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〈未解決事件〉「死んだ姉がこの曲、好きで…」大阪西成女医不審死事件の遺族が今も歌う「パンティー泥棒の唄」…被害者遺族として、人気バンドのボーカルとして、たゆたう心の軌跡

集英社オンライン / 2024年9月11日 11時0分

インパクトのある曲名と爽快で清涼感のある曲調で人気を博した、スリーピースロックバンド・モーモールルギャバン。ドラムとボーカルを担当するヤジマX氏には、アーティストとは別の、悲しい「過去」がある。実姉を「大阪西成女医不審死事件」(2009年11月16日)で亡くした、被害者遺族なのだ。音楽を通じて人々に活力を与える存在でありながら、いまだ解決に至らない事件の関係者という立場で今、思うこととは。

【画像】内科医として活躍しつつ、海外でも支援活動していた生前の祥子さん

「過労による自殺」から「殺人・死体遺棄事件」として受理

──まずはじめに、お姉さんがお亡くなりになった「大阪西成女医不審死事件」について概要をお聞きしたいです。



ヤジマX(以下同)
 2009年に大阪市で発生した女性医師の変死事件です。変死した女医が、私の姉である矢島祥子(さちこ)です。姉は2007年から、大阪市西成区にある診療所で内科医として勤務しておりました。内科医としての仕事に加え、夜回りや労働者支援なども行なっていたと聞いています。

ところが2009年11月に、同区の木津川にある千本松渡船場で遺体になって発見されました。当初、捜査した大阪府警によって「過労による自殺」とされていましたが、私たち遺族の再捜査要求などによって、2012年8月に正式に「殺人・死体遺棄事件」としての刑事告訴状が受理されました。

──ご遺族として「自殺ではない」と感じたきっかけがあったんですか?

不審な点がいくつかあったからです。姉の死因は溺死とされていましたが、司法解剖の結果、姉の肺には水が溜まっていないことが分かりました。これは、死後に水中に沈められた可能性を示唆していると法医学者も見解を示しています。

また、当然私たちは姉の遺体と対面していますが、その際、頸部に縄のような痕が残っていたことに違和感を感じました。

それから事件後、姉の部屋からは指紋がまったく検出されていません。日常生活をしていればどこかしらに姉の指紋があるはずなのに……。拭き取られたとしか考えられないんです。

──生前のお姉さんは、どのような人でしたか?

私たちは4人きょうだいで、姉が下から2人目、私が末っ子です。姉にとって私は、唯一家族のなかで自分より年下で弱い存在という位置づけだったのかもしれません。そのためか、とてもかわいがってくれました。

姉は、一般的にみれば優等生タイプだと思います。高校時代は100名を超える吹奏楽部の部長を務めていました。ただ、完璧主義という感じでもなく、家ではその辺でうたた寝してしまうこともあるなど、けっこうフランクな人でした。

また、僕が2005年からやっているバンド、モーモールルギャバンのライブにも月に1回くらい足を運んでくれました。「パンティー泥棒の唄」という楽曲がお気に入りでしたね。「バカらしすぎて元気が出る」といって(笑)。

──優等生だったお姉さんのイメージとは少し離れた、意外なお気に入り曲ですね。事件があったとき、一方でヤジマXさんもバンドマンとして非常にお忙しくされていたタイミングだったんではないですか。

そうですね。当時は、インディーズのデビューアルバム『野口、久津川で爆死』(2009年11月11日発売)が出た前後だったと記憶しています。

そのあと、2011年には数々の有名アーティストの登竜門的な存在である「スペースシャワー列伝 JAPAN TOUR」に参加させていただくなど、バンドとしても重要な時期でした。2012年にはZepp Tokyoでワンマンライブもしましたしね。

“なにも分かっていないバカ”だったころには戻れない

──バンドマンとして多くのファンに元気や活力を与えながら、プライベートでは親しくされたお姉さんの死というショッキングな経験をされたわけですが、それがファンとの距離において影響することはなかったですか?

ファンの方々についていえば、変に気を使うこともなく、純粋に音楽やパフォーマンスを楽しんでくれていたなと思います。そもそも、ファンに対して「私は大阪西成女医不審死事件で姉を亡くしました」という“公式発表”みたいなことはしていないんです。それでも、なんとなくみんな知ってくれて、でもライブは楽しんでくれたという感じでしょうか。

──事件についてはオフィシャルな場でファンに知らせず、自然と浸透していったというのも、モーモールルギャバンとファンの関係性が分かるような気がします。

明確にいつ発表したというのはなくて、ある日突然、「もう言ってもいいかな」と思ったんですよね。私たち家族や支援者は毎月、情報提供を呼びかけるビラを西成で配っていますが、SNSで唐突に「明日、西成でビラ配りします」って投稿した感じでした。

今は、ライブで「僕には2009年に亡くなった姉がいるんですが、その姉が好きだった曲です」と言ってから「パンティー泥棒の唄」を弾き語りしています(笑)。

──その曲紹介は、悲しみもありつつおかしみも誘いますね。事件後、楽曲作りなどに変化はあったのでしょうか?

楽曲については、回答が難しいですよね。同志社大学の系列の高校に通っていた私は、同級生とバンドを組んでいました。その同級生が、今のベースです。

その後、同志社大学へ進学して組んだバンドが現在のモーモールルギャバンの原型になっているのですが、あの当時は“なにも分かっていないバカ”な自分たちにしか作れない曲があって、それが一定の評価をいただいたんですよね。「ボキャブラリーが貧困なのに一生懸命やっている感じがいい」と言っていただいたりして(笑)。

翻って事件のあとは、やはりいろいろなことを考えるじゃないですか。“なにも分かっていないバカ”だったころには戻れないというか。だから、意図的に楽曲作りを変えてはいないものの、もしかしたら変わった部分がないとも言い切れないなとも思います。

もっとも、全体的な楽曲の変遷とは別に、個別的なことに言及するなら、ド直球で姉のことを描いた歌もあります。「Good Bye Thank You」(2011年12月7日発売)という曲ですね。

昨年、子どもが誕生。これからの目標

──事件のあと、どんなことを考えましたか?

簡単に言えば「人間ってあっけなく死んでしまうんだな」ということですよね。それから、これまではどちらかと言うと陰謀論や都市伝説にあまり関心がなかったのですが、そういうものを一笑に付すことができなくなりましたね。この世界、なにが起きても不思議ではないのだなというのは常に感じます。

──ヤジマXさんがアーティストとして描いている、今後の展望があれば教えてください。

ライブでお客さんを楽しませるのは当然で、もっとその先にある、「圧倒的で目が離せない、そして気づいたら時間がすぎていた!」というような世界に誘いたいですよね。それがアーティストとしての目標です。

それから私事ですが、昨年、子どもが生まれました。今本当に可愛いんですが、「思春期になったらオヤジはバイキン扱いされるんじゃないか」という恐怖があって(笑)。もしそうなったら、家には居られないけど、そのぶん外でしっかり稼いで家計を支えるために、ソロで日本中を回る“親父アーティスト”になりたいなと思ったりもします。もちろんお客さんを呼べて、商業的にも一定の利益が出るような音楽活動で、家計を支えたいですね。

モーモールルギャバン30周年は、Zeppツアーが組めて、ファイナルはさいたまスーパーアリーナ……なんて夢を描きながら、これからもアーティストとして歩みを止めないでやっていけたらという想いです。



私生活で生じたシリアスな出来事が、「売り物」に影響を及ぼす職業はある。アーティスト、ミュージシャンもそのひとつだろう。

ヤジマX氏が醸す雰囲気は、まるでカテゴライズされるのを嫌うかのようにたゆたっている。悲しみに暮れるだけの遺族でもなければ、現実離れした白々しいポジティブさを口にするわけでもない。

だがそれだけに、圧倒的な現実を突きつけられる。アーティストや遺族である以前に、ヤジマX氏が、いや誰しもが、さまざまな感情をないまぜにしながら前に進むひとりの人間であるという現実を。

青春期から地続きで歌を紡ぐモーモールルギャバンという場所で、ヤジマX氏はこれからも己が思うままに、旋律を奏で続けていく。


取材・文/黒島暁生

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