誤字脱字の氾濫。事実関係を無視したデマの垂れ流し。衆参議院議院運営委員会理事会では法案に134カ所ものミスまで…「校正」の不在がもたらすもの
集英社オンライン / 2024年10月6日 11時0分
ネット上では、校正者の不在によって誤字脱字や、デマがあふれかえっている。本当にこれでよいのか──? 作家の髙橋秀実氏の新刊『ことばの番人』は、「校正」に注目したノンフィクション。
本書より一部抜粋してお届けする(全2回の1回目)。
うまい文章を書きたければ、誰かに直してもらえばよい
「どうすれば、うまい文章が書けるんですか?」
ある講演会で高校生にそう質問されたことがある。将来は社長になりたいという男子からの素朴な質問で、私は思わず「うまく書こうとしないほうがよい」と答えた。
うまく書こうとするとうまく書けない。うまく書こうと力むからうまく書けないのだと言いたかったのだが、よくよく考えてみると、うまく書こうとしなくてもうまくは書けない。そもそも私自身うまく書けていないわけで、正直にこうアドバイスするべきだった。
「誰かに読んでもらえばよい」
そう、誰かに直してもらえばよいのだ。私の場合、原稿はまず妻に読んでもらう。次に出版社などの編集者、そして校正者が読む。彼らが誤字脱字はもとより事実関係などをチェックし、原稿に赤字を入れてくれる。それを見ながら文章を直し、整えるのだが、そこで初めて「私」に気づいたりするわけで、文章は私が書いたものではなく、彼らとの共同作品なのだ。
チェックすることを「ケチを付ける」などとバカにする人もいるが、彼らは優れた読み手である。文章を読むだけではなく、不特定多数の一般読者はこれをどう読むか、ということも読む。
自分だけではなく一般的な読みまでも読み込むわけで、その視点が入ることで文章はひとりよがりを脱し、公共性や社会性を帯びる。彼らに読まれることによって言葉は練られ、開かれていく。
文章は書くというより読まれるもの。読み手頼みの他力本願なのだ。世の中には優れた書き手などおらず、優れた校正者がいるだけではないかとさえ私は思うのである。
実際、日本最古の歴史書・文学書である『古事記』を撰録した太安万侶(おおのやすまろ)も実は校正者だった。上巻の「序を幷(あわ)せたり」にこう記されている。
(『古事記 新編 日本古典文学全集1』小学館 1997年 以下同)
『古事記』以前に書かれていた『旧辞』と『先紀』の誤りを正す。つまり彼は過去の文献を校正したのである。
なんでも天皇が『旧辞』などを「討(たず)ね竅(きわ)め、偽りを削り実(まこと)を定めて、後葉(のちのよ)に流(つた)へむと欲(おも)ふ」と命じたらしい。文章をよくよく調べて正し、虚偽を削除し、真実を定めて後の世に伝えたいということ。
まさしく校正を命じたということなのだが、『旧辞』や『先紀』などは、いまだにその存在すら確認されていない。原本のどこをどう直したのかわからず、原本があるのかないのかすらわからない。
いずれにしても私たちにとって最初にあるのは校正を宣言した『古事記』。「はじめに言葉があった」と説く聖書と違って、日本では「はじめに校正があった」のだ。
歴史を校正すると言いながら、校正することで歴史が生まれた。考えてみれば、校正するからこそ「原本」や「誤り」「偽り」「真実」などの概念も生まれるわけで、校正がなければ元も子もないのである。
「原稿」も「原(もと)」とあるように「印刷したり発表したりする文章などの下書き」(『講談社 新大字典(普及版)』講談社 1993年)にすぎず、校正を前提としている。そもそも何かを書くというのも何かを正そうとしているようで、すべては校正ではないだろうか。
改正より校正すべし
ところが、校正は表向き、目には見えない。通常、校正者の名前は表に出ないし、文章のどこをどう直したという痕跡は完全に消されている。はじめから誤りがなかったかのように。まるで著者がひとりで書いたかのように見える。
それゆえ校正者が居ても居なくても世の中は変わらないように思われるのだが、ネットの普及によって彼らの不在が露呈している。
目を覆うばかりの誤字脱字の氾濫。校正者の不在によって誤字脱字が世にあふれかえっているのだ。送られてくるメールは漢字変換ミスのオンパレードで、おそらくは読み返されていないのだろう。
ネット上の書き込みもひとりよがりを超えた罵詈雑言や事実関係を無視したデマの垂れ流し。いっそのこと学校では「国語」ではなく「校正」を教えるべきではないかと思うくらいなのである。
教えるといえば、国立印刷局発行の『官報』には驚かされた。その巻末には毎日のように、正誤表が掲載されている。
連日、法律の条文などの「誤り」が発表されているのである。国会で一字一句審議されて可決成立したはずの条文などに「原稿誤り」があったとして、官報でさらりと訂正しているのだ。
さらに2021年3月の衆参議院議院運営委員会理事会では政府から国会に提出された法案の3分の1(23法案と1条約)に134カ所ものミスがあったと報告された。「カナダ内にあるカナダ軍隊の施設」(「防衛省設置法の改正法案」)とすべきところを「カナダ内にある英国軍隊の施設」と間違えたり、「海上保安庁長官」(「デジタル庁関連法案」)を「海上保安長長官」と誤記したり、「を」(「産業競争力強化法の改正法案」)を「w、」と誤変換したり……。
おそらく改正に気をとられて校正を怠ったのだろう。ミスだらけの法案が審議され、誤った条文が公布され、それを官報で校正する。こうなると最終的に立法を担っているのは国立印刷局ではないだろうか。
文化の衰退。
私は切にそう感じている。そもそも「文化」とは「文による感化」(『学研 漢和大字典』学習研究社 昭和53年 以下同)を意味する。
「武力や刑罰などの権力を用いず」に、文によって「人民を導くこと」。戦争を抑止するのも文化であり、文化が衰退すると暴力がのさばるわけで、世の平和のためにも私たちが心がけるべきは文の校正なのだ。
校正せよ。
世間にそう訴えたいのだが、実務としての校正作業を私はよく知らなかった。
これほどお世話になっているにもかかわらず、校正者の方々とは面識すらなかった。
今さらながら自分が恩知らずであることにも気がつき、とり急ぎ私は日頃の感謝を伝えるべく、校正者のもとへ出向くことにしたのである。
校正者曰く「面白い原稿は要注意」
「校正をしようと思う人であれば、誰にでもできる仕事でございます」
実に丁寧な口調で山﨑良子さんは語った。彼女は大学(文学部)卒業後、3年間病院で秘書をつとめた後に出版社に転職。その7年後に校正者になったそうで、25年以上のキャリアを持つベテランである。
彼女は3年前に私の原稿を校正しており、「その節はお世話になりました」と御礼を述べると、驚いたような顔をして「こちらこそ、ありがとうございました」と深々と御辞儀をした。旧漢字の扱いをめぐる当時のやりとりも正確に記憶されており、それを回想する言葉遣いまで校正済みのようだった。
──誰にでもできることではありません。
私は力強く否定した。以前、私は他人の原稿を校正しようとしたことがある。しかし俺様感覚が強いせいか、いきなり冒頭からつまずき、全体を構成し直したい衝動に駆られた。間違いをチェックするというより、全体が間違いに思えたわけで、そうなると校正にならないのである。
「基本は照合なんです」
静かに解説する山﨑さん。そもそも「校正」の「校」は訓読みすると「くらべる」。「校正」とは「写本または印刷物などを原稿や原本とくらべ、誤りを正す」(前出『講談社 新大字典(普及版)』)こと。
元の原稿とゲラ(校正刷り)を照らし合わせる。あるいは引用の原文とゲラを照らし合わせる。さらには辞書・事典類、資料などと意味や事実関係を照合するのだ。
「原文は必ずコピーをとって、それをゲラ刷りと並べて突き合わせるんです。照合することを『突き合わせ』と言いますが、それは本当にモノとして突き合わせるんです。そして文章を人差し指で押さえながら読んでいきます。原文のほうで、例えば『……であったマル(。)』。ゲラ刷りのほうで『……であったマル(。)』とか」
──声に出すんですか?
「いいえ、シンナイです」
──シンナイ?
「心内。心の内です」
心の中に音声を残し、それと照合するのである。山﨑さんは造作ないことのように説明するのだが、実際にやってみると難しい。私などは途中で読み違えてしまう。なるべく直したくないと思うせいか、間違っているのに心内で勝手に直してしまうのである。
そもそも別々にあるものを同一だと確認するのは、そこに共通するものを見出すということであり、それは同時にそれ以外の細かな差異を無視するということでもある。校正とは差異の中から有意な差異を選別するという離れ業なのだ。
「300ページほどの小説であれば、5日間で仕上げます」
さらりと語る山﨑さん。
──それは早いですね。
私が感心すると、彼女は微笑む。
「約束の日までに必ず終わらせる。そう決めることで必死にやるんです」
──原稿の中には面白いものと、そうでないものがあると思うんですが……。
恐るおそる切り出すと、彼女は遮るように言った。
「面白い原稿は要注意です」
──そうなんですか?
「面白いから読んじゃうんです。『てにをは』が乱れていても、つい読んでしまう。誤りを拾い損ねてしまうんですね。もう一回読み返して、実はわかりにくい文章であることに気がついたりするんです」
誤りは「拾う」ものなのである。ちなみに「誤り」の「あや」は「霊(あや)」と同根であり、「あやまり」とは霊の「異常な状態」(白川静著『新訂 字訓[普及版]』平凡社 2007年)を意味するらしい。
「誤」という文字も、巫女(みこ)が神を楽しませる行為を表わしているそうで、「そのようなエクスタシーの状態において発する語には、誤謬(ごびゅう)のことが多い」(同前)とのこと。エクスタシーは誤りのもと。本を読んで感動することも一種の「誤り」なわけで、校正者は楽しんではいけないのである。
文/髙橋秀実 サムネイル/Shutterstock.
〈芥川龍之介、永井荷風…文豪の背後にいた「校正の神様」? 出版された本の間違いを見つけ、著者に手紙を送っていた謎の人物とは…〉へ続く
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