日本初、性別適合手術からのプロレス復帰。エチカ・ミヤビが「女として生きていく」と腹を決めるまで
集英社オンライン / 2024年8月19日 11時0分
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2022年、新興プロレス団体〈PPP.TOKYO〉でデビューしたエチカ・ミヤビは、MtF(出生時に割り当てられた性別が男性で、性自認が女性のトランスジェンダー)の女子プロレスラーだ。幾多の葛藤を経て、9月に性別適合手術からのプロレス復帰を目指す彼女が、「女として生きていく」決めた理由とは?
『わたしたち、体育会系LGBTQです 9人のアスリートが告白する「恋」と「勝負」と「生きづらさ」』より一部を抜粋、編集してお届けする。
強くて、かわいい女になりたい
ファイトを終えたエチカ。見ると複雑な気持ちになるのはわかっているのに、つい試合についてのXのポストやYouTube動画のコメント欄をのぞいてしまう。
「元・男!」
「結局、また男っぽいことしているじゃん」
そんな言葉を目にするたび、エチカは胸をグサリと刺されたような気分になる。
それに比べれば「ブス!」なんて言葉は、うれしくないが、まだマシだ。
わかっている。「おら!」「うりゃ!」なんて叫び声を上げて技をかければ、「男!」「男!」「男!」なんてナイフのような言葉が飛んでくることは。
でも、ありのままの自分を出すのがプロレスの魅力。そこについてはエゴイストでなければならない。おかしいくらいに熱狂している人間でなければ、お客も熱狂してくれない。
ムカつくから殴る。痛てぇから叫ぶ。それでいいじゃないか。女だって、危険を感じれば大声で抵抗の声を上げ、手足をバタバタさせて必死に抗うじゃないか。
エチカが目指すのは「かわいくて、強い」女子プロレスラー。その道に迷いはない。ひたすらに自分の信じた道を進めばいい。
だけど、まだ「自分はどう見られているのか」と気になってしまう弱い自分がいる。だから、つい今日もコメントを見てしまう。
それはプロレスラーとして、まだ自分が未熟な証拠だ。
いつか、自分に「男!」とヤジを飛ばす客にも、そんなことを言わせないくらい、めっちゃかわいくて、めっちゃ強い女子プロレスラーになりたい。いや、なる。「もともと男?そんなの関係ないじゃん」と言われるくらい、魅力的なプロレスラーに。
だから今日も弱い自分を認め、受け止め、立ち上がり、もっと素敵な女になるために鏡に向かい、もっと強くなるためにリングに上がるのだ。
「男として生きる」と言い聞かせて
エチカ・ミヤビは2022年、新興プロレス団体〈PPP.TOKYO〉でデビューした女子プロレスラー。ただし、女性は女性でもMtF(出生時に割り当てられた性別が男性で、性自認が女性のトランスジェンダー)である。2001年3月25日生まれの期待の若手だ。
「幼い頃から仮面ライダーとかに興味が湧かなくて、好きなのはディズニープリンセスやプリキュア。戦隊モノでも目がいくのは女子でした。友達と戦隊ごっこをしようとなれば、男子の多くはリーダーで主役っぽいレッドの役をやろうとするんですよ。
でも、私は『ピンクでいい』とポソッと言う感じ。周囲の大人は『控えめな子だな』なんて思っていたんじゃないですか。実際、小学校の途中くらいまでは内弁慶の引っ込み思案なタイプでしたけど」
自分の心は〝女性〟である。物心ついたときにはそうだった。
「ズボンではなくスカートがはきたくて、『なんでこっちはダメなの?』とかピーピー泣いては母を困らせていたみたいですね。本当に嫌だったんでしょう。母には『それは違うの、あなたは男の子なのよ』とたしなめられていたそうで。ワガママな子だと思われていたかもしれません」
だからといって、母に恨みはない。時代的にもそれが普通だっただろうし、仕方がないことだったと思っている。
「服は仕方ないけど、好きなものは否定しない母でしたから。仮面ライダーが嫌で、戦隊ヒーローではピンクの役が好き、みたいなことについてはダメとか言われませんでした」
母は未婚のままエチカを産んだ。今も誰が父親なのかは知らないし、記憶もない。祖母にも助けられながらエチカを育てた母は、大らかな人だった。こうして幼少期より、エチカはある意味、ありのままに生きてきた。だが、成長にするにつれ葛藤を抱き始める。
「小学校3年くらいからですかね。『男は泣いちゃいけない』『男らしくしなくては』みたいなことが嫌だったのですが、『受け入れなくちゃ』という自分も出てきました。そうするしかないというか」
小学校に入学以降、自分は普通に過ごしているつもりなのに、どうも自分は普通の男子ではないのかも、と感じることが増えた。生来の引っ込み思案が顔を出して、周囲の目が気になる。「普通ではない」自分をそのまま出し続けることに対して躊躇するようになった。
「強く自己主張できるタイプだったら、『いや〜ん』みたいな言葉づかいもできたのかもしれませんけどね。『女の子だったらよかったのに』なんて思っては、むなしくなったり」
高学年になると体毛が濃くなり出すなど、嫌でも自分の身体は男である現実を突きつけられた。
「見た目もけっこうイカツくなってきたんですよね。それで、もう男として生きていくしかないんだ、と自分に言い聞かせました。男として生まれた以上、そのほうがラクだろうと。
だから、女子の誰が好き、みたいな話が男子の間で始まってくると、心のなかでは『わかんねぇな』と思いながら、『○○ちゃんかな』とか話を合わせるようになりました」
葛藤と疑問を抱えつつ、男として行動するようになったエチカ。その行動の一環として熱中することになるのが、スポーツだった。
広がる〝ギャップ〟に悩んだ思春期
「中学に入る頃から体格がよくなり始めて、スポーツが得意になってきたんです。部活は、小学生のときにやったソフトボールが楽しかったから、野球部に入りました」
小学生の頃は運動神経抜群というタイプではなかったが、体が成長してくると明らかにスポーツが得意と自覚できるようになった。そして、今も自分の強みと話すのが「動きのフィードバック」である。
「『こう動いたら、体やフォームはこうなるだろう』という感覚と、実際の動きが概ね当てはまるんです」
つまり、頭でイメージした動きを、齟齬なく身体で再現できる能力。極端にいえば、理想のフォームを見て、すぐに真似できる能力ともいえる。
こうした感覚が優れている選手は進歩が著しく、フォームを崩したり、身体の変化でフォームにズレが出たりしても、自己修正能力が高くて絶不調には陥りにくいものだ。現に、野球では打撃も守備もどんどん上達していった。
「肩が強かったので、センターを守っていました。ノーバウンドの返球でランナーを刺したりできると、うれしかったですね」
ただ、「男として生きていくしかないんだ」と決めた心は結局、揺らいでいた。
「野球選手として成長しようとフィジカルを鍛え、技術やセンスを磨こうとすればするほど、男っぽくなっていくわけです。体はゴツゴツしてくるし、女性らしい丸みなんかないし。好きなことを追い求めると、本当になりたい自分、心の内の自分とのギャップが大きくなる。それが悲しかった」
細くなりたい─。年頃の女子なら当たり前に抱く感情をMtFのエチカが抱くのは当然だった。大人に近づくにつれ、少しずつニューハーフと呼ばれる存在も知るようになる。「男性なのに女性のような装い」を見て、「自分もあんなふうに……」と思っては、踏みとどまる。その繰り返しだった。
「かわいくなりたいと思っていたけど、自分には無理かなって。当時、ニューハーフの人もテレビに出るようになっていましたが、かわいい系のニューハーフよりもドラァグクィーンの人が多くて。自分があんなふうになるのは無理かな、と感じたんです。ドラァグクィーンの人が嫌いというのではなく、自分の好みや性格の問題ですかね」
当時は首都圏の郊外住まい。田舎といっても過言ではない環境で暮らしていた。東京のカルチャーはエチカにとってはるか遠いもので、LGBTQの知識もまだ十分ではなかった。かわいくなるのも無理、ドラァグクィーンになるのも無理。それならば、〝女性への憧れ〟を忘れるしかない。揺れた心はまた元に戻り、それを打ち払わねばと、より頑なになる。
「もっと男っぽくなって、女の子を好きになってみようと思って、女性と付き合ってみたこともありました。だけど、すごく嫌な言い方ですが、その行為は自分にとって一種のはけ口みたいな感覚もあって。
なのに、いざとなると結局、セックスはできない。女性が相手だと、『したい』という気持ちが湧かないんです。これじゃあ、付き合ったところで先の広がりはないですよね。相手が自分を好きと言ってくれても、こっちにその気がないのなら、互いにとても無駄な時間を過ごしているんじゃないか……と思ったり」
多感な思春期、自らの性に悩むLGBTQは少なくない。なかでもエチカは悩み多きタイプだった。
押しつけられた野球部監督の根性論
一方で野球選手としては順調に成長していった。いずれは甲子園、いずれはプロ野球選手。高校にもそんな思いを抱いて進学する。自慢の肩はさらに強くなり、外野手の合間、たまに投手としてマウンドに上がると、ストレートは130キロ台を記録した。
これは高校1年生としては速い部類に入る数字である。ところが、そんな夢と成長とは裏腹に、エチカは監督と衝突してしまう。
「高校ではピッチャーをやりたかったのですが、その希望を監督に伝えたら、否定的なことをいろいろ言われて……それがきっかけでしたね」
もともと、あまり好きな監督ではなかった。
「こう言ってはなんですが、古くさい指導をする監督で……。100本ダッシュとか、ひたすら量だけをこなす根性論の練習ばかり。
もっと選手の動作を科学的に分析した練習をしたほうがうまくなるんじゃないか。上手になるメソッドを選手に教えてあげたほうがいいんじゃないか。いつもそんなふうに感じていました」
アスリートとしてのエチカは、論理的な思考力があるタイプに感じる。ちなみに、現在は英語とフランス語を操るなど語学も堪能だ。
「ただ、中学時代の成績はそんなによくなかったんです。でも、高校野球がやりたくて。行きたい高校は公立でしたから、受験が必要だと知ってからは一生懸命勉強するようになり、成績も上がっていきました。英語についても、将来は大学に行きたいなと思って先生に相談したら、『英語ができないと受験で不利になるよ』と言われて勉強するようになったんです」
自分がやりたい、好きだと思ったことには一生懸命になれる。
「何事もやらされながら続けている人間は、どんなにすごい練習をしても、好きで続けている人間に勝てない。イチロー選手や大谷翔平選手をよく見ていれば、わかりますよね」
だから、根性論ばかり押しつけてくる監督を好きになれなかった。その溝は埋まることがなく、結局、1年の途中でエチカは野球部を去った。
「悔しかったですよ、やめたこと自体は。でも、このままだと野球が大嫌いになってしまいそうだったから。もっと有意義な時間の使い方があるんじゃないか、と思ってしまって」
一方、女としての自分にとってストレスになりかねない、野球部の〝男子ノリ〟とはうまく付き合えていた。
「本質は田舎のヤンキーみたいな性格だったから(笑)、『ウェーイ!』みたいなノリは好きだったんですよ。女子だって、年齢相応にギャーギャー騒ぐのが好きな子もいるじゃないですか。そんなもんでしょう、みたいな感じ。
もちろん、『女子のパンツ見たいか!』みたいな誘いにはまったく興味はありませんでしたけど。階段の下からパンツをのぞこうとするようなことも、『ふーん、何が面白いんだろ』といった感じで。そんなときはムッツリスケベなチームメイトにツッコミ入れたりして、ノリの悪いヤツだと思われないようにしていました。
正直、面倒でしたけど、それを受け入れなければ男子の世界でやっていけないと思っていましたからね」
MtFとしての葛藤とは異なる理由で、好きな野球を離れざるを得なくなったエチカ。退部後、別の部活に入ることはなかった。
「どの部活も部員同士のコミュニティができ上がっている頃でしたからね。そこにゼロから入っていくのは少しキツい」
ただ、運動能力に長けた息子を思い、母は何か別のスポーツをしてほしそうだった。エチカ自身も、スポーツはしたかった。そこで、家の近所にあった柔道の町道場に入ることにした。
「学校の外でやるスポーツのほうが伸び伸びできそうだったので。強さ、うまさに段位という明確な基準があるのも自分には合っている気がしたし、『男として生きていかなければ』ともがいていた当時の自分にとって、格闘技の男っぽさも選ぶ理由になったのでしょうね」
MtFとしては〝性〟に悩み、野球選手としては挫折を経験する。高校までのエチカは、決して順風満帆ではなかった。そんなエチカの人生が大きく変わるのは大学時代のことである。
文/田沢健一郎 監修/岡田桂
〈「もともと男? そんなの関係ないじゃん」日本で初めて性別適合手術からプロレス復帰するエチカ・ミヤビが目指す「理想のレスラー像」〉へ続く
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