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材木座に現れた、肩の力の抜けた海街の気軽さと都会のクールさが混在するカフェ&レストラン

集英社オンライン / 2024年8月3日 11時0分

5月の鎌倉に行くなら…モダニズム建築と滋味深い発酵食材の料理の両方が楽しめる長谷の「モキチ」へ〉から続く

鎌倉で育ち、今も鎌倉に住み、当地を愛し続ける作家の甘糟りり子氏。食に関するエッセイも多い氏が、鎌倉だから味わえる美味のあれこれをお届けする。昨年秋、材木座に出現し、瞬く間にランドマーク的存在となったコンクリート造りの建物。その2階にあるカフェ&レストランで出会える「絶品」とは

〈画像多数〉センスあふれる空間と絶品イタリアンメニューの品々

材木座のランドマーク的存在になったグレーの建物

「鎌倉の暮らしってどうですか?」

鎌倉に移住を考えている人から時々相談を受ける。
迷っている人には、山もあって海もあって、けれど街の楽しみもあるから楽しいよ、湿気と塩害もあるけどね、といって背中を押している。コンパクトにまとまった旧市内エリアだけでもさまざまな個性のお店があって、もはや鎌倉にないのはディスコ(って、今は言わないか)とSMクラブくらいかもしれない。

つまらない冗談はさておき、材木座にアーツ&サイエンスがオープンしたのは2023年の秋。海岸からほど近い風景の中にコンクリートの素っ気ない建物が現れ、のどかな街はざわついた。少し前まで薬屋さんだった場所はそこだけ切り取ったように都会だった。

アーツ&サイエンスはスタイリストのソニア・パークさんが手掛けるセレクトショップ。それまでは青山や代官山、京都に福岡などの「大都会」(比較対象・鎌倉)にあって、鎌倉に出店するとは意外だった。
洋服やバッグ、小物から、お香やキッチン周りのもの、家具まで暮らしにまつわるものが広く扱われていて、セレクトはどれもが上質かつシンプル、なんだけれど時々遊び心というエッセンスが一滴垂らされている、といったら伝わるだろうか。鎌倉でこのセンスに触れられるという喜びの中にも、果たして風通しの良すぎる潮風の街と馴染むのだろうかという不安がちょいとだけあった。

しかし、そんなおせっかいな心配は無用だった。気がつくと、都会的なグレーの建物は材木座のランドマーク的存在になっていた。

2階はアーツ&サイエンスが経営するカフェ&レストラン「セカンドフロア」で、その存在が大きいと思う。都内の人気イタリアン出身の長尾明シェフが切り盛りしており、ショッピングだけでは敷居が高そうなこの空間をぐっとこちら側に引き寄せる役割をしてくれる。
ランチはもちろん、待ち合わせだったり一息つきたい時だったり、利用の仕方はその時々、人それぞれ。ランチはイタリアンに収まらず、山椒ダルカレーやファラフェルピタサンドなどエスニックなものもあって、いつも迷ってしまう。

ちなみに、こちらで使われているコーヒー豆は「グッドグッディーズ」によるもの。鎌倉発の同店も負けず劣らずスタイリッシュなコーヒーショップだ。

肩の力を抜いて余裕を残したスタイルが鎌倉にはよく似合う

ショップ横の階段から2階に上がると右側にはオープンキッチンとカウンター、テーブル席が二つ。左側のスペースには10人ぐらいが座れる大きな楕円形のテーブルがあり、空間の主役感を醸し出している。こちらの家具はすべて、ショップで扱っているikkenのもの。京都の家具・建築のユニットとのこと。

テーブルの横の大きなガラス窓からはちらりと材木座海岸が見える。今まで、海の見えるレストランとそれ以外という分け方しかしていなかったけれど、こういう「海のチラ見え」もいいものだと知った。とても大人っぽい。

目を引くのは壁にかけられた大きな油絵だ。ブラウスを着たトルソーの前に魚が二匹。深めの色調と相まって、はなやかさやさわやかさとは無縁、おどろおどろしさの二歩手前。何かが起こりそうな、いや、何かが起こってしまった後かもしれないが、そこには濃い物語が描かれている。想像力が解放される一枚なのだ。
大正生まれの三流画家「ユアサエボシ」という設定で発表を続ける現代の作家の作品である。ググってみると、かなり細かくユアサエボシの経歴が決められていておもしろい。

無難な絵を飾らないところに「セカンドフロア」なんていう、そっけない店名がしゃれた響きになる理由を見つけた。こういうエッジをきかせることをセンスというのではないだろうか。

週末は夜も営業しているので、私は気のおけない友人との会食に使うことが多い。ランチの時のエスニックは消え、都会的なイタリアンとなる。決して気を衒わない、自慢げなところがない、でも「実は」手がこんでいる、そういうイタリアン。

アラカルトのみなので黒板にチョークでその夜のメニューが書かれていて、わいわいと迷いながら決めていくのも楽しい。素材に寄り添っていて、季節感が満載なのはある意味日本料理に近いようにも感じる。

そして、特筆すべきはパンのおいしいこと! 必ず焼きたてのブリオッシュとフォカッチャが供されるのだが、それがもうおいしくて私は毎回お代わりをしている。セカンドフロアは、イタリアっぽく「コペルト」というテーブルチャージを支払う。これが焼きたてのパン代だと思うと、もっと支払いたくなるぐらいおいしい! 

バイザグラスのナチュールワインが充実しているので、食事が終わってもついおしゃべりして長居をしてしまう。階段を降りて店の外に出ると、思いの外夜が深まっていることに気が付くあの瞬間が好きだ。

目一杯着飾るのもまあ楽しいけれど、何事にも肩の力を抜いて余裕を残したスタイルを心掛けているし、鎌倉はそれが似合う街だと思っている。そうそう、だからアーツ&サイエンスおよびセカンドフロアの個性と合うわけだよね。

この店には海街の気軽さと都会のクールさとが混じり合って、他にはない空気が流れている。

写真・文/甘糟りり子 

鎌倉だから、おいしい。

甘糟りり子
100種類近いアラカルトを好きなように楽しめるオステリア…究極の普段使いのレストラン「コマチーナ」_10
2020年4月3日発売
1,650円(税込)
四六判/192ページ
ISBN:978-4-08-788037-3

この本を手にとってくださって、ありがとう。
でも、もし、あなたが鎌倉の飲食店のガイドブックを探しているのなら、
ごめんなさい。これは、そういう本ではありません。(著者まえがきより抜粋)

幼少期から鎌倉で育ち、今なお住み続ける著者が、愛し、慈しみ、ともに過ごしてきたともいえる、鎌倉の珠玉の美味を語るエッセイ集。
お屋敷街に佇む未来の老舗(イチリンハナレ)、自営の畑を持つ野菜のビーン・トゥー・バー(オステリア・ジョイア)、カレーもいいけれど私はビーフサラダ(珊瑚礁 本店)、今はなき丸山亭の流れをくむ一軒(ブラッスリー・シェ・アキ)、かつての鎌倉文士に想いを馳せながら(天ぷら ひろみ)……ガイドブックやグルメサイトでは絶対にわからない、鎌倉育ちだから知っているおいしさと魅力に出会える1冊。
素材が豪華ならいいというものでもない、店の内装もまた味わいの一端を担うもの、いいバーとバーテンダーに出会う喜び……著者自身の思い出や実体験とともに語られる鎌倉のおいしいものたちは、自然と「いい店」「いい味」ってこういうことなんだな、という読後感をくれる。
版画のように精緻なタッチで描かれた阿部伸二によるイラストも美しく、まさに読んでおいしい、これまでなかった大人のための鎌倉グルメエッセイ。

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