一生面倒を見るといった中日の裏切り…「巨人1強を防ぐために、受けてくれ」若き竜戦士の流出騒動で放たれた球団社長のズルい発言とは
集英社オンライン / 2024年10月23日 11時0分
〈日本プロ野球界初のドラフト会議での仰天契約「生涯中日グループが面倒を見ます」…「新人選手は契約金1000万円、年俸180万円が上限」のなか破格条件を引き出した裏側〉から続く
元プロ野球選手の広野功は、1965年の第1回ドラフト会議で中日に入団。「現役引退後も中日グループで面倒を見るからトレードはあり得ない」と約束されて入ったのだが、1968年、田中勉とのトレードで西鉄に移籍した。突然の球団側からの裏切りには、一体どんな事情があったのか。
『野球に翻弄された男 広野功・伝』(扶桑社)より、一部抜粋、再構成してお届けする。
「ウソでしょう?」
2年前の広野は、アメリカのメジャーリーグでのプレーを夢見る大学生だった。だが、ゴリゴリ反米の父の剣幕に折れて渡米を諦め、ならばせめて好条件でプロ入りしたいと考えた。
そんな広野の事情などお構いなしに、まるで広野の大学卒業年に合わせるように、プロ野球界は、ドラフト制度を導入。
前年までの高騰する契約金・年俸を抑制すべく制度を導入したと自分たちの事情を言い立てて、広野が希望するカネは払えないと突っぱねている。
「お金を払わない代わりに、中日球団は『うちはお前を一生面倒見る』と言ったんですよ。その条件があったからこそ、僕は中日入りしとるわけですよ。なのに、入団して2年目のオフに、『お前、西鉄に行ってくれ』と社長が言うんですから、それはないでしょう」
選手にとって、球団社長は雲の上の存在である。徳商野球部、慶應野球部で礼儀作法を叩き込まれて生きてきた広野にとって、ぞんざいな言葉遣いはありえない相手だ。それでも広野の口からは、考えるより先に言葉が出た。
「ウソでしょう?」
驚愕する広野の顔を見て、小山はトレードの経緯を告げた。
「うちからではなく、西鉄が広野を指名してきた。もちろんウチは広野を出すわけにはいかないから、いろんな選手を候補に出した。内緒だが、江藤慎一もその中に入っていた。だけど、向こうは君を指名してきた。巨人一強を防ぐためにウチもどうしても勝てる投手がほしい。受けてくれ」
小山の言葉は、おそらく大人のずるさである。
1937(昭和12)年生まれの江藤慎一は不動の四番で、1967(昭和42)年は34本塁打、2割7分6厘の成績を残している。
対する広野は1943(昭和18)年生まれの本塁打19本で、2割3分3厘だ。残りの稼働可能な年数を考えても、広野の代わりに江藤を出す選択肢はないだろう。
しかし、あまりに急な出来事に、広野は心の整理がつかない。
「3日間、考える時間をください」
涙を流しながら懇願した。
広野はその足で当時世話になっており、名古屋の親代わりでもあった梅原武夫のもとへ相談に向かった。
梅原は、毎日新聞で毎日オリオンズの創設に関わるなどプロ野球界を知る人物である。
当時は毎日名古屋会館の「ホテルニューナゴヤ」の総支配人だった。
梅原は若き中日選手である広野を可愛いがり、同じく懇意にしていたプロゴルファーの内田繁も含めて、度々ホテルニューナゴヤで食事をするほどの仲だったのである。
トレードに宣戦布告
「そんなふざけた話、受け入れるな!」ホテルニューナゴヤの一室に、梅原の怒号が響く。親同然である梅原のこの一声で広野は球団と戦うことを決意。しかし、何気なしにつけたテレビには『広野功、トレード』のテロップが躍っていた。
記者たちが待ち構えていたのは、このためである。すでに広野のトレードは既成事実として世に出てしまったのだ。
「広野、雲隠れしろ。このホテルにずっとおれ」
梅原に言われ、1週間ほど広野はホテルに缶詰めになった。すると熱狂的な名古屋のファンたちは、広野のトレードに反対する署名運動を開始。若き竜戦士の流出は、大きな騒動になっていた。
しかし、ホテルの窓から、署名運動を眺めている広野に向かって、梅原は諦めたようにこう告げた。
「広野、これは契約上もはやどうにもならん。球界のルールではトレードを受け入れるか、野球を辞めるかのどっちかだ。お前、野球を辞めるか?」
「まだ辞めるつもりはないです」
「じゃあ、明日球団に行け。その代わり、条件を出せ。トレード相手の田中勉と年俸を一緒にしてもらうんだ」
当時の広野の年俸は350万円。対して田中は700万円と倍だ。悪い話ではない。
翌日、広野は待ち構えたファンや報道陣を避けながら球団事務所に入った。そして、球団にトレードを受ける旨と年俸の条件を伝えた。
「広野、それはできない。統一契約書の交換だから、それをしたら偽造になる」
球団社長の小山は突っぱねるも、広野は食い下がる。
中日球団と広野のゴタゴタの解決を待つ西鉄は、“青バット”大下弘(元・東急、西鉄)の永久欠番「3」を解除し、広野に用意していた。これ以上ない、広野へのラブコールである。
しかし、「当時は、背番号なんかどうでもよかったんですわ」と広野は条件にこだわりつづけた。そこには、梅原からの教えがある。
「プロはカネで動く世界だ。カネを稼がなきゃ意味がない。1対1で、しかも向こうがお前を指名してきているんだ。それなら対等な条件にするのは当たり前だろう」
そして、1週間後、広野自身によるタフネゴシエーションの末、ついに球団が折れた。
年俸額を変えない代わりに、中日は広野の年俸にかかるすべての税金を負担する案を出したのだ。税金を負担すれば、広野の手取りは田中に迫るという「ウルトラC」をひねり出したのだ。
広野は逆境を跳ね返し、中日を去って西鉄に渡った。不本意ながらトレードされた広野だったが、その西鉄である男と出会う。この男との出会いが、広野の今後の人生に大きく影響を与えるのである――。
文/沼澤典史 写真/Shutterstock
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