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【細野晴臣、吉田美奈子、忌野清志郎、遠藤ミチロウ】かつて東京の西にあったシティポップな「狭山アメリカ村」とロックンロールな「国立ぶどう園」、2つの音楽コミューンの今

集英社オンライン / 2024年7月13日 11時0分

1970~80年代。日本にはミュージシャンらが集う“2大コミューン”があった。一方は、埼玉県狭山市の「アメリカ村」。細野晴臣や小坂忠、吉田美奈子といった近年流行のシティポップの文脈で再評価されているミュージシャンたちが住んでいた。もう一方は、東京都国立市の「ぶどう園」。こちらは忌野清志郎や仲井戸麗市が出入りし、遠藤ミチロウらが住んでいた。あれから半世紀が経ったが、2つの場所は今どうなっているのか。ライターの佐藤誠二朗氏が、彼らの軌跡をたどる。

【画像】当時ジョンソン基地に隣接したアメリカ村は、今や駐車場に…?

狭山アメリカ村にあった伝説の“HOSONO HOUSE”

後にYMOを結成する細野晴臣が、はっぴいえんど解散翌年の1973年5月にリリースした、ソロ初アルバム『HOSONO HOUSE』。



アメリカの一部のミュージシャンらが実践していたホームレコーディングの手法を取り入れ、機材をそろえた自宅でレコーディングの全工程を行なった、当時の日本では画期的な作品である。

このアルバムの裏ジャケットには、レコーディング現場となった細野の自宅=ホソノハウスの住所が番地まで印されていた。

埼玉県狭山市鵜の木11-36。

県営狭山稲荷山公園と国道16号に挟まれたそこは当時、“狭山アメリカ村”あるいは単に“アメリカ村”と呼ばれていたエリアである。

2020年に発売された細野晴臣の評伝『細野晴臣と彼らの時代』(門間雄介・著、文藝春秋・刊)のプロローグを引用しよう。

かつてこの辺りはジョンソン基地と呼ばれていた。(中略)ジョンソン基地は段階的に日本に返還され、入間基地になり、基地の一角のハイドパークと呼ばれていた公園は狭山稲荷山公園になった。

基地に隣接する米軍ハウスが開放され、日本人に賃貸されるようになったのは返還が進むなかでのことだ。

この米軍ハウスが狭山アメリカ村である。

アメリカの文化や生活様式をそのまま残す、いってみれば日本のなかの米国は、アメリカに憧れを抱く戦後生まれの若いミュージシャンたちを呼びよせ、そこに夢と理想のアーティスト村を形成した。


『細野晴臣と彼らの時代』(門間雄介・著、文藝春秋・刊)

アメリカ村に根を下ろしたミュージシャンの暮らしぶり

細野のほかにアメリカ村で暮らしていたのは、小坂忠、吉田美奈子、洪栄龍といった、当時の音楽シーンで頭角を現しつつあった新進気鋭のミュージシャンたちだった。

1970年代にさまざまな洋楽アーティストを招聘し、のちにフジロックを主催するスマッシュの創設にも携わった伝説のプロモーター、麻田浩も狭山アメリカ村の住人。

麻田は、自ら監修し2023年に発売された写真集『狭山HYDE PARK STORY 1971〜2023』(TWO VIRGINS・刊)の中で、若きクリエイターたちが狭山に集結した理由についてこう述べている。

ひとつには当時のハウスの賃料が安かったことにある。家によって賃料は違ったが、ほとんどが20,000円から25,000円くらいだった。

(中略)

当時アメリカなどではヒッピーたちのコミューンという言葉が出てきて、僕らの住んでいた“狭山アメリカ村”をそう呼ぶ人たちも現れ、雑誌でも取り上げられるようになった。ただアメリカ村の住民たち、特に若い人たちはそういう気持ちはなかったと思う。確かにみてくれはヒッピー然としていたが、僕らはもっと慎ましやかな地味な生活をしていた。

『狭山HYDE PARK STORY 1971〜2023』(TWO VIRGINS・刊)

アメリカ村では各々の家の周りに塀も垣根もなく、隣人との行き来が頻繁に行われていた。細野家の隣には小坂夫妻が住み、細野と小坂はふざけて糸電話でやりとりしていたそうだ。

細野家はアメリカンなデザインの中古ソファやベッドを置き、家の壁はモスグリーンのペンキを塗り、実家から持ってきた大量のレコードを並べていた。

そんな日本音楽史の聖地ともいえる狭山アメリカ村は現在、駐車場になっている。

少し歩けば近隣には今も古い米軍ハウスが点在するが、“強者どもが夢の跡”といった風情で、事前情報がなければ、ここがそんな特別な場所と気がつく人はいないだろう。

ぶどう園の中に建ち並んでいた音楽家向け住宅

その狭山アメリカ村から南へ車で1時間弱。東京の国立市にも、1970〜80年代の日本の音楽シーンと縁深いコミューンの跡地がある。

一橋大学の裏手から徒歩数分のところにある通称「ぶどう園」は、当時はブドウを、現在ではキウイを中心に栽培している大きな民間農園だ。

ここはかつて、ブドウ棚の周囲を囲むようにヒマラヤスギなどの大木が茂る鬱蒼とした雰囲気の土地で、敷地内には古びたアパートが何棟も建ち並んでいたという。

4畳半1間・共同トイレの約200戸の部屋には、近くに国立音楽大学があったため(大学は1978年、立川市に移転)、音大生や若いミュージシャンが多く居住。彼らはあちこちで、常に楽器の音を響かせていたそうだ。

家賃は建物や部屋によって違ったが、平均すると10,000〜15,000円程度だったという。

一部では、国立市ゆかりのミュージシャンであるRCサクセションの忌野清志郎や仲井戸麗市も、かつてぶどう園に住んでいたと言い伝えられているが、彼らの居住実績はなく、住人の音楽仲間を訪ねていつも大騒ぎしていただけらしい。

1970年代末当時、このアパートに実際に住んでいたのは、ザ・スターリンのボーカル・遠藤ミチロウとドラムのイヌイジュンである。

イヌイが2020年に著した『中央線は今日もまっすぐか? オレと遠藤ミチロウのザ・スターリン生活40年』(イヌイジュン・著、シンコーミュージック・エンタテイメント・刊)の冒頭には、ぶどう園のことが描写されている。

春遅く、ぶどう畑の一本道でヘビを踏んで震え上がり、突然の雨にずぶぬれになりまた震えながら畑の真ん中に建つバラックの俺の部屋へ還りついては1週間ほどもその音を聞いていた。ディストーションだけは目一杯かけている。その音がとなりの棟との間にある畑を渡る間に湿気を帯びて情けない音になって聞こえてきているのであった。そして音が止むタイミングでノックを二度ほどして、それから鍵のかかっていないドアを開けた。

「パンク、すきなん?」割れた大きな鏡の前でギターをかかえて情けない音を出す、小さく痩せた男に声をかけた。「うん」。79年の春のことだ

『中央線は今日もまっすぐか? オレと遠藤ミチロウのザ・スターリン生活40年』(イヌイジュン・著、シンコーミュージック・エンタテイメント・刊)

その“小さく痩せた男”こそ、1980年代の社会を騒がせたスキャンダラスなパンクバンド、ザ・スターリンの遠藤ミチロウである。

当時から変わらないのはヒマラヤスギの巨木のみ

ザ・スターリンの前身バンドのメンバーであり、現在もミュージシャン兼漫画家として活動するツージーQは、2023年発売のマンガ『ぶどう園物語 ザ・スターリンになれなかった男』(ツージーQ・著、青林工藝舎・刊)のなかで、当時の暮らしと遠藤ミチロウのことを詳しく描いている。

福島で生まれた遠藤は山形大学を卒業後、インドを放浪し帰国。尿道結石を患って入院後、ぶどう園に住み着いた。遠藤の部屋にはやがて音楽仲間が集うようになり、いつも破壊的なギターの音があふれるパンクな溜まり場となったらしい。

彼らの他にも、のちにミュートビートで日本のレゲエ・ダブ界を席捲するトランペッターのこだま和文や、鍵盤ハーモニカの第一人者として知られるピアニカ前田などが、当時の“ぶどう園”を根城にしていた。

ツージーQのマンガには、かつて彼らが暮らしたアパートがあったあたりを、最近になって訪ねるくだりが描かれている。そこはきれいな住宅街になっていて、話を聞いた地権者の娘さんは「なんにも無くなっちゃったわよ。でもね、あれだけは昔のままよ」と、ヒマラヤスギの大木を指さした。

実際に現地を訪れてみると、当時を偲ばせるものはなにもない閑静な住宅街で、関係者以外立ち入り禁止の看板の奥に、キウイ園と思しき畑が広がっているのが見えるばかり。

だがそこには確かに、一際目立つスギの巨木がそびえ立っていた。

好きなミュージシャンの幻影を追い、彼らが青春時代のひとときを過ごしたエリアを巡り歩いてみた。

しかしコミューンがあったのは、今から40〜50年も前のこと。予測はしていたが、現在のそこには痕跡さえほとんどなかった。

だが、あの人もこの道を歩いたのだろうか、この木を眺めてなにを思ったのだろうか……などと想像するのは楽しく、その間の僕の頭の中では、彼らが作った素晴らしい音楽がリピート再生されていた。


(参考サイト)
当時のアメリカ村や『HOSONO HOUSE』のレコーディング風景も見られる、写真家・野上眞宏の写真ギャラリー。
http://nogamisnapshot.com/gallery/


取材・文/佐藤誠二朗

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