中国の銃殺刑の現場に立ち会って死刑制度の是非を考えた…人間は誰しも死刑存置論者、死刑廃止論者両方になりうる存在である
集英社オンライン / 2024年7月31日 8時0分
〈日本では80年前まで「不倫」は犯罪だった!? 大正時代には10000人以上が起訴された姦通罪とは?〉から続く
日本と中国、米国の法律に詳しい一橋大学大学院法学研究科教授の王雲海氏は、大学3年生のときに死刑の現場に立ち会った経験を持つ。氏が考える死刑制度の是非と、人の心とは。
本稿は書籍『日本の刑罰は重いか軽いか』より一部を抜粋・再構成したものです。
頭の半分がなくなった遺体
死刑に関する比較の本を書いたことのある私は、「死刑廃止論者ですか」とよく聞かれる。
そのときはいつも、「基本的には死刑廃止論者である。また、そうでなければならないとも思っている」という、外交辞令のような答え方をする。
筆者が死刑に直接関わりを持ったのは、中国で人民陪審員を務めていたときと、大学3年時に実習として死刑を最も多く扱う中級人民法院に配置されていたときである。
「今日執行されるよ」と告げられた元共産党の地方幹部だった死刑囚が「命だけは助けて下さい。人民のために、党のために何でもします」と土下座して哀願する様子、「執行される」という言葉を聞いた途端、尿も便も禁じ得なくなり泥のような体と化した殺人犯の死刑囚、涙を零しながら「今からあの世へ行くから、両親のことを頼む」と見送りに来た妹に話しかける女性の死刑囚、「明日の朝あの世で会おうぜ」と隣の死刑囚に声をかけて最後まで強がりを見せようとするものの、無念さが青白い顔に凍り付いている若者の死刑囚などを見た数時間後に、銃の音と共に脳みそが血と交じりながら飛び散り、頭の半分がなくなった遺体を目の当たりにすると、言葉でうまく表現できないような、一種の「変で妙な感じ」がする。
一方で、「こんなひどい目に遭うことを知っているのになぜ罪を犯したのか」という、一種の憎悪感でもあるようで、でもないような感覚がどこかから軽く浮かんで来る。
他方では、「数秒前までは自分と変わらない人間を、こんなにめちゃくちゃにしてよいのか、別の方法はないのか」という、一種の不憫感でもあるようで、でもないような心情がどこかから濃く漂って来る。
筆者が小学生のころ、中国はちょうど文化大革命という政治運動の最中で、階級闘争として「公開逮捕大会」や「公開判決言い渡し大会」があちこちで行われていた。会議がある度に、犯罪者が大勢の公衆の前で手錠をかけられ、刑を言い渡され、会場も物々しい雰囲気で、銃を構えている警察や兵士が講壇などの目立った場所に立っていたりした。
このような風景に、幼い筆者も大変な恐怖を覚えていた。恐怖のあまりに少しの賢さも出て、「支配されるほうや、やられるほうよりも、支配するほうや、やるほうに絶対になろう」と思うようになった。
筆者が、権力者そのものである裁判官になろうと志して、大学で権力と密接な関係のある法学部を選んだのは、まさに「支配する側」になるためであった。
基本的に死刑廃止論者である理由
しかし、皮肉にも「権力者である裁判官になる」という夢は、卒業前の死刑に関わった体験で破られた。というのは、中国では当時も今も、死刑執行をその場で指揮するのは、当該死刑判決を言い渡した裁判官本人なのである。
筆者は、実習のときの体験から、自分がそれを好きでないことが分かったし、実習が終わった後、毎晩死刑執行の場面が目の前に浮かんで来る悪夢を約1ヶ月間ずっと見て、夜中に変な叫び声を上げ続けていた。
それで、自分は人に死刑を言い渡し、実際にその執行を指揮することができるほど「偉い男」ではないことを悟ったのである。
裁判官志望を諦めて最終的に法学研究者に転向した筆者の権力に関するこれまで辿った心理的過程は、「権力の崇拝者→権力の懐疑者→権力の理解者」というようなものであった。大学での体験を経て、死刑は廃止すべきであると思うようになったのである。
しかし、それ以来筆者はその姿勢を貫き、死刑が必要であると思ったことはどんなときでも、どんな場合でも一度もなかったかと言うと、明らかにうそになる。
今でも時々、「死刑はあっても仕方がない」「死刑はやむを得ない」と思うことがある。特に、何の落ち度もない子供が殺されて孤独で悲惨な人生に追い込まれた親の苦しい表情や、犯人によって親を殺されて孤児になった幼い子供の可哀そうな顔を見たとき、また、人を殺したのに他人事のように振る舞う犯罪者を目の当たりにしたときには、「死刑は例外的にあってもよい」「この事件だけは死刑が適用されてもよい」と思うこともある。
ここに、筆者が、自分は「基本的に死刑廃止論者」と述べるわけがある。
心が揺れる人間
今の日本では、死刑存置論者と死刑廃止論者が激しい論争を繰り広げている。死刑存置論者による死刑廃止論者への反論によく使われている問いの一つに、「もしあなたの家族や親族が犯罪で殺されても、まだ死刑廃止を主張するのか」がある。
筆者が思うに、いくら死刑廃止論者と言っても、よほどの確信的な人間でなければ、身内の誰かが殺されたり、ひどい目に遭ったりしたら、やはり筆者と同じように、「例外的に、またはこの事件だけは犯人を死刑にしてもよい」と思うことがあるはずである。
逆に、いくら死刑存置論者であっても、よほどの確信的な人間でないと、死刑囚に哀願されたり、脳みそと血が飛び出したりするような執行場面を目の当たりにしたら、筆者と同じように心がどこかで動いて、「他の方法はないのか」と思うことがあるはずである。
今の日本では、国民の8割近くが死刑の存置に賛成しているが、これほど高い死刑支持率を保っているのは、日本での死刑執行は行刑密行主義に沿い、極めて密室的なやり方で行われ、ごく少数の関係者以外には誰も死刑執行の場面や状況を見ることも、知ることもできないからであろう。
もし死刑囚に対する絞首の生々しい場面や過程を一般国民が見聞きできるようになったら、日本での死刑支持率はかなり下がるのではないかと筆者は思う。
このように、我々人間は感情や感覚のある動物である。その感情や感覚は場面によって揺れ動くものであり、また変わるほうがむしろ自然である。筆者は「死刑を廃止すべきである」と思っている人間ではあるが、「死刑は存置すべきである」と言う人間に対しても、その気持ちを理解できるように常に思っている。
文/王雲海
写真/shutterstock
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