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〈石丸伸二氏〉SNSで大バズリの「恥を知れ!」 言われた相手市議は当時、病気だった。“信者”が「死ね」「議員辞めろ」と嫌がらせ電話、殺害予告も…体調は悪化し今年1月に死去。市議を追い詰めた”石丸旋風”とは?

集英社オンライン / 2024年7月17日 17時53分

<新党結成は?>「まるで芸能人のライブ」15分間の街宣活動から見えた「石丸マジック」の正体――熱狂はいかに作られたのか?「早くもメッキがはがれつつある」の声も〉から続く

東京都知事選に出馬し、165万票余りの大量得票で2位に食い込む大健闘を見せた石丸伸二氏(41)。彼の認知度が爆上がりしたきっかけは、前職の広島県安芸高田市長時代の4年前、本会議中に居眠りをしたり、質問をしない市議に対し「恥を知れ」と声を荒らげたことだ。これがSNSで大バズリ。だが居眠りをした市議は当時、脳梗塞を患っていた。若手「改革派」市長に血祭りに上げられたことで、“老害”市議に対する批判や嫌がらせは家族まで巻き込んで続き、ストレスを極度にためた市議は胃に関する持病を悪化させ、今年1月、68歳でひっそりと息を引き取っていた。



〈画像あり〉石丸氏の“敵”として信者たちから攻撃を受け続けた武岡議員と、写真で振り返るカオスすぎた都知事選。ほぼ裸ポスター、掲示板ジャック、政権放送で服を脱ぐ女性、「へいへい」と煽るつばさの党…


 

「途中から景色がグラリとしたと思ったらその後は記憶にない状態だった」

石丸氏が華麗なキャリアを投げ打って故郷の安芸高田市長に転身、“不届きな”議員に“天誅”を加えて人気を博したのは#1で伝えた通りだ。

2020年9月25日、石丸氏はTwitter(現X)で『いびきをかいて、ゆうに30分は居眠りをする議員が1名』と指摘。後に、その議員が武岡隆文氏だと判明すると、武岡氏は『居眠り議員』とレッテルを貼られて嫌がらせを受け続けた。

そして今年1月30日、三次市内の病院で亡くなり、ネット上でも「死因はストレスではないか」という噂が駆け巡った。詳しい経緯を知る現職市議が取材に重い口を開いた。

「居眠りを指摘された本会議のことについて、武岡議員本人からは『途中から景色がグラリとしたと思ったらその後は記憶にない状態だった』と説明を受けました。

隣席の議員も『揺すっても一向に起きないので、単に寝ているだけには見えなかった』と証言しました。そんなこともあり武岡議員が9月29日に病院で検査を受けたところ、睡眠時無呼吸症候群が確認され、居眠りをした時は『無症候性脳梗塞』だったと診断されています」

単なる居眠りではなかったのだ。武岡氏は翌9月30日に診断書を当時の議長に提出、議長は秘書広報室室長に託し、市長たる石丸氏にもすぐに渡った。しかし石丸氏はそれで矛を収めることはせず、議会と「対立」する姿勢を選んだようだ。市議が続ける。

「石丸前市長は、居眠りを指摘したことで議会から『敵に回すなら政策に反対するぞ、と説得?恫喝?あり』などとTwitterに投稿したことで話題が『恫喝』問題に移り、居眠り問題はいったん沈静化したんです。

しかし2年近く経った2022年の6月、市民団体のブログ記事をきっかけに再燃しました。これは武岡市議に取材したとする告発記事で、石丸氏が受け取った件の診断書をシュレッダーにかけたという衝撃的な内容でした。

居眠り問題について『議会は説明を拒み続けている』と批判し続けていた石丸前市長は、これを読んですぐさま報復と思えるような動きをしました。

武岡議員に『居眠りについて市民に対する説明が不十分』とする内容の文書を何度も送りつけてきて、最後は期限付きで回答を迫り、これを受けた武岡さんは記者会見を開いて市民に説明することを選びました。結果的にこの会見が武岡市議を精神的に追い詰めていったのです」

留守番電話に殺害予告が残っていた

会見は逆効果だった。石丸氏は「個人情報なので中身を確認せずそのままシュレッダーにかけた」と地元メディアの取材に話していたが、支持者には武岡氏があくまで「抵抗勢力」と映ったようだ。以降、深刻な嫌がらせが相次ぐようになった。

「会見後から武岡議員の自宅には昼夜問わず、誹謗中傷や脅しのような電話がかかってくるようになりました。『さっさと議員をやめろ』『死ね』といった内容のものから無言のものまで様々な電話が夜中の1時2時にもお構いなくかかってきて、武岡さんは日に日にやつれて元気をなくしていきました。

奥さんもこういう電話に対応しているうちに寝こむようになったそうです。そのうち頼んでもいない商品が自宅に届くような嫌がらせも続き、留守番電話に『殺すぞ』と録音が残っていたときには、さすがに警察に相談に行きました」

警察は脅迫音声を残した本人を特定して警告したが、武岡氏は処罰感情を表さず、事件化されなかったようだ。

「脅迫した本人が『もう二度とやらないから勘弁してほしい』と泣きを入れたそうで、警察がそれを武岡氏に伝えたところ『本人がもうやらんと言っているならそれでいい』と終わりにしたんです。

でも誹謗中傷の嫌がらせ電話はその後も終わることがありませんでした。とにかく石丸氏が何かを発信するたびに、この問題が再燃して嫌がらせもひどくなった。

タチが悪いことに石丸氏は根も葉もないことを平気で言うんです。2021年の8月の豪雨で多治比川が氾濫した際、浸水被害にあった現地を視察した武岡市議が『たいしたことないの』と発言したと石丸氏は議会で発言すると、またたく間にSNSで拡散されました。

そもそも多治比というのは武岡さんの地元ですよ。本人も『そんなこと言っとらん』と憤慨していました」

そんなことが繰り返され、武岡氏は心身のバランスを崩していった。それでも自宅には監視カメラを設置して外出先からも確認できるように対策を講じ、市議としての職務を全うしようと努めていたという。

「監視カメラを付けたのは、自宅にも何かイタズラをされたからだと思いますよ。とにかくどんどん体調が悪くなっていったのに、本人は無理して市民の意見を聞くための地域懇談会にも顔を出していました。

私が『無理するな。体を治すのを先にせえ』と忠告しても『また(市長に)何書かれるかわかったもんじゃないから』と出席していました。去年の冬にはかなり体も辛そうで、何かを食べるとすぐにトイレに行って吐き戻すようになったんです」

「家族をも巻き込んだ嫌がらせを受けてきた」

武岡氏はほどなく、三次市内の病院に入院した。同僚の市議はこう振り返った。

「武岡さんは入院中も議会のことを気にしていて、『石丸の政策を否決しないといけない』と漏らしていました。当たり前ですが“居眠り議員”のレッテルを貼られて家族をも巻き込んだ嫌がらせを受けてきたわけですから、悔しいし許せないという気持ちはあったのだと思います。

病態は胃に関するものということで、専門的な治療を行える岡山の病院に転院を希望していましたが、空きが出ないまま結局、三次市の病院で亡くなりました。奥さんも当初は前市長が許せないという気持ちはあったと思いますよ。通夜に訪れた全国紙の記者の取材に2時間近く答えていましたから。

でも、それもちゃんとした記事にならず『もうそっとしておいてほしい。かかわりたくない』という状態になってしまったんですよ」

失意のうちに非業の死を遂げた武岡氏。「その無念を少しでも世に知らせてほしい」と武岡氏の知人や同僚は声を揃える。また「石丸信者たちの嫌がらせが酷いから実名での掲載は勘弁してほしい」とも話していた。。

取材班は武岡氏の自宅も訪ねてみた。インターフォンを押して妻に取材の趣旨を伝えると、泣いているような震えた声が返ってきた。

「もうこりごりなんですよ、もう。ほんとに。触れたくない事ですので。主人も亡くなりましたし。もう関係ありませんので…」

対立した多くの人が恐怖する石丸氏と“信者”とは何者なのか。巻き起こした旋風が通り過ぎた後に残るのは何なのか。きちんとした検証が求められるべきだろう。(♯5へ続く) 

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集英社オンラインニュース班

暴走する”石丸信者”の横暴…対立議員の住所をさらし深夜に「死ね」と電話、頭髪が薄い議員の自宅には育毛剤…被害議員は「8月に石丸の映画が公開されたらさらにひどくなるのでは」これには石丸派からも「やりすぎ」の声〉へ続く

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