なぜ日本では楽しさが究極の評価になり得ないのか? 楽しさよりも、〈ためになること〉を追う文化の貧弱さとは
集英社オンライン / 2024年8月23日 10時0分
〈「振られても、相手のことが好きなら失恋ではない」詩人・谷川俊太郎が考える恋を失うこと、恋することの孤独とは〉から続く
1975年に雑誌『新潮』に寄稿された谷川俊太郎のエッセイ『 楽しむということ』。楽しむという行為に対して、なぜ後ろめたさを感じるのかという彼の考察は、49年経ったいま、より現代人に突き刺さるものになっている。
【画像】日本とは異なる?アメリカ人のエンジョイ
『カラダに従う』より一部抜粋・再構成してお届けする。
楽しむということ
楽しむとはどういうことなのだろうか。悲しみや怒りにくらべると楽しさは分りやすい感情のように思えるので、私たちはしばしば楽しさとは単純なものだと考えがちだ。
自分が楽しんでいるかどうかは、すぐに分る。ところが自分が悲しんでいるのかどうかは、自分でも決定しかねることが多い。悲しみには他のたとえば怒りとか、憐れみとか嫉妬とかの感情が混りやすいが、楽しさはもっと純粋だと、そう言えるのかどうか。
それとも他の感情とちがって、楽しさにおいては、人間は自分をいつわることが少いのであろうか。
楽しいと言ってしまえば、そのあとにはもう余分な言葉や説明は不要なように思えて、そのことで楽しさというものが、何か底の浅いもののように思えることがある。
悲しいと言うと、人間は悲しみのわけを詮索したくなる。
それは私たちが悲しみをいやしたいと願うからなのだろう。
それと対照的に楽しさのわけを私たちは余りたずねたがらない。
楽しければそれで結構じゃないか、楽しさは長つづきするにこしたことはないのだから、出来るだけそっとしておこうというわけなのだろうか。
自分が楽しい時は、その楽しさにかまけてものを考えないし、他人が楽しそうな時は、いささかの羨望からその楽しさに無関心になる、そんな心の動きがあるような気がする。そのおかげで私たちは、楽しむということのもつ、さまざまな陰翳をとらえそこなうことがありはしないか。
うまい物を食う楽しさがある、好きな人と共にいる楽しさがある、ひとりでぼんやり時を過せるという楽しさもある、そして一篇の詩を読む楽しさがある。
それらを私たちは均質に楽しんでいるのだろうか。それらの楽しさのちがいを言葉で言い分けることは難しいにしても、少くともそこに微妙な味わいのちがいは存在するだろう。
エンジョイという言葉
人生を楽しむと一口に言っても、子どもの楽しみかたと、おとなの楽しみかたの間には差があるだろう。
理由のない悲しみというようなものがあるとすれば、理由のない楽しさもあるだろう、そのどちらがより深い感情かは断じがたいはずなのに、私たちはともすれば笑顔よりも、涙をたっとぶ。
アメリカ人とつきあうようになったころ、エンジョイ(楽しむ)という言葉に、彼等が私たち日本人よりも大切な意味を与えているらしいと知って、少々奇異な感じがしたおぼえがある。
パーティに招かれても、すぐに主人役が近づいてきて、楽しんでいるかと訊く。イエスと答えれば彼は満足するし、帰りがけにこっちが言うお礼の言葉も、楽しかったとひとこと言えばそれで十分なのである。
そのエンジョイという言葉は、たとえば一篇の詩の読後感にも、真率なほめ言葉として使われる。パーティも楽しむものなら、詩も楽しむものだというその考えかたに、何かしら少々大ざっぱなものを感じたと同時に、彼等が私たち以上に楽しむことを大事にしているのを、うらやましくも、またいじらしくも思った。
楽しさを口に出せば、その人が本当に楽しんでいるのかと言えば、そうも言えないだろう。他人に伝える必要のない、自分だけの楽しさもあるし、他人とわかちあうことで余計に楽しくなる楽しさもある。
日本人がアメリカ人よりも、楽しさを感ずる度合が少いとは思わない。けれどひとつの社会が、楽しむということにどれだけの価値を、暗黙のうちにおいているかということになると、これはまた別の問題になる。
私は比較的自由な家庭に育ったけれど、楽しむということにいつもかすかなうしろめたさのようなものを感じていた。
楽しむことはどこかで不真面目につながり、またどこかで子どもっぽさにも通じていた。
楽しかった?ときかれて、うんと答えるのは動物園帰りの子どもには許されるけれど、おとなにはふさわしくない、たとえ楽しかったとしても、おとなはそれを顔には出さぬものだと、そんな風に考えていたようなところがある。
楽しさというものは感覚的なものであり、それは精神よりもむしろ肉体にむすびついていて、どこかに淫靡(いんび)なものをかくしていたとさえ言える。
楽しさよりも先ず、何かしら〈ためになること〉を追う
こういう感じかたがどこからきたのかをさぐるのは、私にとっては容易なことではない。
武士は白い歯を見せてはならないという儒教的な伝統が、我が家にも残っていたのかもしれないし、私の母が影響を受けたと思われるキリスト教的な禁欲主義が、目に見えないところで私をしばっていたかもしれない。
そうしてまた、宮沢賢治の〈世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない〉という言葉に集約されているような、理想主義的な考えかたが、自分だけの楽しみに或るやましさを与えていたということもあったかもしれないし、何よりも戦中戦後の生活の困難が、楽しむということを一種のタブーにしていたと思う。
そういう風に感じる自分に反撥(はんぱつ)するような気持で、肉体が性的に成熟しようとする一時期、私は少しむきになって過去にも未来にも目をつむり、自分ひとりの現在に生きる楽しさを謳歌したことがあった。
しかしそれでもまだ、私には感覚の全的な解放に対するおそれのようなものがあったようだ。これは私ひとりだけの感じかたであったのだろうか。
今の日本に生きる私たちは楽しむことに事欠かないように見える。楽しむことはおおっぴらに奨励され、楽しむための技術はさまざまに工夫され、それは人生の唯一の目的であるかのようにも装われている。
それが単に楽しみを売る商業主義の結果だけでないことは、反体制的な若者たちもまた、物質に頼らぬ質素な生活の楽しみを求めてさまよっているのを見ても分るだろう。
だがその同じ私たちが、一篇の詩を本当に楽しんでいるかどうかは疑わしい。詩に限らず、文学、芸術に関する限り、私たちは楽しさよりも先ず、何かしら〈ためになること〉を追うようだ。
楽しむための文学を、たとえば中間小説、大衆小説などと呼んで区別するところにも、自らの手で楽しむことを卑小化する傾向が見られはしまいか。感覚の楽しみが精神の豊かさにつながっていないから、楽しさを究極の評価とし得ないのだ。
楽しむことのできぬ精神はひよわだ、楽しむことを許さない文化は未熟だ。詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの底の浅さも表れていると思う。
悲しみや苦しみにはしばしば自己憐憫が伴い、そこでは私たちは互いに他と甘えあえるが、楽しみはもっと孤独なものであろう。楽しさの責任は自分がとらねばならない、そこに楽しさの深淵ともいうべきものもある。
それをみつめることのできる成熟を私たちはいつの間にか失ったのだろうか、それとも未だもち得ていないのだろうか。(「新潮」1975年1月号)
写真/Shutterstock
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