「この国にもっと精神病患者が、増えればいいと思っています」というセリフの真意は? 日本社会に巣くう“心の問題”を救うスーパードクターを描いた漫画『Shrink〜精神科医ヨワイ〜』がヒットした理由
集英社オンライン / 2024年8月30日 12時0分
パニック障害、うつ病、発達障害──。隠れ精神病大国と呼ばれる日本だが、精神病患者の数自体は、アメリカなどと比べると少ない。その一方で、自殺率は先進国の中でも最悪レベル。そんな日本の現状を変えるべく、人の“心”を救おうとする精神科医・弱井幸之助の奮闘を描いた漫画『Shrink〜精神科医ヨワイ〜』が8月31日からNHKにてドラマ化される。注目作の原作を務める七海仁さんに漫画制作の裏側を聞いた。(前後編の前編)
【漫画】ドラマ放送に合わせて読みたい『Shrink〜精神科医ヨワイ〜』
漫画原作デビューが大ヒット作に!
――この漫画を手掛けるまでの、七海さんのキャリアを教えてください。
七海仁(以下同) アメリカの大学院でジャーナリズムを学び、帰国後は日本の通信社に勤務していました。その後、出版社で英文誌の編集長を経て、5年前に初めて漫画原作者として『Shrink』の連載を始めました。
――原作者デビューが『Shrink』とはすごいですね。なぜ、精神医療をテーマにしようと?
家族が精神疾患を患ってもう10年以上になるんですが、その間「どうすれば、この病はよくなるんだろう」「病院以外に協力を得られる場所はどこだろう」といろいろ調べたことを、家族会でお話ししたりしていたんです。家族会が終わってから、「さっきお話ししていたこと、詳しく教えてください」と行列ができることが何度もあって、なぜこんなに当事者や家族に、必要な情報が行き渡らないのかなと思っていました。
たぶん、世間的に精神医療のことを話すのは恥ずかしいことで、精神科に通うことは弱い人間のやることだと思われている。だから、当事者やご家族の方が表立って情報交換をしないんじゃないかと思いました。その状況は変えたほうがいいだろうというのが、この作品を書こうと思った理由のひとつでしたね。
――作画の月子先生とはどのようにマッチングしたのでしょうか?
そこは編集部主導です。何人かの方にコンペで描いていただいたそうですが、同じシナリオでも作家さんによってまったく違っていらっしゃって。なかでも、月子さんはページ数が一番多くて、柔らかく優しいタッチで描かれていたので、精神医療という難しいテーマを扱うのに、いいんじゃないかというお話になったと伺いました。
――シナリオを書くときに意識していることはありますか?
取材先の方々に対して失礼のないよう、また、しっかりお話ししていただけるよう、まずは私自身が勉強をすることです。取材を重ねて得た知識や情報は、原作にする段階で載せられるのは2割程度で、残る8割方をいったん捨てなくてはいけません。やはり、その取捨選択が非常に難しいところですね。
主人公の精神科医・弱井の名前の由来とは
――難しいテーマの作品は、得てして説明調になってしまいますよね。
そうなんですよね、あまり説明が長いと、どうしても漫画としては面白くなくなってしまいます。だから、いかに知識をしっかり見せながら疲れずに読んでいただけるかは、かなり意識しているところです。
あとは、精神医療をテーマにしているので、なにより当事者の方を傷つけてはいけないし、読者の方を不必要に戸惑わせたり、病に対して余計な誤解を生んだりしてはいけません。ですので、症状を大げさに描いたりせず、できる限り正しい医療知識や、現在のデータをベースに書くようにしています。
――とはいえ、劇中のセリフにはインパクトが強いものが多いです。これらのセリフはどう考えているのでしょうか。
医療従事者や支援職の方々を取材した際にヒントをいただくことはたくさんありますし、もちろん当事者の方から実際の言葉としていただくこともあります。それらを、読者の方々やその周りの方たちの体験と、どう繋げて身近に感じてもらえるかということを意識しています。
――エピソードごとに登場するキャラクターもとても魅力的です。シナリオの時点でかなり固めているのでしょうか。
シナリオを月子さんにお渡しするときに、性格の特徴をできるだけ挙げたり、外見のイメージについても俳優や有名人の方をモデルとして提案したりします。それをもとに月子さんがさらにイメージを膨らませて素敵なキャラクターを作り上げてくださっています。
――それ以外に、月子先生にリクエストしてることはありますか?
ネームの段階で一番修正をお願いすることが多いのは表情だと思います。表情からキャラクターの症状や感情がどんな状態なのかをなるべく見せたいと思っているので、細かいお願いをさせていただくことがあります。
――特に、主人公である精神科医の弱井(幸之助)先生は、優しい雰囲気がとても魅力的です。「弱い」という特徴的な名前をつけた理由はありますか?
アイコンとしてわかりやすい名前にしたいなと思いました。この企画を立てたときに考えていた「弱いことは悪いことではない」、「弱いからといって精神疾患にかかるわけではない」ということを伝えたかったのと、弱井自身が多くの知識を持つスーパードクターな一方で、片付けが下手だったり、悲しい過去を持っていたりして、彼自身も不完全な人間だということを大事にしたくて「弱井(い)」という名前にしました。
いい精神科医と悪い精神科医を見極める方法
―― 一方で、読み進めるうちに「これだけ患者に真摯に向き合ってくれる精神科医が実際にどれだけいるのだろうか」とも思ってしまいました。
読者の方にもよく聞かれるのですが、いることはいるんです。クリニックで働いている先生の中にも弱井のような特徴を持った先生方はいらっしゃいます。
例えば、コミックス3巻のPTSD編(震災編)で書いた、「夜中に予約のメールを送るということは、“いま”苦しんでいるのだから一刻も早く診てあげよう」というのは、実際に取材先の先生に聞いた言葉です。ただ、そういう先生の割合は高くはないんですよね。その格差は他の科よりも大きいと思っています。ですので、『Shrink』ではそういった精神医療の中の格差もテーマとして取り上げています。
――ちなみに、いい精神科医と悪い精神科医を見極める方法はあるのでしょうか。
まず、「精神科」を標榜しているかどうか、先生が精神科の専門医であることが前提として大事です。そのうえで、初診で生育歴なども含めて時間をかけて聞いてくださる先生には、いいお医者さんが多いと思います。
ただ、精神科は特に患者さんと先生の相性が大切だと思うので、ひとつのクリニックが合わなくても、できれば「精神科がダメ」とは思わずに、自分に合う先生が他にもいるかもしれない、と考えていただけたらいいなと思います。
――漫画に描かれていたように、「精神科」と「心療内科」の違いも実はわかっていない人が多いですからね。
そうなんですよね。1巻はそうした感想が本当に多かったです。なんとなく心療内科のほうが行きやすいようなイメージがあるんですよね。
――第1巻は、特にこの漫画の根幹にある考えが描かれていると思いますが、なかでも「僕はこの国に、もっと精神病患者が増えればいいと思っています」という弱井先生のセリフは強烈だなと思いました。このセリフの真意を教えてください。
精神科に通うハードルが下がれば下がるほど、いまよりも楽に過ごせる人が増えると思っているので、そういう意味で書きました。私もわりとショッキングなセリフだなとは思ってはいたんですけど、編集部のチェックもそのまま通ったので「よかった」と(笑)。本編を読んでいただければメッセージはちゃんと伝わると思いますし、『Shrink』の読者さんには制作側の意図を汲んでくださろうとする方も多くて。ありがたいなと思います。
――精神医療をテーマに描いていても、決して、露悪的な漫画ではないですからね。
現在悩んでいる方ならこの内容でも、読んでいてつらい…と感じることはあると思うんですよ。だから、少しでも気持ちを楽にして読めるように、必ずハッピーエンドで終わるように決めています。
取材・文/森野広明
〈自殺率は先進国で最悪レベル…隠れ精神病大国、日本の“心の闇”を描いた異色の漫画。NHKドラマ化の先に見据える日本の精神医療への期待「この国には苦しむ心を持つ人を待ち受ける甘い罠が多すぎる」〉へ続く
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