ハンマーで殴られて音楽に目覚めた弟とのバンドで世界の頂点に。デビューアルバムが英国音楽史上最速で売れたオアシスの「終わりの始まり」
集英社オンライン / 2024年8月10日 16時0分
1996年8月10日、11日の2日間に渡ってネブワースパークで25万人超を集めたバンド・オアシス。当時のイギリス全人口の2%にも及ぶ250万人以上がチケットを申し込んだと言われている史上最高の英国バンド・オアシスはいかにして世界の頂点に立ったのか、その激しくも刹那的な足跡を追う。
【画像】世界で2000万枚以上を売り上げたオアシスのアルバム
アメリカで「ロック」復権、その時のイギリスの回答が“オアシス”
1990年代前半。アメリカではそれまでの商業音楽の象徴だったヘヴィ・メタル、あるいはベテランアーティストの計算され尽くしたサウンドを否定するかのように、ニルヴァーナやパール・ジャムらのグランジ勢を筆頭とする荒々しいオルタナティヴ・ロックが隆盛。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズらのミクスチャーやグリーン・デイらのポップパンクも脚光を浴びる。
こうしてアメリカで「ロック」が着実に復権されていく中、イギリスからの回答がオアシスだった。1994年4月5日、ニルヴァーナのカート・コバーンが自殺してから6日後の11日。オアシスは『Supersonic』でデビューした。
労働者階級代表のオアシスは、同じくイギリスのバンドで中産階級代表のブラーとともに、「ブリット・ポップ」としてUKの音楽シーンを席巻。二つのバンドのライバル対決も抜群の宣伝効果となり、1995〜97年に狂乱期を迎える。
映画『トレインスポッティング』をはじめとした英国産のカルチャーが爆発して、日本のファッションやストリートシーンにも大きな影響を与えた。当時の首相ブレアが掲げた「クール・ブリタニア」や「ブリット・ポップ」の中心にいたのは、間違いなくオアシスだった。
最も有名なロックンロール・バンドになった彼らは、90年代の残りとゼロ年代を駆け抜けて、2009年に解散。原因はノエルとリアムのギャラガー兄弟の度重なる確執だったのは言うまでもないが、その栄光の始まりも、この二人なくしてあり得なかった。
ノエルは音楽、リアムは喧嘩に明け暮れていた…
アイルランド人の両親のもと、マンチェスターで生まれた次男ノエル、そして5歳年下の三男リアム。アルコール依存症の父親の家庭内暴力が原因で母親に育てられた幼少時代。
ノエルはやがて音楽とギターに夢中になり、リアムは喧嘩に明け暮れるようになる。そんなある日、ハンマーで殴られたことをきっかけにリアムも音楽に目覚めた。
すでに同郷の先輩バンド、インスパイラル・カーペッツのローディをしていたノエルがリアムのいるバンドに加入して、1991年にオアシスが誕生。そして失業手当を頼りに地味に練習やライブを繰り返した結果、1993年にクリエイションとレコード契約。必死で働いていた母親に早く楽をさせてやりたいと思っていた兄弟は、この日のことを今も忘れていない。
『Supersonic』『Shakermaker』『Live Forever』と、シングルをリリースしていくにつれて人気は急上昇。
1994年8月のデビューアルバム『Definitely Maybe』は、英国音楽史上最速で売れたNo.1アルバムとなった。同年9月には初来日公演も行い、感度の高い若い世代の歓声を集めた。12月には有名な『Whatever』を発表。
翌95年10月には最高傑作『(What's the Story) Morning Glory?』で遂に世界的にブレイク。このセカンド作は世界で2000万枚以上を売り、シングルカットされた『Some Might Say』『Roll with It』『Wonderwall』『Don't Look Back in Anger』は、どれもが大ヒットした。
バンドのソングライティングを担う兄ノエル。そして独特のスタイルでマイクに向かう弟リアム。
「人に向かって歌うことで怒りを発散していた」リアムは、トラブルメイカーのロックンロール・スターとなり、乱闘事件をはじめタブロイド紙のネタに事欠かない。
一方でステージでは黙々とギターを弾くノエルは、ツアーで失踪したり、数々の問題発言(「ドラッグやるのは朝の紅茶みたいなもんさ」など)を通じてこちらも新聞沙汰に。
オアシスにはトラブルが絶えなかったが、そのたびに何事もなく戻って来るのが凄かった。普通のバンドならとっくに崩壊してしまうだろう。
ノエル「俺たちは音楽で火をつけた」
仲がいいのか悪いのか分からないギャラガー兄弟の間に漂う緊張と口論も、バンドをタフに成長させることに一役買っていた。反体制を貫くオアシスは権力やメディアに叩かれていくが、そんなことではビクともしなかった。
1996年8月10日、11日に開催されたネブワース公演には、何と250万人もの申し込みがあり、25万人の観衆を集めた。このステージはオアシスの頂点といわれている。
公営住宅から生まれたバンドがわずか数年で切り拓いた道程。
しかし、この日を境にオアシスは“ブランド”や“ビジネス”に覆われて、昔の仲間たちも企業や資本に切り捨てられていく。
ノエルが「終わりの始まりだった」と言うように、彼の視線の先にはオアシスの解散がすでに見えていたのかもしれない。世の中にネットカルチャーが台頭してくるのもこの頃。世界は凄まじいスピードで変わろうとしていた。
弟リアムは、デビューからの数年間をこんな言葉で振り返った。
「悲しいことやムカつくこともいろいろあったけど、ほとんどがハッピーで楽しい思い出だよ」
そして兄ノエル。
「俺たちは音楽で火をつけた。ファンは俺たちの船に乗った。俺たちとみんなの間には何かが通じ、磁石のように引きつけ合った。愛もヴァイブも情熱も、怒りも喜びもみんなからもらった。それがオアシスだ」
文/中野充浩、TAP the POP サムネイル/Shutterstock
*参考・引用/映画『オアシス:スーパーソニック』
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