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〈なぜ働いていると本が読めなくなるのか〉「自分が決めたことだから、失敗しても自分の責任だ」社会のルールに疑問を持つことができない新自由主義の本質とは

集英社オンライン / 2024年8月6日 8時0分

日本の労働と読書の歴史を紐解き、なぜ日本人が本を読めなくなったかを明らかにしたベストセラー本『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』。

【画像】強制することができなくなった仕事の行事「飲み会」

本書より一部を抜粋・再構成し、2010年代に広まった新自由主義とは何かを解説する。

「多動力」の時代に

よくビジネス書では、人に好かれる能力を磨きなさいと説かれていますが、僕は逆だと思っています。人を好きになる能力の方が、よっぽど大事だと思います。

人を好きになることは、コントローラブル。自分次第で、どうにでもなります。でも人に好かれるのは、自分の意思では本当にどうにもなりません。コントローラブルなことに手間をかけるのは、再現性の観点でも、ビジネスにおいて当然でしょう。(前田裕二『人生の勝算』)

映画『花束みたいな恋をした』で、仕事に忙殺され、小説を読めなくなった主人公の麦が手に取っていたビジネス書『人生の勝算』。そこにはこんな言葉が綴られていた。

コントローラブルなことに手間をかける。それがビジネスの役に立つ。この発言は、まさに「ノイズを排除する」現代的な姿勢を地でいく発言ではないか。同書を読んだとき私は思わず、このページのスクリーンショットを撮ってしまった。

コントローラブルなものに集中して行動量を増やし、アンコントローラブルなものは見る価値がないから切り捨てる。それが人生の勝算を上げるコツであるらしい。

とにかく行動することが重要だと語る『人生の勝算』は、行動力に関するエピソードを多数収録する。前田自身、電話掛けの営業からメモの頻度や自己分析の量に至るまで、たしかに異常ともいえる行動量で知られる人物だ。

2010年代半ばのビジネス書の「行動重視」傾向は、同書だけに限ったことではない。『人生の勝算』と同じレーベルから出版された『多動力』(堀江貴文、幻冬舎、2017年)は30万部を突破。

あるいは『結局、「すぐやる人」がすべてを手に入れる』(藤由達藏、青春出版社、2015年)、『めんどくさがる自分を動かす技術』(冨山真由著、石田淳監修、永岡書店、2015年)といった行動を促すビジネス書は2010年代半ばに発売され、『花束みたいな恋をした』のなかで、社会人になった麦の本棚に収められていた。どの本も「行動量を上げることで、仕事の成功をおさめる」ことを綴ったビジネス書である。

新自由主義とは何か

また「行動重視」以外にも、『人生の勝算』は興味深い価値観を提示している。それは著者の前田が「自分の人生のコンパスを自分で決め、努力する」ことを繰り返し説いている点である。自己決定権こそが大切だということだ。

つまり、新自由主義的思想を前田はとにかく忠実に内面化している。ここで新自由主義(ネオリベラリズム)について簡単にまとめておこう。

新自由主義的社会とは、国家の福祉・公共サービスが縮小され、規制緩和されるとともに、市場原理が重要視される社会のことである。このような社会においては、資本主義論理─つまりは市場の原理こそが最も重要だとされ、国家の規制は緩和されるため、企業間の競争は激しくなる。

同時に、個人の誰もが市場で競争する選手だとみなされるような状態であるため、自己決定・自己責任が重視される。たとえば近所だから助け合う、同じ会社だから連帯して組合をつくるなどの共同体論理よりも、現代では組織や地域に縛られず自分のやりたいようにやること、自分の責任で自分の行動を決めることなどの個人主義が重視されている。

これも新自由主義的思想だと言えるだろう。

日本でも1990年代から2000年代にかけて、民営化が進み、金融自由化が進んだ。それはまさに「新自由主義」思想が広まる一端を担った。結果として、自己決定・自己責任の論理を内面化する人々が増えた。

というか、個人のビジネスマンとして市場に適合しようとすれば、新自由主義的発想にならざるをえない。

市場の波にさらされているとき、組織や隣人よりも、まず自分のことを守ろうとするのは当然のことである。

もしこれを読んでいるあなたが「自分の責任で自分のやりたいことをやるべきだ」「失敗しても、それは自分のせいだ」と思うことがあるならば、ひと昔前なら「社会のルールに問題があるのかもしれない」という発想をしたかもしれない、ということを思い出してほしい。

新自由主義的発想は、私たちの生きる社会がつくり出したものである。

前田の『人生の勝算』を読んでいると、まさにこの新自由主義的発想を内面化していることがよく分かる。「自分の人生のコンパスを自分で決め、努力する」という論理は、自己決定・自己責任論そのものだ。

市場という波のルールを正そうという発想はない

何度も言うが、この前田の価値観は社会がつくり出したものでもあるので、このような発想を持つ個人を批判する気は毛頭ない。というか、私もまたそういう価値観を重視する人間のひとりである。

選択肢を他人に決められたくない、自分で決めたいといつも思っている。今の社会に適応しようとすると、このように考えないと幸せになりづらいのでは、とすら感じる。

一方で、「自分が決めたことだから、失敗しても自分の責任だ」と思いすぎる人が増えることは、組織や政府にとって都合の良いことであることもまた事実である。

ルールを疑わない人間が組織に増えれば、為政者や管理職にとって都合の良いルールを制定しやすいからだ。ルールを疑うことと、他人ではなく自分の決めた人生を生きることは、決して両立できないものではないはずなのだ。

しかし『人生の勝算』にそのような視点はない。当然である。

仕事や社会のルールを疑っていては─たとえば「こんなに飲み会をやっていたら、誰かいつか体を壊すのでは?」とか「そもそも日本のアイドルの労働量は過多であり、配信まで増やしたら彼女たちの時間の搾取は進むばかりでは?」とか─ビジネスの結果を出す「行動」に集中できないからだ。

市場という波にうまく乗ることだけを考え、市場という波のルールを正そうという発想はない人々。それが新自由主義的社会が生み出した赤ん坊だったと言えるかもしれない。

写真/shutterstock

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

三宅 香帆
なぜ働いていると本が読めなくなるのか
2024年4月17日発売
1,100円(税込)
新書判/288ページ
ISBN: 978-4-08-721312-6

【人類の永遠の悩みに挑む!】
「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。

「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。
自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。

そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは? すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。

【目次】
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章   労働と読書は両立しない?
第一章  労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代
第二章  「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代
第三章  戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中
第四章  「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代
第五章  司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代
第六章  女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代
第七章  行動と経済の時代への転換点―1990年代
第八章  仕事がアイデンティティになる社会―2000年代
第九章  読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代
最終章  「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします

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