2023年に甲子園を優勝した慶應義塾高校野球部でも取り入れられた「アスリート・センタード・コーチング」とは? 世界的に注目されている日本武道の「守破離(しゅはり)」との共通点
集英社オンライン / 2024年9月2日 8時0分
「アスリート・センタード・コーチング」という指導法が現在一般的になっている。選手の欠点を批判するのではなく、選手たち自身が主体的に考えることを促し、長所を伸ばしていくという考え方だ。この指導法は、日本の武道では「守破離」という考え方で古くから実践されてきたというが、その共通点とは一体何か。
書籍『限界突破の哲学』より一部を抜粋・再構成し、その精神性を学ぶ。
円環を成す「守破離」
武道や茶道における修行の段階を表す言葉に、「守破離(しゅはり)」という概念があります。現在ではスポーツやビジネスなど幅広いジャンルで、学びのプロセスを説明する時にも使われています。
辞書を引いてみると、
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。
「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
(『デジタル大辞泉』)
とあります。
この守破離は、現代剣道の修行にも当てはまり、
守は、先生に学ぶ。
破は、仲間と鍛錬。
離は、自分で工夫。
という円環を成しているように思われます(図2)。
具体的に説明していきましょう。
最初の段階は先生から、いろいろなことを学びます。基礎知識や基本技、応用技や専門知識、また「武道をどのように生活に活いかすか?」といった武道の価値観も学ぶことになります。先生が生徒に、自分の持っているいろいろな情報を提供するわけです。
これが「守」の段階ですが、伝統的な日本の教育観だと、「黙ってやれ」というような、先生の言うことに絶対服従するイメージがあります。
「守」は、守るの守。言いつけを守る、きついことや理不尽なことでも従わなければならないというイメージです。
けれどもずっと修行してきた私の実感としては、必ずしもそうではないと思っています。伝統武道の世界でも、学ぶ側に主体性はあります。
スポーツの世界では、「アスリート・センタード・コーチング(選手中心の指導法)」が主流となりつつありますが、近年、この自分で考えさせる指導法は、武道の世界でも注目されていて、特に海外で流行しています。上から一方的に指導するのではなく、選手に課題を与えて、自分で考えさせる指導法です。
そして、もともと伝統的な武道の修行にも、「自分で考えさせる」要素があると私は思っています。
「守」のなかにある主体性
アスリート・センタード・コーチングの基本的な考え方は、「スポーツは楽しくやらないと伸びない」です。選手の欠点を批判し、矯正するのではなく、長所を伸ばしていく。課題を与え、自分で考えさせることで、学ぶことの楽しさを実感させる。2023年、夏の甲子園で107年ぶりに優勝した慶應義塾高校の野球部でも、監督がそのような方針で指導していたと聞きます。
そして武道の指導でも、昔から同様のことが行なわれてきたと、私は思っています。
武道修行のプロセスとして、まず先生からいろいろなことを学びます。そしてスポーツには無い武道の特徴として、「引退が無い」ということが挙げられます。つまり、武道では、指導する先生も、現在進行形で技術を学び続けているのです。私が教わっている八段の先生方にも各自の課題があり、それぞれが自分の課題に取り組んでいます。
このような武道特有の学びの関係性を、「師弟同行」と言います。師匠も弟子も、同じ道を歩んでいる。レベルや課題は違えど、先生も学び、生徒も学んでいる。そのような関係性のなかで、師匠から弟子へと技術が伝承されていく。
そして、この同行するふたりを貫いているのが、「求道心」なのです。ひとつの道を、ひたすらに追求していく心です。現代的に言うなら「向上心」が近いでしょうか。「昨日の自分よりよくなりたい」という前向きな心です。
この求道心のなかに、武道の楽しさがあるのです。「守」の段階で教わることの意味や目的は、すぐには理解できなくても、稽古を続けるうちにわかってきます。主体性を持って、自分の課題を見つけていくのです。
仲間と鍛錬して壁を破る
先生から学んだ基本を反復する。先生や先輩の指導を受ける。そして仲間と一緒に稽古していく。守破離の「破」は、仲間との稽古の段階です。
野球やサッカーはチームスポーツですが、武道はチームスポーツではありません。団体戦はありますが、基本的に集団戦ではなく、一対一の対戦です。
そして個人の戦いでありながら、一緒に稽古をしている仲間の存在があるのです。大学の剣道部を見ていても、熾烈なレギュラー争いがあり、「後輩に負けたくない」「先輩に負けたくない」といったライバル意識を持って、学生たちは鎬(しのぎ)を削っています。
先生から学んだ基本の技を、ライバル相手に試してみる。自分なりに工夫してみる。これが自分の得意技となり、試合でも勝てるようになると、ものすごくうれしいわけです。
周りは皆ライバルでもあるけれど、相手も一生懸命やっている。だから自分も一生懸命やる。そこから相手に対する思いやりが生まれてきます。仲間に対する感謝と共感。武道ならではの独特な絆が生まれるのです。
チームスポーツでも、チームメイトとの間に仲間意識は生まれますが、剣道の場合は、戦う相手に対して、勝っても負けても感謝の念が湧いてきます。これはやはり、スポーツの絆とは違うものです。
私は剣道を始める前、ニュージーランドでサッカーとクリケットをやっていたので、チームプレイの楽しさも知っています。サッカーやクリケットと比べると、剣道は孤独です。
道場のなかに先輩がいる、後輩がいる、先生がいる。周りにいろいろな人がいて、皆、一緒に稽古している。けれど、やはり孤独なのです。武道は戦の世界で生まれたもの。元をたどれば、人を殺すための技術です。それでも剣道は相手がいなければできません。だから相手の存在をリスペクトするようになります。矛盾した不思議な感情ですが、修行が進むにつれ、戦う相手に対して深い感謝の念を抱くようになるのです。
この独特な感謝の念から、相手への思いやりが生まれます。他者への想像力を働かせて、眼の前の相手を理解しようとします。私の場合、日本で剣道を学ぶようになってから、基礎的なマナーが身に付き、以前よりは他人に気を利かせることができるようになりました。剣道では「形」としての礼法をはじめに学びますが、仲間との研鑽を重ねるうちに、形式的でない本当の「礼」ができるようになっていきます。
守破離の「破」は、仲間と鍛錬することで、壁を破る段階です。
風景がガラリと変わる段階
先生から学ぶ「守」、仲間と鍛錬する「破」。その次の「離」の段階では、守と破で得たものを活かして、さらに工夫することになります。
たとえば、技はある程度できるようになった。試合でも勝てるようになってきた。だけど「どうしてもこの人に勝てない」という相手が出て来ます。道場内の基準からすると、それほど強い相手ではないのに、なぜか勝てない。
この段階になると、基本稽古の他に、「相手の技や癖を分析して作戦を立てる」「その相手専用のオーダーメイドの技を開発する」といった、新たな工夫が必要になってきます。
「どうすれば勝てるのか?」。想像力、作戦力、前に踏み出す力。答えが見つかるまで考える、考え抜く力。そして、仲間との協働作業も必要です。試合の感想やアドバイスをもらう、技を開発するための稽古相手になってもらうなど、集合知を結集します。
まず先生から学び、仲間との関係性のなかで、自分の課題を見つけていく。そしてその課題を解決するための工夫をする。たとえば「どうしても勝てない相手がいる」というのが課題なら、「作戦を立て、技を開発し、その相手に勝つ」ことが解決のための工夫となります。守破離の最後となる「離」の段階です。
私の経験でも、武道修行で大きな比重を占めているのは「離」の段階、つまり「自分で課題を見つけて、自分で解決をする」ことでした。
「先生の言うことには無条件で従う」というイメージが、伝統文化にはあるかもしれませんが、少なくとも武道は違います。「先生の言いつけを守る」という発想は、ともすれば「先生の言う通りにしていればよい」という思考停止に陥ります。技術の習得において、それは一番やってはいけないことなのです。
自分で課題を見つけて、自分で解決をする。常に問題意識を持って、物事に取り組む。決して楽なことではありません。それは厳しいことです。厳しいけれど、その厳しさのなかに、努力する喜び、壁を越えていく喜びがあるのです。「自分で課題をクリアした」という達成感が生まれます。成功体験が自信となります。この喜びを知り、自主性を育んでいくことが、守破離の「離」の段階ではないでしょうか。
そして修行を続けていくと、さらに高い壁にぶつかります。越えられそうにない、高い壁です。ここで「守」に戻るのです。この段階で、改めて先生に質問します。先生の方から声をかけてくることもあるでしょう。よい先生は、弟子のことをよく見ています。先生のアドバイスは具体的なものとは限らず、禅問答のような抽象的な言葉もありますが、それを自分なりに考え、答えを探していくのです。
武道修行の守破離のプロセスは、「守」に始まり「離」に終わる直線的なものではありません。「離」まで行くと、次の「守」がまた始まります。守破離は何度でも繰り返す、円環を成すプロセスなのです。
写真/shutterstock
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