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「母親の特攻服を着て中学の卒業式へ」「刑務所に行かないレベルでいろいろやってた」元ヤン鈴木綺麗を変えてくれた『egg』への感謝と家族への思い

集英社オンライン / 2024年8月17日 15時0分

高卒資格を取得できる全日の通信制サポート校「渋谷女子インターナショナル」で講師も務める、元『egg』モデルの鈴木綺麗さん。小中学生のころは、母親と折り合いがつかず荒れた生活を送っていたという。当時の生活と自身が変わることができたきっかけを聞いた。

【写真】ヤンチャしていたころの鈴木綺麗さん

「egg」専属モデル時代からギャルの間で熱い支持を得ている、「きぃぃりぷ」こと鈴木綺麗。

モデル卒業後、現在は高卒資格を取得できる全日の通信制サポート校「渋谷女子インターナショナル」でメイク講師を務めている。インタビュー前編では、学生時代や「eggモデルになれたのは、宝くじに当たったくらいラッキー」とするeggモデル時代について、詳しく聞いた。

刑務所に行かないレベルでいろいろやっていました

ーー鈴木さんがギャルとしての道を歩み始めたきっかけは?

鈴木綺麗(以下、同) もともとギャルになりたくてなったわけではなくて。13歳くらいのときに、はじめてメイクしている人を見たのが、ギャルだったんですよ。だから「メイクってこういうことなのか!」と、たまたま出会ったのがギャルメイクだったんです。

2014年は雑誌『egg』がちょうど休刊していた年ですし、世の中的にもギャルは流行っていなくて、どちらかといえば煙たがられていた存在でした。だから、私も「ギャルになりたい!」と強く思っていたわけでないんですよ。どちらかというと、シンプルに“やんちゃ”でしたね(笑)。

ーーどのくらい“やんちゃ”していたのでしょうか?

刑務所に行かないレベルで、いろいろやっていましたね(笑)。私は茨城県出身なんですが、「全国で一番ヤンキーが多い県」というだけあって、まだそういう文化が根強く残っているんですよ。私も学生時代はまったく学校へ行かず、バイクに乗ったり、親とドライブに行ったりしていました。

ーーなぜ学校に行かなくなったのでしょう?

自分にも大いに責任がありますが、いま思い返せば家庭環境ですかね。夜職をやっていた母とは仲がよくなく、母も昔から“やんちゃ”だったので、強制的に学校へ行かせたりはしなかった。面倒をみてもらっていた祖母からも「しょうがないよね。逆にお前が勉強できたらびっくりだよ」と言われていた感じでした。

中学校に入ってから“やんちゃ”に拍車がかかってしまい、クラスで浮いた存在になってしまって。週5日通って2日休むという形で生活が縛られているのが私には本当に無理で、一種の鬱みたいな状態になっちゃったんです。

ーー学校へ行かずに、何をしていたのでしょう?

中学生のころはお金もほとんどなかったので、友だちとカラオケに行ったりとか。あとは彼氏も年上だったので、その人と遊んだりとか。

地元にはまだ暴走族やレディース文化が残っていて、「バブ(ホンダのCB250T HAWK)」に乗っている先輩もいましたが、私は集団行動が苦手で群れるのが好きではないので、暴走族の人たちと一緒に行動することはなかったですね。

ーー映画『下妻物語』の世界ですね。「群れるのが苦手」というメンタリティは、今でも変わりませんか?

『egg』モデルになったことで、少し変わったかなと思います。専属モデルとしてちゃんと周りを見て行動しないといけなくて、やっぱり集団行動が大切なんですよ。だから『egg』に “10代で学ぶべきこと”を教えてもらったような気がします。

逆に『egg』モデルになっていなかったら、いまでももっと世間と距離があったと思います。

タピオカを買いに行ったらスカウトされた 

ーー「egg」モデルになったことが、鈴木さんの人生のターニングポイントになっていると。

私の人生の中で、最大の出来事だと思いますね。あと60年くらいで死ぬかもしれませんが、『egg』モデルになれたのは、宝くじに当選したくらいラッキーなこと。

ーーそもそもモデルになったきっかけは何だったのでしょうか?

16歳のときに、「SHIBUYA109」にタピオカを買いに行ったらスカウトされたんです。SHIBUYA109の中に当時「SBY」という飲食店があったんですが、そこがギャルサーとか渋谷に精通している人が働いていて、いわゆる「ギャルの聖地」だったんですよ。ギャルを見つけたら、ギャルサーかモデルとしてスカウトする、みたいな。

私はそういう場所と知らずに、たまたまSBYに立ち寄ったときに、「『egg』が復活したんだけど、あなためっちゃギャルだから、モデルやってみない?」と声をかけられたんです。

ーー親御さんに相談はしましたか?

当時はとにかく刺激が欲しかったので、速攻OKしましたね。『egg』がどういう媒体なのかも全然知らないのに(笑)。実はモデルになること自体、誰にも言っていなかったんですよ。うちにはご飯を食べながら、今日あったことを話すみたいな会話がなかったですし、お互い干渉するってこともなかった。

母からは「お前、最近東京行ってない? 悪いことしてない?」ってよく聞かれてました(笑)。その後、母は働いているお店のキャストさんから、「あなたの娘、モデルやってない?」と言われて、そのことを知ったみたいです。

近所でも「あの家はヤバイ」とか言われていて

ーー田舎の“やんちゃ”な女の子が突然『egg』モデルとして活動することになるんですが、苦労しませんでしたか?

苦労しました本当に(笑)。最初の仕事はYouTubeで「企画、サムネイル、撮影、全部自分でやってね」と言われるんです。何もわからないまま見よう見まねで頑張っていました。

企画でスッピンをさらすのは当たり前だったし、雑誌の撮影なのに交通費が出ないロケもありましたし……「私、いま何してんの?」と不機嫌になりながら仕事していました(笑)。

でも当時は今ほどYouTubeがメディアとして主流ではなかったですし、モデルがスッピンをさらしてリアルを届けたりとか、私が参加し始めたころの『egg』は、すごく最先端なことにチャレンジしていたんだなと思います。

ーー6年間『egg』モデルとして活動して、いかがでしたか?

あっという間でしたね。とにかく深い6年間でした。

一番よかったのは『egg』モデルを経験したおかげで、親とも仲良くなれたことです。母とは昔から犬猿の仲で「テメェこの野郎!」って殴り合いしてたんです。本当にめっちゃ仲悪かったんですよ。

だから祖母に育てられたんですけど…。昔は近所でも「あの家はヤバイ」とか言われていて。でも芸能界に入ったことで、状況が変わり、祖母にとっても誇らしい存在になれたようです。

母とも昔より普通に話ができています。だから、親と仲良くなれたのも『egg』のおかげ。生きているうちに、親孝行や恩返しをしたいと思うようになりました。

取材・文/毛内達大
写真/石田壮一

「メイクは校則違反なのに社会人になった途端マナーになるのはおかしい」「高校生の美容整形もメンタルを保つためにはあり」”ギャル先生・鈴木綺麗の若者に贈る言葉〉へ続く

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