国憲法36条で定める「残虐な刑罰」には当たらないとして存続していますし、見直す動きはありません。

実際にアメリカで執行を見てきた知人の記者に話を聞くと、薬物注射による死刑の所要時間は2~3分で、被執行者が苦しむ様子もなく終わったそうです。

それなのになぜ、日本は絞首刑を続けるのか。あくまで私の推測ではありますが、「絞首刑をやめて薬物注射にするとすれば、判断材料として死刑の実態を明らかにしなくてはならなくなる。

そうすると、死刑そのものの是非を問う議論が起きてしまうのではないか」と法務省は懸念しているのかもしれません。

死刑の実態をまず明らかにする

日本では09年から裁判員制度が始まり、死刑が言い渡される事件の裁判員に誰もがなる可能性が出てきました。一般の国民が死刑判決に関与させられるわけですから、政府は死刑の実情をオープンにするべきですし、それをしないことは裁判員になる人々に対して失礼です。

私は死刑に対しても懲役刑に対しても、「こういう重い犯罪ならやむを得ない」といった、ある程度一般的な感覚が反映されるべきだとは思っていますが、これはきちんと情報が提供されることが前提だと考えます。

例えば、現在の日本では犯罪の厳罰化が進んでおり、無期懲役は事実上の終身刑となっていますが、裁判員にその情報がきちんと提供されなかったことで、「無期懲役だと、そのうち刑務所から出てきてしまって困るから死刑にしよう」と判断されては大変なことになります。

情報がないままに命に関わる重い判断をさせるということは、あってはならないことです。

私は死刑存置派ではありますが、日本が今後も死刑制度や絞首刑を採用し続けるのであれば、法的な裏付けとともに「この方法は『残虐な刑罰』に当たらない」ということを国際社会に対して発信し続ける必要があると考えています。

執行のやり方も含めて、細かい段取りも議論し、ルール化することが大切。法律で決められていないというのは、法治国家としては一番まずいことです。

また、死刑の議論は、ともすると存続か廃止かという話に収れんしがちですが、まずは実態を明らかにする必要があります。

私は研究者として、議論の材料を人々に提供する責任があると考えていますので、情報が出されないことを嘆くばかりではなく、これからも公文書などの資料を地道に調べていこうと思っています。

文/永田憲史

「死」を考える

『エース』編集室
「死」を考える
2024/5/24
1,980円(税込)
328ページ
ISBN: 978-4797674477

孤独死、絶望死、病死、事故死、自死、他殺……

なぜ人は、年を取るごとに「死への恐怖」が高まっていくのか。

人は必ず死ぬ。だからこそ、人は「どう生きるべきか」を、みな考えている。

死から考える「人生の価値」、不死が人を幸せにしない理由、日本と諸外国との死生観の違い……医学・哲学・倫理・葬儀・墓・遺品整理・芸術・生物学・霊柩車・死刑制度などの専門家に、死への「正しい接し方」を聞く。

第1章 死を哲学する
養老孟司、香川知晶、鵜飼秀徳、内澤旬子、宮崎 学、永田憲史

第2章 死の科学
小林武彦、石 弘之、岩瀬博太郎、今泉忠明

第3章 死の文化的考察
小池寿子、中村圭志、井出 明、山本聡美、坂上和弘、安村敏信、安田 登

第4章 死と儀礼と
山田慎也、長江曜子、小谷みどり、町田 忍

第5章 身近な人を葬る――死の考現学
小笠原文雄、古田雄介、木村利惠、坂口幸弘、横尾将臣、田中幸子、武田 至

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