「一番なりたくない病気」と語る医師も…潜在患者1000万人以上の「ナゾの病」化学物質過敏症とは何か
集英社オンライン / 2024年8月20日 8時0分
「化学物質過敏症」を聞いたことがあるだろうか。身の回りにある“刺激”に体が反応し、さまざまな症状を引き起こす病で、誰にでも発症し得るが、その正しい認知は広まっていない。そんな「ナゾの病」の臨床・研究に第一線で携わる渡井健太郎医師に話を聞いた。
潜在患者1000万人以上でも広まらない認知
どんなに医学が進歩しても、いまだ全容解明に至っていない病がある。
世間一般、また医療従事者の間にすら認知が十分に広がっていないにもかかわらず、現在の患者数は国内で100人に1人の約120万人。重篤なアレルギー疾患や精神疾患と誤診されやすいため、潜在患者は1000万人以上ともいわれている。
しかも、ある日突然花粉症になってしまうように誰にでも発症の可能性があり、患者数は増加傾向にあるという。
その病とは「化学物質過敏症」。10年以上前になるが、筆者はこの病を発症した当人や家族を取材したことがあり、ある人は空気中に漂う香料、タバコ、排気ガスなどに鋭く反応し、不特定多数の人が利用する電車やタクシーにも乗ることができない。
食事は有機野菜に頼らざるを得ず、ご飯が炊けるときの匂いや新聞や雑誌で使われているインクの匂い、さらに窓の外から聞こえる子どもの大きな声で体調を崩すという人もいた。
一度罹患すると日常生活や社会活動に支障をきたし、それだけでも問題なのに、周囲の理解を得られないことから孤独感を深め、当人のみならず家族までをも苦しめるとてつもなく恐ろしい病だと感じていた。
「患者さんは多種多様な化学物質や環境条件、日用品や薬剤、食物からの微量な刺激にも敏感に反応し、その7割程度に臭覚過敏が認められます。
症状はじんましん、めまい、頭痛、呼吸困難、吐き気、腹痛や疼(とう)痛など人により実にさまざまで、受診すべき診療科がわかりにくく、ドクター・ショッピングを何年も繰り返してしまう。ようやく化学物質過敏症と診断されたのは、発症から10年後という例も多いです」
そう話すのは、湘南鎌倉総合病院免疫・アレルギーセンター部長の渡井健太郎医師である。
15年ほど前からアレルギー科医として患者と向き合う過程で喘息や薬剤アレルギー、食物アレルギー、花粉症といった一般的なアレルギー症状とは明らかに異なる患者がいることを知り、生き地獄のような日々を送る患者を救いたいと、化学物質過敏症の解明に向けての研究を続けている数少ない医師の一人だ。
多大なストレスに山奥で暮らす患者も
渡井医師は続ける。
「同僚の医師が『一番なりたくない病気は何だろうと考えたとき、化学物質過敏症かもしれない』と言っていました。命にはかかわらないけれど、生きているほうが当然いい……とはなかなか思えない。また診療に当たる医療従事者側も、多大なストレスから人に対して攻撃的な一部の患者への対応で心をすり減らし、最後はもう診られないと診療拒否に至るケースもあります。化学物質過敏症とは、患者にとっても医療従事者にとっても非常に過酷な病です」
となれば、なおさら一日も早い治療法の確立が望まれるが、大規模な臨床試験に基づく科学的根拠に乏しく、現段階では化学物質過敏症に保険適応の治療法はない。
「発症につながる根本的な原因がはっきりしていない、それが大きな理由です。患者さんが反応しやすいものとして洗剤や柔軟剤に含まれる香料、またここ数年ではコロナ禍以降頻繁に使われるようになった消毒用アルコールなどの揮発性物質がありますが、ではそれらを排除した生活を送ればこの病が治るかといったらそうでもない。これらがきっかけで引き起こされてはいても、それ自体が根本原因とは言い切れないのです」
化学物質などからの曝露(さらされること)を避けるため、人里離れた山奥で生活しているという患者がいる。でもその生活を続けていたら治るかというと、治ってはいないのだという。あくまで回避にすぎず、転地療法や対症療法ともいえない根本の解決策ではないからだ。
しぼられつつある「ナゾの病」のカラクリ
では、直接の原因として何が考えられるのか。その答えを導き出そうとした国内外の研究結果をまとめると、一つの有力な仮説が出ているという。基礎医学的な研究結果のみならず、実際に診療にあたる医師の治療経験を併せてみても、ここに来てかなり確証の高いものとなっている。
「化学物質過敏症は、外の環境からのさまざまな刺激に対して脳が敏感に関与する、脳過敏(中枢性感作)な疾患であることがわかってきました。わかりやすくいえば、気管支喘息は気管支が過敏な疾患、アトピー性皮膚炎は皮膚が過敏な疾患、化学物質過敏症は脳が過敏な疾患ということになります。
脳が関与していると思われる疾患を中枢性感作症候群と呼び、同じ概念と考えられる疾患としては片頭痛、慢性疲労症候群、線維筋痛症などがあります。これらに対し、脳の敏感さを抑えてあげられるような薬の投与ができないか。そして、それが症状を軽くし、本当にこの病で困っている患者を救う有効な方法なのではないかと考えられています」
過剰に反応する化学物質をある程度避けることは必要だが、そこにポイントを置くのでなく、模索しているのは脳や神経にアプローチする治療法である。
「ごく簡単な例ですが、スギ花粉症の人に花粉がバンバン飛んでいる映像を見せると体が自然に反応し、鼻水が出たりする。確かにスギ花粉が悪さをしてアレルギーを引き起こしてはいますが、こうした現象は脳からきている部分も多分に関与していて、原因には大きく分けて2通りが考えられるのです。
局所麻酔薬アレルギー疑いの患者さんを調べたときも、検査で単なる生理食塩水を投与したところ、局所麻酔薬を投与されたときと同じような症状を訴えた例もあり、アレルギーや過敏症では脳が関与する、いわゆる“気のせい”と言える部分もあながち否定できない。まだ仮説段階ながら、こうした感覚や脳の問題が化学物質過敏症では大きいのではないかと考えています」
化学物質過敏症かも…と思ったら
実際に患者を診ていると、化学物質との闘いをひたすらやり続けている人ほど治りが悪い印象を受けるという。
これには反論する患者も少なくないと思われるが、渡井医師は「患者との信頼関係が成り立ってから」と前置きしたうえで、「化学物質との闘いは、あるところまでで制限して、気にしすぎない生活を送ってみるのも一つの手かもしれません」と、アドバイスしている。
化学物質過敏症は血液検査などの具体的な数値による診断基準がなく、診断法としては問診が主体だ。このため、まずは化学物質過敏症以外の他疾患を除外することが重要とされる。
そのうえで、化学物質過敏症患者を診た経験がない医師には難しいが、経験のある医師なら5分ほど話を聞けば大方診断がくだせるという。
受診方法としては、まずは身近な病院のアレルギー科、咳などの症状が出ているなら呼吸器内科も対象となる。そこで化学物質過敏症はアレルギーとは異なる疾患なので、「アレルギーなのか、そうではないのか」を判断してもらうことが第一段階として重要だ。
渡井医師はこのほど『化学物質過敏症とは何か』(集英社新書)を上梓し、この病気の詳細を記した。「患者への理解を深めるとともに、アレルギー科以外の専門の診療科との連携も必須となるため、医療従事者にもより関心を寄せてもらいたい」と話す。
出版後の反響は小さくなく、患者の家族から「やっと化学物質過敏症という病気の理解ができたました」と、感想をもらったという。
「アレルギー科医としてこの病に精通し、確実な治療につなげていきたい。そして、このようなやっかいな病を引き起こす原因の一部が脳へのストレスだとすれば、過敏症の予防のために、ストレスのかからない、ストレスをかけない生活をみんなで考える。そんなことも必要なのかもしれないなと感じています」
取材・文・撮影/藤井利香
編集/一ノ瀬 伸
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