なぜ歴史から忘れかけられていた武将「仙石権兵衛」を主人公にしたマンガが1000万部超売れたのか? 歴史マンガの定石は、“ちょうどいい匿名性”にあり?
集英社オンライン / 2024年8月24日 16時0分
編集部から「新作は歴史もので」とオファーがあり、当時のヒット路線ではなかった同ジャンルをどのような設定で書き始めるか苦心する漫画家・宮下英樹氏。そんなとき、ゲームの『信長の野望』を漫画化することを思いつき……。
【画像】“シミュレーションゲーム”というジャンルを確立した不朽の名作『信長の野望』
『歴史知識ゼロの僕がどうやって18年間歴史マンガ『センゴク』を描き続けられたのか?』より一部抜粋、再構成してお届けする。
コンセプトは『信長の野望』のような漫画
2003年の暮れにデビュー作「ヤマト猛る!」の連載に区切りをつけた僕は、「30万部」売れる漫画を「3ヶ月以内」に連載開始するという大きな目標を掲げました。
時間的には相当追い詰められていたわけですが、限界まで追い詰められて、ようやくいいアイデアが浮かびました。
『信長の野望』のような漫画を仕立てるということ。
これだ! と思いました。『信長の野望』は、言わずと知れたコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲームの大ヒットシリーズ。あのような漫画体験をつくれたら最高に面白いじゃないか?
僕自身も小学生くらいのときに『信長の野望 全国版』をプレイして以来、ずっとシリーズを追っていましたし、ああいう感じで漫画にもたくさんの武将を出せたら、すごい作品になりそうだ。
『信長の野望』を漫画化する、という新しいアイデアをひらめいたことで、歴史ものという群像劇の難しさを突破できそうな感触を得ました。
余談ですが、ウェブのインタビュー記事にもなっている『信長の野望』のプロデューサーであるシブサワ・コウさん(襟川陽一さん)のエピソードも紹介しましょう。
『信長の野望』のプロトタイプができあがって、シブサワさんが初のテストプレイ。何時間もテストプレイして、クリアし終えて大喜び。てっきり「良いゲームができた」から喜んだのだろうと思いきや、そうではなく純粋に「天下統一した」ということが心底嬉しくて、やったー! と声を上げたのだそうです。
プロデューサーという社会的な自我を完全に忘れて、一人のプレイヤーとして熱中しておられたわけです。そして、よくよく考えるとそれってすごいことです。
シブサワさんのお人柄もあるのでしょうが、そこまで心からのめり込めるというのは、やはりゲームの仕組みが非常に優れているからです。人を現実世界から引き剥がして、紙面や画面の中に没入させてしまうとんでもない力。そういう体験づくりというのが、ゲームであれ、漫画であれ、目指すべき作品の「理想」ですよね。
では『信長の野望』のどこがそんなに優れて面白いのでしょうか。それは「わかりやすさ」だと僕は考えました。全国の武将の動きが一覧でき、刻一刻と情勢が変化していく感じ。「××家は滅亡しました」という通知が流れてくるあの感じですね。
それに、武将の処遇や領地経営の各種コマンドのわかりやすさ。それぞれがきちんと数値化されていることもポイントでしょう。
映画やドラマの合戦シーンは「わーっ」とした合戦場を映し出しますが、複数の国の動きや意図が一覧的にわかるようにはなっていません。そのシーンだけをみて、戦国時代の歴史が大きくどちらに向かっているのかわかるようにはなっていない。
その点、『信長の野望』は実によく画面が設計され、戦の前後で情勢がどう変わったかが一目瞭然なのです。
『信長の野望』的なわかりやすさを追求するならば、と、いっときはコマのなかに「ゲーム的なコマンドや数値」を描いてしまおうかとも思いましたが、漫画的にはぎこちなさがある。
そこで「オープンワールドのシミュレーションゲーム」という方向性で作劇イメージを膨らませていきました。合戦場面になったら、背景や地図に武将のアイコンを並べてシミュレーションゲームの画面のように描くイメージですね。とくに連載初期の頃には、まだ歴史の勉強が浅かったこともあり、そのようなやり方で『信長の野望』への自分の欲求を満たすことになりました。
なぜ「仙石権兵衛」が主人公として選ばれたのか
大きなコンセプトが決まったので、その次に考えたのは「主人公」を誰にするかということ。「仙石権兵衛」という主人公にいかにして辿り着いたのかということを振り返ります。
そもそも主人公選びは本当に難航しました。はじめは「桶狭間合戦」を眺めて戦国時代のすごさを知る若者、という主人公イメージを持っていましたが、うまく筆が乗らずにボツ。「山賊」という案も浮かびましたが、やはりうまくいかない。
そこで辿り着いたのが「仙石権兵衛」だったのですが、その主人公選択には多くの歴史ファンの方々がどよめいたとずいぶん後に知りました。その理由は、司馬遼太郎さんが仙石権兵衛にずいぶん厳しい評価をしていたからなのですね。
『播磨灘物語』や『夏草の賦』で「かなりまずい指揮をし、自己顕示欲も強かった」という解釈が示されており、司馬遼太郎さんご自身としても「嫌いな戦国武将」に真っ先に仙石権兵衛を挙げるほどであったそうです。
そんなマイナスイメージの強い武将で連載を開始するなんて無謀にすぎるんじゃないかと、多くの読者の方々が驚いた。
しかし舞台裏を明かしてしまえば、当時の僕は司馬遼太郎さんのエピソードを知らず、なにか逆張りをしたかったわけではありません。
では、どのようにして「仙石権兵衛」に辿り着いたかというと、編集の土屋さんが差し入れてくれた武器や防具の辞典や資料集のなかに「決め手」があったのです。
それはなんと『信長の野望』のデータブック!
どこまで『信長の野望』が好きなんだと笑われてしまいそうですが、この本には他の書籍にない良さがあります。なにしろ「データブック」ですから、各武将のステータスが数値で表現されている。
武将の強さが一目でわかるし、比較ができる。生没年などの最低限の情報がしっかり記載されており、武将の歩みをまとめた簡潔な紹介文も付いている。それでいて過剰な情報は載っていないから、後世の人物評を気にせずフラットな気持ちで武将たちを概観することができる。漫画の主人公選びにはもってこいの類い稀なる書物だったのです。
データブックをじっと眺めていくと、仙石権兵衛(仙石秀久)という人物にふと目が留まりました。信長や秀吉とも深い交流があったようだし、なにより長生きしている。戦国時代を股に掛けて活躍したのだろうから、主人公としても好都合である、と。
「ちょうどいい匿名性」がヒットの秘訣?
もしかしたらいけるのではないかと、さっそく、土屋さんに専門家の先生にアポを取ってもらい、ご指導いただけることになりました。それが歴史小説家の東郷隆先生でした。東郷先生は、右も左もわからない僕に「武将であれば家譜がある。仙石家にも家譜があるからそれを見てきてごらんなさい」と的確なアドバイスをくださいました。
仙石家の『改撰 仙石家譜』は江戸時代に成立したもので、一級史料としては見ることはできないとしても、まずはこれを、と親身になって教えてくださいました。東郷先生はその後も『センゴク』の作品づくりに長く関わってくださり、たくさんの教えをくださいました。
そうして知り得た『仙石家譜』の内容を追ってみると、権兵衛は、姉川の合戦で浅井方の山崎新平を一騎打ちにて討ち取ったとある! 特筆すべき一騎打ち。素晴らしく時代劇的な場面であり、漫画的にも盛り上がりそうだ、これならば行けるぞ。
……と、これが『センゴク』で仙石権兵衛を主人公にした舞台裏です。なんと、このときすでに連載開始まであと1ヶ月半くらい。切羽は詰まっていますが、ここにきて作品づくりがスピードアップしていくのを感じました。
ちなみにまた少し余談にもなりますが、仙石権兵衛を主人公に据えたことについて補足しておきます。
まず、その語呂の良さ。これはたしかに意識していました。「仙石=戦国」と捉えると、彼の「仙石」という名前は戦国時代を象徴するようなものです。権兵衛というのもありふれた名前ですから、幕末に置き換えれば「幕末太郎」みたいなものですね。漫画文法に照らしても「ちょうどいい匿名性」があってよいと思いました。匿名的な人物を主人公に据えると、読者も感情移入しやすい。
たとえばラブコメのジャンルでも、匿名の主人公を据えて、オムニバス的に様々な恋愛を描く原作・イタバシマサヒロさん、画・玉越博幸さんの作品『BOYS BE…』を超えるのはいつの時代もなかなか難しいのです。
何を隠そう僕もデビューするかしないかの若い頃、ラブコメを描こうとしてうまくいかなかったことがありました。そしてラブコメをやろうとすればするほど『BOYS BE…』が超えがたき壁と思えて、本当に悪戦苦闘しました。
主人公に匿名性があるということは、余分な設定がないということ。読み手にとっては自分のことのように感情移入しやすいし、描き手からしても自由な展開をやりやすい。匿名的な主人公というのは、それだけの漫画的な強みを持っていると思います。
文/宮下英樹
〈「スポーツマンガのいいところは、試合さえ終わればすべて解決!」『SLAM DUNK』の文法で“歴史もの”を描いたら…? 18年間続いた大人気マンガ『センゴク』の誕生秘話〉へ続く
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