「この20年、気持ちが晴れたことはない」新生児取り違え被害者、“生みの親”を探し続けた孤独な戦い…「3億円の損害賠償請求」に「約10万件の名簿購入」も
集英社オンライン / 2024年9月9日 17時24分
都内在住の江藏智さん(66歳・男性)は、46歳のときに両親と血縁関係のない“新生児取り違えの当事者”であると判明した。以来20年間に渡って、戸籍や名簿をたどるなどして実親を探し続けている。気づけば実親が生存しているかの確証が持てないほどの歳月が経過した。それでもなお、微かな希望を求めて奔走する本人に話を聞いた。
「父はO型、母はB型、私はA型」
「両親と血縁関係がないと告げられて以来、普通に日常生活を送っていても、常にどこか欲求不満というか気持ちが晴れないんです。もしあのとき、取り違えにあわなかったら『これまでとまったく違う人生を歩んでいたかもしれない』と想像が付きまとい、毎日がどこか上の空です」
ある日突然、両親との間に血縁関係がないと告げられたら、その瞬間なにを想い、その後どのような生活を送るだろうか。
新生児取り違えの当事者である江藏智さんは、20年に渡り実親とその親族を探し続けている。自分の出自や、実親や親族がどのような人生を送ってきたのか、自身のバックグラウンドを知りたい一心で真相を追い求めた。
新生児取り違えの疑念が生まれたのは1997年にさかのぼる。母親が更年期障害で血液検査をした際、これまでA型だと思っていた血液型がB型であると判明した。江藏さんはA型、父はO型、そして母がB型と発覚したことで、一家には暗雲が立ち込めた。
しかし、当時DNA鑑定は200万円ほどかかることもあり、江藏さん一家はそのことに蓋をするように今までどおりの生活を送ってきた。
それから7年後の2004年。ふいに事態は動いた。江藏さんが体調を崩したことを機に、DNA鑑定を受けることに。かかりつけの担当医に、「両親と血液型が違う」と話したところ、その事例に関心を持った担当医が、無料でDNA鑑定を受けさせてくれる運びとなったのだ。
江藏さんは二つ返事でDNA鑑定を受けた。江藏さん自身、両親との血縁関係があってほしいと願う一方で、どこかに実親が存在しているのではないかとの期待感に近い感情も持ち合わせていた。
14歳で実家を飛び出す
こうした相反する感情を抱いていたのは、江藏さんの幼少期が関係している。
「父は都電の運転手をしており、家に帰ってくるのは不定期でした。しかも、帰ってきたとしても、たいてい酔っ払っていたんです。そしてなにかあるたび、暴力をふるいましたが、殴られるのは決まって私のみで、弟はなにも危害を加えられなかった。自分だけ家族から疎外されていると感じる瞬間があったんです。
他にも、正月に親族で集まるときには、従兄弟から軒並み『両親と顔が似ていない』と指摘され続けました。おまけに私の身長は180cm近いものの、父は160cm、母は140cmと、明らかにおかしい点もありました」
そのうち定期的に当たってくる父との軋轢は深まり、江藏さんは逃げるように14歳で実家を飛び出す。それ以降は中学校にも通わず、焼肉屋やクリーニング店など住み込みのバイトを転々として過ごしてきた。
もちろん幼少期時代は、両親と血縁関係がないと知る由もない。しかし、窮屈な家庭環境ですごした江藏さんにとって、血縁の疑念が生まれてからは「自分と馬の合う実親が存在するのでは」と密かな期待感を抱いてきた。
「もし血のつながった実親に育てられていたら、自分が14歳のときに家を飛び出さず、義務教育を受けて普通に就職していたんじゃないか……。自分がたどってきた軌跡と、まったく違う人生を歩んでいたんじゃないかという想いが常に付きまとっていました」
どこか空虚な思いを抱えてきた江藏さんにとって、DNA鑑定の受診は待ちに待った好機であった。
DNA鑑定を聞いて、育ての両親と同居
そして前述の通り、医師から直接、衝撃的な結果を告げられた。
このとき江藏さんは46歳。父は「今さら血縁のある息子と会ってもしょうがない」と、弟は「兄貴は一人で充分だ」と、今までの生活を変える気はないとその結果に取り合わなかった。
そして江藏さん自身も、血縁関係がないと判明したことで、不思議と両親に親孝行すべきだという気持ちが強くなった。当時、江藏さんは福岡で自動車関係の事業を営んでいたものの、事業を畳んで実家の東京に戻った。14歳まで育ててもらった恩返しをしようと、父母と共同生活を送ることにしたのだ。
しかしそれでも、育ての親に孝行したい気持ちとはまったく別に、自分の真の出自を知りたいという気持ちは収まらなかった。そこで江藏さんは、育ての両親と同居しながらも、隠れて孤独に実親探しを始める。
いわばここから、江藏さんは育ての親のためにつくす息子をまっとうしながら、同時に実親を探し求めるという、自身のアイデンティティが乖離したかのような生活になっていく。
3億円で損害賠償請求
ところが、実親探しは難航した。
まずはじめに、江藏さんは東京法務局や墨田区役所などの行政に出向いたものの、とても協力的ではなかった。かろうじて当時、住民基本台帳(住民票を編成したもの)を閲覧できたので、約35万人分の台帳から、同年同月に生まれた約70人を調べ上げた。その70人を回って出生の情報を聞き、自分と取り違えられた可能性がないかを調べ上げていった。
それでも該当者は見つからず、次は名簿業者から同年同月生まれの名簿を購入した。1軒あたり数十円から百円ほどかかる名簿だが、江藏さんは有り金をはたき、10万件近い名簿を買い漁った。しかし、それらはすべて使えない名簿で、電話しても不通のものや、所在がないものだった。
ときには、当時の墨田病院に勤務していた医師の情報が入ることもあった。そうしたときは毎回、遠方まで出向いて面会を申し込んだものの、決まって門前払いを食らった。
そして2004年、江藏さんは不法行為による損害賠償を求めて東京都を提訴することに。もちろん損害賠償が認められるに越したことはないが、1番の目的は実親やその家族が名乗り出てくれることだった。
この年の10月、莫大な印紙代を払って提訴の告知をし、法外な3億円という損害賠償請求に踏み切った。世間からの注目を集めるためだ。結果的にメディアからの報道は相次ぎ、一審では取り違えがあったことが認定され、二審では都から2000万円の賠償金も支払われた。
しかし、江藏さんにとって、過失が認められ勝訴しても気持ちは晴れなかった。肝心の実親が現れなかったからだ。
「ハッピーエンドを迎えられるとは考えていない」
勝訴してもなお対応を変えない行政に対して、行き場のない怒りが膨らむ一方だった。また、戸籍受付帳を開示請求して申請が通っても、個人情報保護法の観点からすべて黒塗りだった。目の前に核心に近づく資料があるにもかかわらず、不可解な理由でアクセスできないことのやりきれなさが募った。
「行政は決まって『取り違えられた相手の家族の平穏を乱す』という理由で対応を却下するんです。それなら私たちの家族はどうなるのでしょうか。私や両親の年齢を考えれば、もう残された時間は少ないのに、それをただ指を咥えて待ち続けないといけないのでしょうか」
江藏さんは現在66歳、育ての父は2018年に亡くなり、母は認知症で会話も難しい状況だ。そして実親も同等の年齢だと考えたら、江藏さんの出自を知りたいという願いは着実にリミットを迎え、もしかしたらすでに叶わぬ願いとなっている可能性も否めない。
「もうかれこれ20年、実親とその家族を探し続けているので、必ずしもハッピーエンドを迎えられるとも考えていないんですよ。仮に見つかったとしても、相手方に会いたくないと断られる可能性もある。ただ、今後も死ぬまで、自分の本当の出自を探し続けていきます」
取材中も、江藏さんは表情を表に出すことなく、淡々と事実を話し続けている姿が印象的だった。ただそれは、江藏さん自身が、現実を生きている感覚が薄いからではないかとも思えた。血縁関係のある家族や、その先に会得できるアイデンティティがあると常に願っているからこそ、現実を生きている自分が揺らいでしまうのかもしれない。
江藏さんは現在、生みの親を特定する調査を行わないのは人権侵害だとして、再び東京都を提訴した。「子どもの権利条約」が定める「出自を知る権利」を侵害しているとして、改めて主張を変えて、2021年11月から闘い続けている。
2024年9月4日には口頭弁論の期日を迎えた。法廷に立った江藏さんは、意見陳述で他の取り違え当事者と接触した際のエピソードも明かした。
「その男性が取り違えの当事者と知ったのは60代のときで、すでに生みの親は亡くなっていたそうです。ただ、実の弟から両親の生い立ちやエピソードを聞いたり、一緒に麻雀や旅行に行くなどして親交を深め、自分の人生を取り戻しているということで、とても羨ましく思いました」
もちろん江藏さんも、実の家族との交流を望んでいる。その願いは、至極細やかで当たり前のものだが、20年もの時を経ていまなお叶っていない。
「(実の両親を探す)手がかりになる情報が、墨田区に保管されているにかかわらず、東京都はなにも動こうとしません。それはまるで、品物を盗んだ泥棒が、悪事がバレているのに返そうとしないようなものです。盗んだものは、本当の私を知るための人生そのものです。私が何者であるかを知るための手がかりです」(意見陳述より)
今は両親もいない実家で、1人で生活しているという江藏さん。少しでも希望の光が差しこんでほしい。
取材・文・写真/佐藤隼秀
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