「焼燐弾で焼かれた子どもと女性は、骨まで焦がし地べたをのたうち回り苦しんだ」米海兵隊による虐殺が行われた悲惨な沖縄戦
集英社オンライン / 2024年8月15日 8時0分
〈「首里の町あたり一面に死体が広がっていた」沖縄戦、民間人の半数以上は第32軍司令部の無謀な作戦が原因で命を落とした〉から続く
沖縄戦史研究者が日米の資料を読み解きながら、第二次世界大戦中の沖縄戦での首里城攻防をまとめた書籍『首里城と沖縄戦』。
【イラスト】敗走する日本軍に追撃を加え続けた戦艦ニューヨーク
書籍より一部抜粋・再構成し、米軍の勝利が決まった後に行われた悲惨な虐殺の様子を伝える。
戦艦の追撃
退避する日本軍や民間人に砲撃を加えたのは、戦艦ニューヨーク、重巡洋艦ニュー・オーリンズ、および軽巡洋艦ヴィンセネスであった。
これら艦船は、5月25日から月末にかけて、首里や周辺町村から移動する人の群れに対し、第1海兵師団の要請を受けて砲弾を撃ち続けた。
南下するには、南風原村一帯の一日橋や那覇近郊の真玉橋などを越えねばならなかった。橋の手前で右往左往する民間人や兵士らを目掛け、艦船は休みなく巨弾を発射した。戦艦ニューヨークの迅速な艦砲射撃に対し第1海兵師団は、「砲撃要請から約1時間で、素早く発砲していただき感謝します。本当にいい仕事をしてくれました(*1)」と26日に感謝電を送っている。
さらに翌27日には同じく第1海兵師団が、戦艦3隻に感謝電を打電している(*2)。ただし、同じ艦船でも重巡洋艦ニュー・オーリンズの反応は幾分違っていた。同艦の艦長は、退避行動で混雑を極める道路への攻撃には気が引けたようだが、「これは軍事的に必要だと考え、砲撃命令を下した。道路上の大量移動が最初に目撃された13分後、重巡洋艦ニュー・オーリンズの20センチ主砲が、ゆっくり進む日本軍の長い縦隊に向かって火を噴いた(*3)」。
米軍が攻撃をためらったのは、日本側が対米プロパガンダに利用した「米軍による民間人や兵士への大量虐殺行為」をここで立証することになるからである。
また、退避行動の際、多くの者が白の装束であったからである。これについて米空中偵察隊は、「これら人々は白い衣服を着けていたので兵士とは信じられなかった。事前に日本軍戦線後方に宣伝ビラを投下しており、白い衣服を着けている者は、民間人と認め、こうすれば機銃掃射や爆撃はしないと告げてあった(*4)」と述べている。
仮にそうならば、巡洋艦などが白い服を着たいわゆる「民間人」が集まっている只中に長距離の大型艦砲射撃を行なうことは、国際法にもとる戦争犯罪で、大量虐殺の片棒を担いだことになる。
日本兵が松明のように燃えながら
一般の地上戦闘とは異なり、艦砲射撃による殺戮行為はその実態が分かりにくいものである。ただし戦艦ニューヨークなどの住民追撃は、地上部隊からの指示によるものであり、明らかに戦闘行為を越えたものである。沖縄戦において住民は、日米軍双方から法理や人倫もなく殺され続けたわけだ。
もっとも退却する日本兵からすれば、貴重な医薬品である包帯を身にまとうことと民間人に偽装することは、戦術上同じことだった。そのことは、5月30日未明、首里市崎山町の第62師団通信隊壕から脱出した一将校の言葉にも現れている。
「暗夜の(脱出)行動では先行兵の姿を見失うことを考え、医務室から貰い受けた包帯を利用、各人が『白たすき』をすることに決めた。また先行する兵士の名前を呼び合い、各人は必ず十数メートルの距離を保つこと。また万一受傷し、斃れても、状況上救助不能の場合は自決も止むを得ない。(中略)数台の無線機が、十字鍬で叩き壊された(*5)」という。
しかしそれでも米艦隊は、白衣を着けた「民間人」を撃ち続けた。なお、米軍の調査では、日本軍が退却行動をとった後の路上には、推計で1万5000人の民間人の死体が横たわっていたという。
ところで前線の米軍が、日本軍の撤退開始を把握したのは5月26日のことであった。この日だけで約5000人から6000人が移動中と、米軍偵察隊は報告しているが、米軍司令部は、26日の日本軍の行動を南北間の部隊移動とみなした。
参謀会議でもG-2は、「我々は、大砲で多くの日本兵を殺さねばならぬ。戦艦は、終日16インチ砲で、首里城を砲撃し続けている。ブルース将軍は、『首里城にガソリン・パイプラインを敷くか(*6)』」と火責め攻撃を提案した。
これは、生き埋めではなく、究極の地下の完全転圧・焼滅作戦であった。本計画は、日本軍が脱出したため実行には移されなかったが、首里に取りつくまでに米軍は、日本軍陣地や壕にガソリンを投入し、梱包爆雷で陣地を破壊する究極の作戦を続けていた。本作戦について従軍記者が本国に次のように伝えている。
「残酷な戦闘が激化(5月半ば、第1海兵師団は)首里の西にある尾根沿いに進み、日本軍に向けて『流油』作戦を展開中である。16人ずつの班に分かれた海兵隊員が、油の入ったドラム缶をロープで尾根の頂上まで引き上げ、そこから珊瑚の断崖づたいに油を流し、手榴弾で炎上させる。すると陣取っていた洞窟や尾根から日本兵が松明のように燃えながら悲鳴を上げて飛び出し、そこで機関銃弾に倒されるのである(*7)」
子どもや女性たちは、骨まで焦がし、地べたをのたうち回り苦しんだ
また海兵隊は、民間人が隠れる壕にも「流油作戦」を行なっている。
本作戦に参加した一人の海兵隊が、80歳になりそのときの状況を書物に残した。
「我々は中に潜んでいるものすべてを殺すために、洞窟から洞窟をパトロールした。(中略)(洞窟にガソリンを注入すると)咳をしたり、泣き叫んだりして男、女、子供たちが飛び出てくる。彼らの目は焼けただれ、衣服は黃燐弾が燃え、衣服に付着し、消すことはできない。衣服をとおして、肉体や骨にまで火が達する。
彼らが痛がる様子は、恐ろしいものであり、子供たちが負傷者となったときは特に恐ろしい光景だ。海兵隊は残酷にも(彼らを見ながら)くるったように笑いこける。子供が母親に抱きついて、ガソリンを取り除こうとするのをみて笑っている(*8)」
証言を行なったジョセフ・ランチョッティ兵士は、こうも述べている。
「日本軍は、大きな洞窟(ケイブ)から口の開いた壕に民間人多数を放り出した。(ガソリンを投入すると)民間人が叫び声を上げている。彼らは、恐ろしさと痛みのために地べたをのたうち回っている。(中略)仲間の破壊野郎が私に(やめろと)叫んでいたが、私は女性の服に付いているガソリンを、ナイフでそぎ落としてやった(*9)」
油で焼かれ、松明のように燃えながら悲鳴をあげる日本兵を、海兵隊は機関銃で止めを刺すのである。また黄燐弾で焼かれた子どもや女性たちは、骨まで焦がし、地べたをのたうち回り苦しんだ。人が人でなくなったのではない。人間であるが故の残虐行為であった。
さて、バックナー将軍が、日本軍の撤退について、5月31日の参謀会議で意見を述べている。「牛島は、首里から撤退する船に乗り遅れてしまった。牛島が別な戦線を構築することは、もう不可能だろう。(中略)彼の首里からの撤退の決断が2日間遅すぎたということだ。通信手段は最悪で壕がもぬけの空なので、時間をかけて日本軍は移動したのだろう(*10)」
また、6月15日には、こうも述べている。
「日本軍は、米軍の艦船すべてを沈めたと言っていたはずだ。それがなぜ、首里に陣取り南部に撤退したのか。日本軍は、わが軍の補給を食い止め、遊び半分我々を殺すと言っていたのではないか(*11)」
バックナー将軍は、日本軍が南部に撤退したことについて地団太を踏んでいたのである。この3日後の6月18日、バックナー将軍は戦死した。この日、バックナー将軍は沖縄戦に新たに投入された第2海兵師団第8海兵連隊の南部での作戦を視察中、日本軍の対戦車砲弾が近くに着弾し、その欠片(一説には岩片)が左胸に当たり、戦死した。
ユーモアを好む豪傑肌な軍人であった。バックナー将軍は、民間人に対する海兵隊の無分別な行動を厳しくいさめたが、日本兵は数多く殺せと命令していた。
イラスト・写真/shutterstock
*1 *4 US Navy, The History of the U.S.S. New York, BB-34(1945). World War Regimental Histories. 162 , p.54.
*2 同上。
*3 キース・ウィーラー、谷地令子・水谷驍訳『ライフ第二次世界大戦史 日本本土への道』22巻、タイムライフブックス、1979年、186頁。
*4 Roy E. Appleman et al., Okinawa :The Last Battle, Center of Military History USArmy, 1948, p.389.
*5 大橋正一『沖縄戦回想 悲涙の戦記―沖縄戦回想第六十二師団通信隊』朝日カルチャーセンター、1990年、214―215頁。
*6 10th Army Okinawa Diary by Lt. Col. John Stevens and M/SGT. James M. Burns, op. cit., 28 May.
*7 『デイリー・ニューズ』1945年5月22日、前掲『沖縄県史 資料編3 米国新聞にみる沖縄戦報道 沖縄戦3 和訳編』162頁。
*8 Joseph Lanciotti, The Timid Marine : Surrender to Combat Fatigue, iUniverse, 2005, pp.85-86.
*9 Ibid., p.86.
*10 10th Army Okinawa Diary by Lt. Col. John Stevens and M/SGT. James M. Burns, op. cit., 31 May.
*11 Ibid., 15 June.
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