1988年ソウルオリンピックを開催させた「花畑を買い占めた奇策」…下馬評は名古屋有利も奇跡の勝利、その裏には現代グループ創業者がいた!
集英社オンライン / 2024年9月11日 8時0分
〈「オリンピックを阻止するために韓国の航空機を爆破せよ」北朝鮮のテロ行為が世界的に広まった1987年大韓航空爆破事件の裏側〉から続く
1988年「世界はソウルへ、ソウルは世界へ」というスローガンで開催されたソウルオリンピック。名古屋での開催が有力視されていたその大会で逆転招致に導いたのは、当時韓国の最大財閥で現在も世界的な有名企業である現代グループの創始者だった。
『秘密資料で読み解く 激動の韓国政治史』より一部を抜粋・再構成し、解説する。
経済界主導の招致活動
ソウルオリンピック招致は、韓国の経済発展と潜在力を世界に誇示し、ソ連、中国など社会主義諸国や非同盟諸国との外交関係樹立のうえで絶好の機会となった。しかし、当時の韓国はどう頑張ってもオリンピックの開催は不可能と関係者は内心思っており、すでに名乗り出ている名古屋市の競争相手にもなれないという見方が圧倒的だった。
それを逆転させたのが、現代グループ創業者・鄭周永(チョン・ジュヨン)の奇抜な作戦だ。
1981年5月、現代グループ会長の鄭周永のところに文教部体育局長が「オリンピック招致民間推進委員長辞令状」を持ってやってきた。事前にそのような話は一切なかった。話を聞いてみると、名古屋市と争って勝てるわけがないのに、大統領からの指示を受け、オリンピック招致関係閣僚会議で官僚たちの知恵として浮かんだのが民間への丸投げだった。
政府が恥をかかないような方法として、本来ならば招致都市のソウル市長が引き受けるべき招致推進委員長を民間経済人にやってもらい責任逃れしようという画策だった。
提案したという李奎浩(イ・ギュホ)文相は、「無から有を創造し、強靭な精神力と機知によって現代を世界的な企業に成長させた底力と、海外において数々の神話を残し、韓国企業の位相を高めた能力を高く評価した」と称賛の言葉を並べ、鄭周永にオリンピック招致民間推進委員長を依頼した。
当時、鄭周永は全国経済人連合会長職にあったので、民間経済人団体の長の役割として引き受けた。
チャレンジ精神が旺盛な鄭周永は、これはやりがいのある仕事だとひそかに考えながら、作戦を練った。オリンピック招致に対する政府の意思や経過、そして否定的な雰囲気などもおおよそ分かってはいたが、一度関係者の意見を聞いてみようと会議を開いた。
オリンピックを開催すると国家財政が破綻する
ソウルオリンピック招致民間推進委員会は、委員長のもとに全閣僚が委員に名を連ねていた。しかし、会議に出席した閣僚は文相だけで、IOC(国際オリンピック委員会)委員も欠席、ソウル市は局長1人の出席だった。これではやる気があるのかと、鄭委員長は憤慨する。
9月20日から始まる西ドイツ・バーデンバーデンでのオリンピック招致活動期間に開設される展示場で使用する広報映画、広報冊子の準備を急がねばならない。そのための予算は約1億8000万ウォン(約5700万円)が必要だ。
当然用意すべきソウル市は予算がないと言い、国務総理に追加予算を要請しても、当時の南悳祐(ナム・ドグ)総理はオリンピックを開催すると国家財政が破綻すると反対しているので無理だという話だった。
鄭周永は政府の意思と、推進委員会委員であるのに会議にも出席しない閣僚たちが果たして協力するのかを文相に確認した。文相は大統領の指示だし、特に兪学聖(ユ・ハクソン)安企部長は積極的に支援すると約束した。
8000億ウォン(約2553億円)の経費を必要とすると言われたオリンピック開催は、当時の韓国の財政事情では負担できる金額ではない。しかし、鄭周永は違う意見を持っていた。やり方次第では可能だと考え、与えられたチャンスを活かして、やってみようということになった。
たとえば、競技場や宿泊所などは民間施設を動員して解決する。また、大学や各都市の公設競技場を規格に合わせて改修して活用する。選手村は民間資本でマンションを建築して前もって販売し、オリンピック期間中は選手に使用してもらう。プレスセンターやマスコミ関係者の宿泊所などは、大企業がビルを新築して、オリンピック関係で先に使用し、後で企業が使用するなどの発想が浮かんだ。
さらに世界のマーケットで韓国企業が取引している各国企業を通じて、その国のIOC委員との接触を図る。まず安企部長の支援を取りつけた。可能性のない無駄なことに時間と金を費やすだけと消極的だった企業の動員は、安企部長が責任を持ってやると確約した。
海外に出ている企業が企業活動の一環として誠心誠意行動すれば、オリンピック招致に必要な82人のIOC委員の過半数の票の確保は可能だと鄭周永は確信した。
政府予算が時間的に間に合わないのなら、翌年の予算で弁済するという条件で、とりあえず鄭周永が1億8000万ウォンを立て替えて映画製作などの準備を進めた。
鄭周永は、現代のフランクフルト支店に連絡し、すべての職員は家族とともにIOC総会が開催されるバーデンバーデンに移動するよう指示。現地事務所や賃貸住宅を手配し、関連国へのロビー活動や各種支援に対する万端の準備を命じた。
オリンピック招致は不可能と躊躇する一部の企業も安企部の指示でバーデンバーデンに集まることになった。当時は安企部の威力は大変なものだった。
IOC全委員に花籠を贈る奇策
韓国代表団はバーデンバーデンに事務所を構え、本格的な活動を始めた。徹底した事前情報の入手、個別ロビー活動の展開、経費支援体制の構築、緻密な事後管理および毎日の点検・確認など、企業の取引戦略と同様な得票戦略を立てた。民間企業は政府からの要請を受けて必要な人員が駆り出され、ビジネスをしばらく中止してオリンピック招致活動に努めた。
バーデンバーデンでは冬季、夏季オリンピック招致活動のための展示場が9月20日から開幕した。名古屋市は開幕2日前に名古屋市長など代表団が集合し、日本のIOC委員を通じて活発な招致活動を展開していた。
他方ソウル側は、民間招致代表団は全員9月20日までに集合したにもかかわらず、招致活動を積極的に推進すべきIOC委員とオリンピック主催都市のソウル市長は現場に現れなかった。代表団はIOC委員がいないと本格的な活動ができないので気をもんだ。
世界各国のIOC委員が滞在しているブレナーズパークホテルへの出入りはIOC委員のみ許可されている。IOC委員がホテルに宿泊しないと、他のIOC委員たちと接触する方法がない。そのためにIOC委員の存在は必須だった。IOC委員がチェックインすれば、その委員に会う口実でホテルに入り、他の委員たちにも接触することができる。なのに、韓国のIOC委員は22日、ソウル市長は24日にようやく到着した。
鄭周永のアイデアで、韓国側は各IOC委員の部屋に花籠を届けた。バーデンバーデン近郊の花畑を買い占め、動員された現代社員の夫人たちが花を一つずつ丁寧に選び、きれいに整えて籠に詰めた。
花に対する反応がすこぶるよかった。その翌日、IOC委員たちが会議終了後、ロビーに集まり、韓国の代表団を見るや、うれしそうに「美しい花を贈ってくださりありがとうございます」とあいさつしてきたのだ。「ワンダフル・フラワー!」と、とても喜んだのである。IOC委員たちは夫婦同伴で出席していることから、女性が喜びそうな贈物として花を選んだのが大当たりだった。
サマランチ会長「ソウル・コリア!」宣言
総会の2、3日前までの下馬評では、「名古屋有利」だった。総会前日に実施された各国記者団の模擬投票結果も名古屋優勢と発表された。
9月30日午前9時からコングレスハウスでIOC総会が開かれた。ソウル代表団は、曺相鎬大韓オリンピック委員会委員長はじめ10人ほどがロビーに並んで、つぎつぎと到着するIOC委員に固い握手を求め、精力的に支持を訴えた。午後、投票が始まる前にもソウル代表団は、投票場のあるクアハウスのロビーに集まって「最後のお願い」をした。
午後4時、IOC委員による投票結果が発表された。サマランチIOC会長が「ソウル・コリア!」を宣言した。「名古屋有利」の予想だっただけに、サマランチ会長の発表に会場は一瞬沈黙し、大きなどよめきの後、ソウル祝福の拍手となった。
韓国側参加者は抱き合って喜んだ。まさかの逆転劇だ。ソウルの得票は予想以上に多く52票。「分断国家」「財政難」という問題を抱えていたが、それを承知のうえでなお大量票が集まった。
名古屋市はまさかの敗北だったが、最も驚いたのは韓国政府であり、韓国国民だった。しかし、招致推進委員長・鄭周永は委員長を引き受けた時点で勝算があると考えていた。また、それを可能にする要素も十分あった。それは安企部の権力を活用して海外に進出している韓国企業を動員したことであり、韓国企業が持っているネットワークを利用して各国のIOC委員たちと接触し得票工作をしたことだった。安企部の権力が利用できる時代だったからこそ可能な作戦だった。
1988年の夏季オリンピックはソウルに決まったが、分断国家の韓国での開催は北朝鮮による妨害の憂慮があり、不安材料もあった。実際、その前の2大会、モスクワ大会はソ連のアフガニスタン侵攻に抗議し、米国はじめ西側諸国がボイコット、ロサンゼルス大会はソ連はじめ、社会主議諸国がボイコットした経緯がある。
それが史上最大の160カ国・地域が参加する大会となったことは、「やればできる」という起業家精神で招致成功に導いた鄭周永現代グループ会長の功績が多大である。鄭周永の計画に合わせて、各企業がそれぞれ得意とする中南米や中東、アフリカなどの支援を取りつけたことは、招致だけでなく大会参加にも好意的な影響を与えた。
「世界はソウルへ、ソウルは世界へ」というスローガンの〝88ソウルオリンピック〟は、1988年9月17日から10月2日までの16日間、世界から1万3600人を超える選手や役員が集まって開催された。12年ぶりに東西両陣営が参加し、名実ともに世界的規模のスポーツ大会として選手たちが実力を競い合った。
オリンピック競技が始まると、特にソ連・中国・東欧など社会主義諸国の活躍が目立ち、金メダルの241個のうち、130個をそれらの国が占めていた。
韓国は、自国で開催するソウル大会で金メダル12個を含む33個のメダルを獲得した。韓国がこれだけのメダルをとったのはオリンピック参加以来、初めてのことである。
オリンピック開催は韓国の発展した姿をそのまま世界に見せる場となった。選手や大会関係者だけでなく、観光客も24万人ほどがオリンピックの期間中に韓国を訪れた。しかも疎遠だった共産圏諸国からも大勢の人がやってきた。
韓国の人々は、世界には価値観の違う人たちもたくさんいるということも認識したはずである。また、外国人たちの来訪によって、多様な文化に接する機会となった。文化には輸入もあり、輸出もある。双方向で流れるのである。
写真/shutterstock
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