ひきこもりの兄を持つ57歳男性「不妊治療をやめたら、1つ道が閉ざされた感じがした」家族にぶつけた怒りの矛先…突然の父親の死から向き合った初めての人間関係
集英社オンライン / 2024年7月27日 11時0分
〈30年以上ひきこもる兄を“恥”だと思っていた57歳の弟、兄の存在が原因でフラれ続けEDにも…「もう背負うのは嫌だな」兄の死を願ってしまったワケとは〉から続く
新潟県長岡市出身の間野成さん(57)には30年以上ひきこもった兄がいる。兄のせいで交際相手に何度もフラれ、一時は「兄が死んだ方がいい」とまで思い詰めた。教師だった父親が原因で兄がひきこもったと思い、ずっと父親を憎んでいたが、あることをきっかけに気持ちが切り替わる。(前後編の後編)
「俺が兄を背負えばいいんだろう」
間野さんが結婚したのは43歳のときだ。相手は4歳下の会社員女性。ひきこもる兄のことを打ち明けて、「経済的な負担が増えるかもしれない」と話しても、妻は「別にできる範囲のことしかできないし、私は気にしない」と言ってくれたのだという。
もともと子ども好きな間野さん。結婚してすぐに不妊治療を始めたが授からず、5年で貯金が尽きた。
大みそかに子どもをあきらめる決断をして、正月に2人で帰省。妻もいる前で10数年前にデザイナーとして独立した際に「郵便局を継げ」と言われた話を蒸し返し、ずっと消えなかった怒りを父親にぶつけた。
「不妊治療をやめたら、僕の中では人並みの人生をあきらめたというか、1つ道が閉ざされた感じがしたんです。それで、どうしても我慢できなくなって、父親に言いたいことを言った。そうしたら、なんか吹っ切れたんです。『俺が兄を背負えばいいんだろう』って、頭が切り替わったんですよ。
もし、妻が兄のことを気にしていたら、僕も肩に力が入ったままだったかもしれない。だけど、妻は全部知った上で、妙なラベルを貼り付けたりしないで兄と普通に接してくれたんです。妻には本当に感謝しています」
父に謝罪され、憎しみが蒸発
その年の11月に1人で帰省した際、台所でコーヒーを淹れて飲んでいたときのこと。父親が間野さんのそばに来て、直立不動のまま言った。
「今まで苦労かけてすまなかった」
あまりに唐突で、その瞬間は何を言われているのか実感がなかったが、時間が経つにつれて、じわじわとその言葉が沁み込んで来たという。
「別に、父親が謝ってきたから俺が勝ったということでもないし、許したってわけでもないんだけど、謝罪されて憎しみが蒸発したっていう言い方が適切かな。兄がひきこもった原因を父に求めたことで憎悪の気持ちも積み重なっていったけど、父親としては好きなんです。子どものころスキーにいっぱい連れて行ってもらった楽しい思い出もあるし。
父に対する憎しみが消えたと同時に、兄のことを重荷だとか、負い目だとか、恥だと思う感情も消えたんですよ。自分でも不思議なんですが」
間野さんに謝ったことで父親自身も心境の変化があったのか。それまで話したこともなかった、戦時中に自分が所属していた部隊についてなど、父が大切にしている思い出話を細かく語り始めたそうだ。
周囲の人にカミングアウト
「お父さんが死んだ」
父に謝罪された3か月後の2017年2月、間野さんは30年ぶりに兄と話した。受話器から聞こえてくる兄の声は、昔とまったく変わっていなかった。
「父が死んだことよりも、ああ、お兄さんがしゃべってると思って、ビックリしましたね」
父は首の骨を痛めた後、だいぶ体が弱っていた。雪の降る寒い日に風呂から出てこないので母親が様子を見に行ったら、湯船で意識を失っていたそうだ。享年92歳だった。
当初、葬儀は親族だけでやろうと思っていたのだが、50年来の付き合いのある隣家の人に伝えたら、町内の人たちも来てくれた。香典返しを持って各家にあいさつに行ったとき、間野さんは兄がひきこもっていることを初めて伝えた。
「それまでは帰省して近所の人と会っても、兄のことに話題が及ぶのが嫌ですぐ家に入っちゃってたんです。皆さんも気付いていたと思うけど、長年見て見ぬふりしてくれてたんじゃないかな。
ふり返ってみると、何が一番辛かったかと言うと、兄の存在を恥だと思って隠していたことなんですね。話せなかったことで僕も地元で人間関係を作れなかったんです。
思い切って話したら、お隣の方からは兄の様子を知らせる手紙を頻繁にいただくようになりましたし、同級生とも前は『会いたくないなー』という感じだったのが平気で会えるようになった。今は自分の足元から人間関係を作り直している感じがして、楽しくてしょうがないです(笑)」
間野さんは他のひきこもりの人たちの話も聞いてみたくなり、ひきこもりの居場所や家族会に顔を出すようになった。2年前からOSDというひきこもり支援団体の手伝いもしている。
OSDは「O(親が)S(死んだら)D(どうしよう)」の略で、弁護士、司法書士、不動産鑑定士、カウンセラーなど専門家が、自立への支援から親亡き後の相続など多岐に渡る相談に乗っている。間野さんは事務局マネージャーを務めるかたわら、自分の体験談を講演で話したりしている。
「僕のスタンスとしては、ひきこもり当事者には問題はない。当事者の外側に何らかの問題があるから、ひきこもりという状況に追い込まれてしまうと思っています。そういう風に考えられるようになったから、みんなの前で話すことも平気になったのかな」
みんなに見守られ、花を育てる兄
父親が亡くなったことで、兄の気持ちにも変化があったのだろう。認知症の症状が出てきた母親のため、間野さんが介護用品やお米などを通販で買っていたのだが、兄が店舗に買いに行ってくれるようになった。
母親が要介護4になり自宅にケアマネージャーやヘルパーが来ても、最初のころ兄は2階の自室から降りてこなかったのだが、じょじょに部屋から出てきて話をするようになった。現在93歳の母親の食事はヘルパーが作ってくれるので、自分が食べる野菜炒めなど簡単な料理もするように。
父の死後、荒れていた庭の手入れも自発的に始めた。色とりどりの花を咲かせるようになり、それを見た近所の人とも二言三言、話ができるようになったのだという。
それまで兄は外部との接触がまったくなかったわけではない。
ひきこもって10年ほど経ったときに、ひきこもりの相談会が長岡市でも始まり、両親と一緒にしばらく通って精神科の医師につながった。精神科クリニックには今も通院しており、数年前からは障害年金も受給している。
ひきこもった経緯などを聞いていると、間野さんの兄は先天的な脳の偏りである発達障害の傾向があるようにも思える。そう指摘すると、間野さんは少し考えてこう答えた。
「兄は繊細な部分とそうでない部分が両極端ですね。花の世話はよくするけど、それ以外はほったらかしで整理整頓ができないし、確かにデコボコはあるかもしれない。でも、別に発達障害って言わなくても、そういう特徴がある人なんだと思えばいいんですよ。障害年金を受給しているから何らかの精神疾患はあると思うけど、診断名は忘れちゃった。
弟から見た兄はセンスのいい人です。昔から兄の部屋には筒井康隆、星新一とか文庫本がずらっと並んでて。『巨人の星』や『あしたのジョー』、石ノ森章太郎のマンガやビートルズ、サイモンとガーファンクルなどレコードもいっぱいあった。中学生のころはラジオ作りに熱中していたので工具や部品だらけで、それがカッコよく見えたんですよ。
今日も晴れているから、兄は夕方まで土いじりしていると思うけど、かつてラジオを作っていた風景と、重なるんですよ。今はもう、兄を背負っているっていう感覚はないですね」
そして、間野さんはにこやかに笑いながら、こう続ける。
「最近思うのは、結婚相手に、うちの兄、いいんじゃないかなって(笑)。できることは少ないけど、やさしいですよ。それだけじゃダメですか?」
取材・文/萩原絹代
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