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前田亘輝「夏のTUBEに負けたくなかった」“なにくそ精神”で秋冬だけツアーして、夏に関係ない曲を作って「夏バンド」のイメージと戦ったTUBEが手に入れたもの

集英社オンライン / 2024年8月22日 11時0分

TUBE前田亘輝「いくら夏が好きとは言ってもね…さすがに暑すぎて、もう5月から10月まで夏だよね(笑)」野外ライブをやめる時のツアータイトルは20年前から決めている⁉︎〉から続く

1985年の6月1日にデビューしたTUBE。世間の多くの人がイメージする「夏バンド」というイメージについて、ボーカルの前田亘輝はどう思っているのか。2025年に40周年を迎えるTUBEというグループのことを聞いてみた。(前後編の後編)

【画像】39周年ファンへ「サンキュー!」と叫ぶ、TUBEの前田亘輝

「夏のTUBE」という仮想敵国と戦った

――TUBEの夏の歌にたくさんの人が背中を押されてきたと思うのですが、TUBEといえば夏というイメージに疑問や反感を抱いたことはなかったのでしょうか?



前田亘輝(以下同) しょっちゅうありましたよ。抵抗もしましたね。『シーズン・イン・ザ・サン』から始まって、『あー夏休み』で夏のイメージが決定づけられたとき、雑誌の取材なんかで「(季節の)果物として八百屋でも売ったほうがいいんじゃないか」とか言われたりして。シャレだったんだろうけど、自分たちも若かったから「なんて音楽を冒涜したライターなんだ」ってイラッとしたりなんかして(笑)。

「俺たちはミュージャンなんだ」ってことを証明しようって、秋冬にビーチシーズンと関係ない曲を作ったり、秋冬だけ50本ちかくツアーをやったり、アルバムを出したりもしましたよ。自分たちという仮想敵国を作って、「夏のTUBEに負けたくない」という思いで戦って。それが励みにもなってたんだと思うんですけどね。

――その戦いの結果、出た答えはあったんですか?

あるとき、自分が求められてるものや、やりたいことを認めさせるのは「エゴだな」っていうことに気づいたんですよね。それが30代後半ぐらい。とにかく人を楽しませれば自分たちも楽しいはずだって。

だから30~35歳ぐらいのときが一番、解散の危機にいたんじゃないかな。でも、「学級委員になりたい」って毎年言ってても、選ばれなかったらしょうがないときもあるじゃん? 思いだけじゃ伝わらないんだよね。だいぶ遅かったね、大人になるのが(笑)。

楽しんでいる人の顔を見て楽しめない自分たちがいた

――15~20年目ぐらいの頃は、夏のTUBEに抵抗して足掻いていたわけですね。

そうですね。足掻き続けてたと思いますよ。

――バンドの危機というのは、TUBEを続けることに限界を感じたような感覚だったんですか?

楽しんでいる人の顔を見て、楽しめない自分たちが現れてきたんです。だから、ライブとか曲で、30歳過ぎた大人としてのメッセージを散りばめていくわけですよ。みんな、聴いてはくれるんだけど、「それを聴きに来たんじゃないんだけどな」みたいな反応もあって。

それこそ夏バンド!みたいなイメージがついてきた当初、秋冬に、春夏行かないようなところも含めて全国ツアーに行くと、地元のホテルとかスーパーの方に「大変ねぇ。冬にこんなところまで来なきゃいけないのね」とか言われて。そういう理由で来てるわけじゃないのにって思いながら、説明するのめんどくさいから、ただお菓子を買って帰ろうとすると、小声で、「お金はいいから」って(笑)。

――え! 出稼ぎに来ていると思われたわけですか(笑)。

うん。先入観っていうのは怖いね。

――TUBEファンは、TUBEのことを夏バンドだと思っていないと思うんですけど、そこと世間のイメージにギャップがあって、それに苦しめられたわけですね。

そう。流行りの破れてるジーパンを履いてたら、「新しいの買えないんだ」と思われたりしてたな。メンバーの親も周りからそう言われるのか、ヴィンテージの古着の衣装を縫い直してくれて(笑)。裏布あてて、アップリケみたいなの貼っちゃったりして、高い古着の価値が台なしですよ(笑)。

セーターを着てるだけで、街で「Tシャツじゃないの?」ってからまれたりもしたし、肩身が狭かったよね。そういうことを経験した若い頃は、「なにくそ、音楽で認めさせてやる!」みたいな気持ちがありましたね。

バラードは世間のイメージと戦った時期に生んだ武器

――TUBEはバラードの名曲も多いし、バラエティに富んだ楽曲も魅力ですが、それは世間のイメージと戦った時期に生まれたものだったんですね。

バラードはそのときに我々が生んだ武器です。秋冬にバラード曲を出して、しっとりめの曲とロックチューンしかやらないツアーを回って。『シーズン・イン・ザ・サン』もやらない。するとまたクレームが来るわけですよ。僕らは「やるわけねえだろ。何月だと思ってんだよ!」って(笑)。そういうやりとりがありましたね。

でもその時期、それぞれプレイヤーとしてすごく成長したし、技術的にもいろんなものを吸収できて。それをごちゃ混ぜにしたら、美味しい料理ができたんですよね。

今、TUBEラテンとかTUBEシャッフルって呼ばれるものも、そこから生まれて。本当の味がないと、楽しくやる曲もただのチャラチャラしたものになっちゃうから。当時、きっとそれをつかめたんでしょうね。

本当に伝えたいことを伝えるために楽しませる

――オーディエンスの求めるものに応えようという境地に至ったきっかけはあったのでしょうか。

ライブの中ではありました。全員で踊ってみようとか、宙づりになってサーフボードで浮いてるふりしてみようとか、アイデアを出して。ほとんどドリフの世界です(笑)。でもそれにファンが沸いてるのを見て、こういうエンターテインメントを求めているんだな、と気付いて。

楽しさが先行する中に、メッセージソングやバラードをちりばめていくようになりましたね。ヒット曲っていうのは、うまく使おうと。冒険するシーンはライブがあったまったところでやろうとか、ひと盛り上がりした後、今、本当に伝えたい歌をやろうとか。

秋冬のツアーで『Beach Time』なんかをセットリストに組み込むと全体が崩れちゃうんじゃないかって思っていたけど、そんなこともなくて。アルバム1枚に哲学があるというより、喜怒哀楽すべて詰まってるのがTUBEだから。それがやっとわかったんですね。

ハワイのあの空気の中で『SUMMER DREAM』を聴いてほしい

――40周年を迎える2025年6月1日には、20年ぶりのハワイ公演を予定されていますよね。

2020年のコロナ禍のときに、2025年の40周年はハワイでコンサートをやろうと決めました。誕生日はそこで迎えたいなーって。今、円安で大変だけど、日本の方も、20年前に来てくれた現地の方にも来てもらいたいですね。あの空気の中で、『SUMMER DREAM』とかを聴いてほしいんだよね。

――2025年の40周年イヤーを経た、今後の音楽活動の展望は?

今年はセッションイヤーで、GACKTくんやDA PUMPだったりとセッションする中で、違うレストランで違う料理を味わうことって大事だなと気づいたんですよ。いつも同じメンバーで、同じお店で同じものを出してるとつい忘れてしまうことがあるんですよね。だから今後も、いろんな人とセッションしていきたいです。

――キャリアが長いにも関わらず、そういう姿勢でいられるのはなぜなんでしょうか?

それはね、(集英社への)おべっかじゃないけど、『少年ジャンプ』が教えてくれた友情、努力、勝利ですね。『NARUTO -ナルト-』にしろ『ワンピース』にしろ、根底にあるのは仲間の大切さだから。漫画に、人間はひとりじゃ何もできないんだよっていうことを教えてもらいましたね。

デビュー当時は5年続いたらラッキーと思ってた

――19歳、20歳の頃にデビューをされて、その頃はこうして40年後も歌い続けていると思っていましたか?

まったく。5年続いたらラッキーだよなって思ってた(笑)。でも、やめなくて正解だったと思います。やめたいと思ったことは、相当あるから。

――20代はそう思うことが多かったですか?

うん。逃げてやるとかね。周りにいる大人たちに反発してましたね。でも「絶対、こいつら飛び越えてやる」っていう気持ちもパワーにもなりました。

――ハマスタのライブに参戦される人には、どういうところを楽しみにしていてほしいですか?

甲子園でもGACKTくんや寿君とのコラボレーションがあったけど、横浜でもコラボレーションします。誰が来るかは言わないけど(笑)。

オープニングも、「もう還暦になるやつらがこんなことできるんだ」みたいなことやります。皆さん、とにかく暑さ対策を忘れないで来てもらいたいですね。

――最後に、39年、一緒に歩んできたファンにメッセージをお願いします。

サンキュー!

取材・文/川辺美希 撮影/佐賀章広

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