〈中野・劇団員殺人事件〉「絶対に犯人を見つけてやる」ある日突然、恋人を殺された男性“決意と奔走の200日”
集英社オンライン / 2024年10月12日 11時0分
2015年8月26日、東京都中野区のマンションで住人の加賀谷理沙さん(当時25歳)が首を絞められ亡くなっているのが発見された。捜査が難航する中、被害者の恋人で同じ劇団に所属する俳優でもあった宇津木泰蔵氏(同31歳)は、自ら真相究明に動き出した。
恋人の無念を晴らすため、手がかりを求め歩き続けた200日間を『事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて』(鉄人社)より、一部抜粋、再構成してお届けする。
恋人の“無念”を晴らすため、自ら捜査を開始
警察は事件を「通り魔的な犯行の可能性が高い」と見立てていた。怨恨を生むようなトラブルが見つからないことに加え、遺体発見時、理沙が全裸で倒れていたことから、レイプ目的による強制わいせつ致死だと睨んだのである。
「事件に巻き込まれる要素なんて何一つなかった。慎ましく生活しながら、女優になるという夢を純粋に追い求めていた若者そのままだった」
ある捜査関係者が話す。友人だけではなく、アルバイト先の知人や役者仲間の誰に聞いても、「恨みを買うような人ではない」と口を揃えたという。
「だから行動に移すことにしたんです、犯人探しと真相究明のために」
泰蔵は事件から1週間後の9月1日未明、理沙が暮らしていたマンションの前に立った。事件が起きた時刻に現場前からスタートし、犯人の逃走ルートは右か左か、どちらに逃げれば人目につかないとか考えながらひたすら歩いた。
「犯人は現場に戻る」とよく言われることからして、いつかボロを出すはずだ。特に単身用マンションのベランダには目を光らせた。部屋から消えた理沙の私物の舞台衣装と愛用していたバッグを犯人が干してるかもしれないと睨んだのだ。
役者だけで生活することを胸に生きてきた男は、この日を境に恋人の〝無念〟を晴らすことだけを目標にし、それを実践する。犯人への憎悪が原動力になったのは言うまでもない。となれば「迷いはなかった」と、ドスの利いた主張を展開した。
「絶対に見つけてやるぞというか、もうね、あえて言葉を選ばずに言うと『ぶっ殺してやる!』って。殺意を抱いたことは一度や二度ではありません。それは今も心の奥底に燻っています」
彼が果たしたかった無念とは何か。犯人逮捕と事件の真相を突き止めることである。指針なきまま夏の終わりを告げるかのように冷たい雨が降るなかで泰蔵はひとり、中野新橋界隈を歩いた。
犯人逮捕のその日まで終わりはない。警察が頭を抱えるなか、イロハのイも知らない男が捜査をするなんて。淡い期待に過ぎないかもしれないが、たとえこの先何年、何十年かかろうとも続けてやると覚悟を決めた。
事実、泰蔵の決意は相当なもので、捜査は季節が秋になり冬になっても毎日のように続けられた。ただのゲン担ぎかもしれないが、月命日や事件から10日目、20日目といった区切りの日を特に重視した。
ちなみに、私が泰蔵と付き合うようになったのは、彼に対するネットの心ないコメントがきっかけである。
〈2ヶ月しか交際してないのに悲劇のヒロインになるな〉
〈LINEの文面を見ると付き合ってるように見えないんだけど、証拠を出して〉
発生から逮捕まで、事件の解決を願ってマスコミからの取材を受け世間に肉声を届けていた泰蔵に対し、ニュースサイトのコメント欄にはこのような書き込みが続いていた。
彼を犯人視する記述すら散見された。まごうことなきシロであり、どころか誰に頼まれたわけでもなく犯人探しをする彼を、大袈裟に言えば見ていられなかったし、取材対象として面白いと思わなかったと言えば嘘になる。私は彼に密着しようと決めた。
捜査は難航、真偽不明の報道も
マスコミまでアテにできないなら、自分がやるしかない。理沙を殺した犯人を必ず見つけてやる。泰蔵が、さらに自分で何とかしなければと思ったのは、難航する捜査に呼応するかのごとく、主に警察発表をネタにしていたマスコミ報道もめっきり減ってしまったからだ。
どころか、独自にネタを仕入れるのは相当に無理があったようで、事件がDV彼氏と酒癖が悪い女性によるトラブルの果てに起こったかのごとくミスリードするメディアまで現れる。
一部を新聞記事より引用したい。
7月上旬頃には、自宅近くの公園で、加賀谷さんとみられる女性が男性と口論になり、女性が泣く様子を近隣住人が目撃していた(2015年9月10日産経新聞)
裏取りもせぬまま、さらに詳しく報じるメディアもあった。『アサ芸プラス』の記事である。
(男が)「おまえと飲むと、いっつもこうだよな」と言い、女性が持っていた携帯電話を急に取り上げました。女性が「何すんのよ。やめてよ、返して。そういうこと、やめてよ」と騒ぎだすと、男は「うるせぇよ』と彼女を小突いたんです。
女性は「痛い。やめてよ」と泣き叫びながら抵抗し、「あなたのことは宮城の親も知っているんだからね」と言い放ったという。近隣住民が続けて証言する。
「泣きじゃくる彼女に男は『リサ、俺の話を聞いてくれよ』と何度も呼びかけていましたが、女性は走って逃げようとする。そのたびに男が彼女の腕をつかんで止めるんです。女性は『痛い。やめてよ!』と怒り、男は『話そうよ、リサ。お願いだから聞いてくれよ』と繰り返していました。
女性は『あなたのことは大好き。一緒に住みたいとも思っている。でも無理なの。私ね、あなたに殺される。あなたが怖いの。無理なの、もう』と悲痛な感じで、男のほうは『何でリサのことを殺さなきゃならないんだよ』と」深夜の口論は2時間近くに及んだ(2015年9月14日)
この報道を受けて私は、すぐに裏取り取材を開始した。口論があったとされる公園は住宅街の一角にあり、証言者の住むマンションだけでも50世帯を超えた。恐らく一連の記事はアマい取材の上で報じられたのだろう。わずか1時間ほどで「オカシイ」と気づいた。
会話が聞き取れるぐらいの大声で2時間も話していれば周囲にも漏れ伝わってもよさそうなものなのに、耳にした住民が全くいないのである。これは誤報じゃないのか。ならば改めて記事に出ていた証言者に確認してみよう。本当に理沙と元彼との会話だったのか。
作られた「酒癖が悪い」被害者像、実際は…
証言者は言う。
「確かにそういう会話を聞きました。記者さんから事件前に何か異変はなかったかと聞かれて思い出したから話したんです。時期はもしかしたらもっと前かもしれませんけど」
「本当にリサ、という単語を聞いたんですか?」
「と思いますけど、定かではないです。記者さんから被害者の名前を理沙だと聞いたから、そうだと思って……」
話がブレすぎている。むしろマスコミに誘導された感が強いのでは。確かに理沙は酒好きだったが、泰蔵が話す彼女はマスコミが作り出した「酒癖が悪い女性」像とは明らかに別人だった。
「理沙は、舞台は見に行くの大変だけど、ドラマだったら実家の祖母も見れるから早くドラマに出るような女優になりたいな。そのためにも頑張って有名にならなきゃって」
祖母を溺愛する彼女の部屋には、祖母との手紙がたくさん残っていたという。念のため捜査員に確認するも、「あんな話、相手にしていないよ」と一笑する。やはり誤報だったのだ。
泰蔵の独自捜査は毎晩、新聞配達が動き出す午前4時頃まで続いた。始発までの間、「松屋」で休憩するのが恒例になった。収穫はないが、牛丼を食べながら明日への誓いを立てる。
「でも、不思議と気持ちは前向きでしたね。じゃあ明日も、また明後日もって」
始発列車で自宅に帰りシャワーを浴びる。1時間だけ仮眠を取り家を飛び出す。身体はキツいがアルバイトを辞めたら探し続けることもできない。
むろん、警察による懸命な捜査も続けられていた。最寄駅の改札口前では毎晩、私服の刑事が目を光らせ、怪しい人物に聞き取りを行った。さらに、理沙と面識があるとわかれば、たとえ数年前に一度会っただけでも片っ端から指紋やDNAの提出を求めるようになっていた。
任意で求められた男性のひとりは言う。
「突然、警察が自宅に来たときは驚きました。〝加賀谷さんの件で〟と言われても全くピンとこなかったです。よくよく聞くと、理沙さんが事件で亡くなっていると、それすら知らなかったです。もちろん、DNAや指紋には協力しました。でも、一度仕事関係の飲み会で同席して連絡先を交換した程度の仲です。事件から2年ぐらい前じゃないですか。加賀谷さんが、OLをしていた頃です。その後、1度や2度、メールで時候の挨拶ぐらいはしましたけど、その程度です。警察はどうやって私にたどり着いたのか驚きましたよ。理沙さんは大人しいというか、半歩下がっているような女性というイメージ、可愛らしい女性でした。本当に残念に思いましたよね」
再会の時、彼女は“白い箱”になっていた
一方、泰蔵の行動はすぐに広く知れ渡り、刑事を通じてやがて理沙の母親の耳にも届く。
「せめて一言だけでも謝りたいです。会ってほしいと伝えていただけませんか?」
両親が上京している旨を刑事から聞いた彼が懇願すると、母親はすんなり受け入れてくれた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。守ることができずにごめんなさい」
まともに顔を見られないまま言うと、母親は「ありがとう、本当にありがとう」と彼の手を取り言った。
「ぜひ、娘に会いに来てね」
見上げるとそこに、理沙にソックリな母親の、優しく微笑む顔があった。
以来、泰蔵と理沙の両親との交流が始まる。彼女のもとへ、すぐにでも。気持ちは早るが、しばらく先までアルバイトの予定を入れてしまっていた。休みはないか。連休はないか。手帳に記された予定表を目で追うと、思いがけないことに9月末に連休を取っていたことがわかった。
理沙と2人で過ごしたいと休みを取っていたんだ……。自分の誕生日のことすら忘れていたという。それだけ事件に忙殺されていたのである。
すぐに新幹線の予約を入れ、そして、誕生日である9月20日に泰蔵は、満を持して理沙に会いに行く。緊張と淡い思いが入り乱れる、はずだった。だが彼は、彼女が白い箱になっているという現実を目の当たりにして、自分の無力さに膝から崩れ落ちる、だけだった。
「実は事件後、僕は彼女とは対面できてないんですよ。自分も疑われていたというのもあって、親族だけで荼毘に付されていたんです。そしてお骨になって実家で過ごしていたので、あの日、初めての再会だったんです」
彼女の遺骨を見てもまだ、信じられなかった。そのとき、最後に会話したときのことを思い出した。
「新宿へ向かう電車で、自分が先に降りて『お疲れ~』って手を振った。僕らはそれっきりだった。あれから、たった1ヶ月ですよ。それなのに彼女が白い箱になっている現実……。つらかったです。箱を撫でてお母さんたちが昔の写真とか飾っているのを見て、自分の付き合いの浅さを恨みましたし、彼女を守れなかったことの責任の大きさを実感しました。本当に申し訳ないなって」
泰蔵は理沙を助けられなかった後悔から来る彼女の命の重みを、深く噛み締めるようにしてじっと息を潜めた。両親には、彼女がどれだけ真剣に女優を目指していたかを伝えることで精一杯だったという。
その後も毎日、泰蔵は疲れと興奮を反芻しながら、ただひたすら彼女の自宅マンション周辺を歩いた。まだ容疑者すら浮上していない。
(文中敬称略)
写真/『事件の涙』より出典
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