なぜ働いていると本が読めないの? 「娯楽」が「情報」になる日…読書はいつから「ノイズ」になったのか
集英社オンライン / 2024年8月8日 8時0分
〈「意志を持て」「ブラック企業に搾取されるな」「投資しろ」「老後資金は自分で」働き方改革と引き換えに労働者が受け取ったシビアなメッセージ〉から続く
現代の「読書」は娯楽として楽しむことよりも、情報としていかに処理するかが求められている風潮があるが、それはなぜなのだろうか。
書籍『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』より一部を抜粋・再構成し、教養とは、あるいは知識とは何かを解説する。
SNSと読書量
2010年代、SNSが人々の生活に本格的に普及した。
そもそも2010年にはスマートフォンの世帯保有率が9.7%だったのに対し、2015年には72.0%まで上昇し、2020年(令和2年)には86.8%にまで至っている(総務省「通信利用動向調査」より)。2010年代の情報環境において最も大きな変化はスマートフォンの普及だろう。
そのなかで人々のSNS利用も増大した。ICT総研による「SNS利用動向に関する調査」(2020年)によれば、ネットユーザー全体に占めるSNS利用率は2015年で65.3%だったが、2020年には80.3%に達している。他者とのコミュニケーションのためにSNSを利用する人が増大した。
SNSの普及は、読書量に影響をもたらしたのだろうか?
上田修一「大人は何を読んでいるのか―成人の読書の範囲と内容」の調査によれば、近年数年間の読書の量について、「減った」と答えた人(35.5%)のうち、SNSの影響を挙げた人(6.2%)よりも、「仕事や家庭が忙しくなったから」と答えた人(49.0%)のほうがずっと多い。
読書量が減ったと感じている人のうち、半数が「仕事や家庭が忙しい」ことを原因と感じている─。これはまさに「働いていると本が読めない」という現象そのものである。
本を早送りで読む人たち?
2020年代初頭現在、「読書法」というジャンルの書籍において「読書を娯楽として楽しむことよりも、情報処理スキルを上げることが求められている」という現実がある。
そう、もはや数少なくなってしまった読書する人々のなかでも、読書を「娯楽」ではなく処理すべき「情報」として捉えている人の存在感が増してきているのだ。
たしかに私が書店に行っても、速読本はいつでも人気で、「東大」や「ハーバード大学」を冠した読書術本が棚に並び、ビジネスに「使える」読書術が注目されている。「速読法」や「仕事に役立つ読書法」をはじめとして、速く効率の良い情報処理技術が読書術として求められている。
読書ではなく映画鑑賞について、「情報」として楽しむ人が増えていると指摘したのは稲田豊史『映画を早送りで観る人たち―ファスト映画・ネタバレ─コンテンツ消費の現在形』だった。
稲田は現代人の映画鑑賞について、以下のような区分が存在すると述べる。
芸術─鑑賞物─鑑賞モード
娯楽─消費物─情報収集モード
このような区分が人々のなかに存在しており、だからこそ「観る」と「知る」は違う体験である、早送りで映画を見る人たちの目的は「観る」ことではなく「知る」ことなのだと稲田は説く。
稲田の思想に沿わせるとするならば、読書もまた同様に以下のような区分が可能になる。
①読書─ノイズ込みの知を得る
②情報─ノイズ抜きの知を得る
(※ノイズ=歴史や他作品の文脈・想定していない展開)
小説などのフィクションを「知」とまとめるのは抵抗がある人もいるかもしれない。しかし本稿では、メディアに掲載されている内容すべてを「知」と呼ぶことにする。というのも本稿は、「勉強・学問」と「娯楽としての本・漫画」を区別していないからだ。
だとすれば近年増えている「速読法」や「仕事に役立つ読書法」が示す「読書」とは、やはり後者の②「情報」をいかに得るか、という点に集約される。情報を得るには、速く、役立つほうがいいからだ。そして労働にとって、②「情報」は必要である。しかし労働にとって、①「読書」は必要がない。
市場という波を乗りこなすのに、ノイズは邪魔になる。アンコントローラブルなノイズなんて、働いている人にとっては、邪魔でしかない。……だとすれば、読書は今後ノイズとされていくしかないのだろうか?
自分と関係がない情報、という「ノイズ」
興味深いのが、『映画を早送りで観る人たち』と同年に出版された『ファスト教養』である。同書は「仕事に役立つ教養」という切り口で教養を速く手軽に伝える人々の存在を「ファスト教養」という言葉で定義し、その発生は新自由主義的思想の台頭と因果関係があると説明する。
ファスト教養は、まさに〈ノイズを除去した情報〉としての教養のことである。たとえば起業家・投資家の田端信太郎は「えらい人と話を合わせるツール」として教養が使えるという旨を述べていることを、著者のレジーは批判的に参照する。
しかし一方で興味深いのが、田端が教養として「過去のポップカルチャーの知識」を挙げる点である。
採用面接を受けに来たある若者が、音楽ユニットのフリッパーズ・ギターのことを知っていた。フリッパーズ・ギターといえば、少し昔に流行った音楽で、若者にとってはもはや「教養」だろう。
しかし若者がたまたまフリッパーズ・ギターという過去のポップカルチャーについて明るく話が盛り上がったことに好感を持ち、採用を決めた。
要は、若者は学業や専門的なスキルではなく過去のポップカルチャーという教養で、採用を手に入れたのだ。この件から田端は「一般教養が重要」という教訓を導く。
これを「一般教養」というのか「人間力」というのかわかりませんが、ビジネスの場面では案外そういうものがものを言います。(『これからの会社員の教科書―社内外のあらゆる人から今すぐ評価されるプロの仕事マインド71』)
『ファスト教養』はこの田端の発言をまさにファスト教養的だと説明する。昔の作家やミュージシャンに関する知識があることが「一般教養」とされていることもそもそもファスト教養的だし、さらにそんな「一般教養」を知っていることが面接で役に立つという言説もまたファスト教養的である、ということだ。
しかしここで田端が挙げる「教養」が現代で流行していない=現代の流行の文脈をさかのぼったところにある情報であることに注目したい。
フリッパーズ・ギターのどこが「教養」らしさを帯びているのかと言えば、「過去」というノイズが存在しているにもかかわらず、その情報にたどり着いたところにある。
つまり面接を受けた若者と、フリッパーズ・ギターの間には、「(自分の時代とは関係のない)過去の流行」というノイズ性が横たわっている。彼にとってフリッパーズ・ギターは、時間軸からすると、今の自分から遠く離れた場所にあったのだろう。しかしその遠く離れた場所にある知識に、彼は届いた。
もしかすると、フリッパーズ・ギターの知識を得ようとした動機は、「いつかおじさん世代と喋るときに役立つかもしれないから」かもしれない。しかし動機がなんであれ、若者はノイズ性(=今ではなく過去に流行した音楽であること)の含まれた知識にたどり着いた。
彼はフリッパーズ・ギターを通して、いささか大げさに言えば、他者の文脈─おじさん世代に流行した音楽という文脈─に触れたのだ。
これが教養でなくて、何だろう。今回の例はきわめて示唆的なエピソードではないだろうか。教養とは、本質的には、自分から離れたところにあるものに触れることなのである。
それは明日の自分に役立つ情報ではない。明日話す他者とのコミュニケーションに役立つ情報ではない。たしかに自分が生きていなかった時代の文脈を知ることは、今の自分には関係がないように思えるかもしれない。
しかし自分から離れた存在に触れることを、私たちは本当にやめられるのだろうか?
私たちは、他者の文脈に触れながら、生きざるをえないのではないのか。
つまり、私たちはノイズ性を完全に除去した情報だけで生きるなんて─無理なのではないだろうか。
写真/Shutterstock
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