「お腹の中を刃物でグルグルかき回される」ほどの痛みに対して「無痛分娩は甘え…」 麻酔薬不足であぶり出される、日本の出産のあり方
集英社オンライン / 2024年10月10日 17時0分
無痛分娩やがん治療などで使用される麻酔薬“アナペイン”が全国的に不足している。アナペインは、がんの治療にも使われていることから、Xでは「貴重な麻酔薬を無痛分娩のために使うのは“甘え”では?」という声が上がり、「お腹を痛めて産んだ子」をめぐる論争が起こった。どのような場合に無痛分娩は許されるのか。産婦人科医に話を聞いた。
【写真】「ハンマーで殴られて腰が砕ける」ほどの痛みを伴う出産を選択する驚きの割合
「この世の終わりのような痛み」
女性が分娩するときの痛みは「この世の終わりのような痛み」といわれている。
その痛みは「お腹の中を刃物でグルグルかき回される」、「ハンマーで殴られて腰が砕ける」などと喩えられることも多々ある。出産直前にはそれが約1分おきに襲ってくるのだから、「この世の終わり」と感じる者がいてもおかしくはない。
この痛みを軽減する措置として、無痛分娩がある。無痛分娩とは、麻酔薬を使用して出産時の痛みを緩和する分娩方法だ。
厚生労働省の調査によると、日本国内での無痛分娩の割合は2020年で8.6%(※1)。2016年の6.1%(※2)に比べれば増加しているが、各国と比べると高い割合ではない。
東京慈恵医大病院によると、無痛分娩の実施率はアメリカが73.1%、フランスが82.2%、イギリスは60%、ドイツが20~30%(※3)。日本でも関心度は上がってはいるものの、まだまだ少ない傾向にあるといえる。
医療が発達しているはずの日本で、なぜ無痛分娩の実施率が低いのか。
ひとつは「費用」の問題だろう。自然分娩は通常約30~80万円かかり、無痛分娩はこれに約10〜20万円を加えた金額がかかる(※4)。麻酔薬や陣痛促進剤などの医療行為が行われるため、普通のお産よりも高くつく。さらにこれらは保険適用とならず、自己負担となる。
SNS上では、「私がこの痛みを耐えれば20万円が浮く」と考えて我慢したという声や、「本当は無痛を選びたかったけど、夫から『高いからダメ』と反対された」と家族の承認を得られなかったケースも多く散見される。
無痛分娩が7割を超えるアメリカやフランスでは、この安くはない金額を、どのように負担しているのだろうか。
アメリカやフランスでは無痛分娩が医療保険の適用となっており、自己負担なしで選択でき、フランスでは追加費用はゼロだ。また、出産費用が社会保険の適用になっていることから、出産後の入院期間も短い。イギリスのキャサリン妃も出産翌日に退院し、元気な姿を見せていた。
一方、日本では保険が適用できず、自己負担になってしまうが、決して安くはない金額にもかかわらず、無痛分娩を選ばなくてはならないこともある。
「医療的に無痛分娩が望ましいケースも」
どのような場合に無痛分娩を選ばなくてはならないのか。
名古屋大学産婦人科医の植草良輔さんは、数々の出産の現場に立ち会った経験から、無痛分娩のメリットをこう述べた。
「医療的に無痛分娩が望ましいケースは、妊娠時に高血圧を発症している“妊娠高血圧症候群”や、脳血管や心臓の病気を合併している妊婦さんなどに対してです。
これらのケースは陣痛による痛みにともなう、血圧上昇が母体に影響を及ぼすことがあるので、それを避けるために無痛分娩を選ぶことがあります。他にも陣痛や出産の痛みに対して、恐怖やストレスを強く感じている場合にも無痛分娩をすすめています」(植草さん、以下同)
日本でも増えつつある無痛分娩だが、植草さんの働く病院でも、無痛分娩の希望者は増えてきているのだろうか。
「私の働く病院でも、無痛分娩を希望される方は年々増加しています。また、無痛分娩が可能かどうかで分娩施設を探す妊婦さんも増えている印象です。経験上、産後の体力を温存したい、痛みに関する不安が強いといった方が無痛分娩を選ぶことが多いですね」
無痛分娩で麻酔に使われるアナペインは、製薬会社の工場の関係で出荷停止になっているという。今年6月から限定出荷が続いているものの、年内には供給が再開する見通しらしいが……。
「今後は供給が安定するまでは、医学的適応のある方のみ無痛分娩を行うという可能性も考えられます」
「医学的適応のある」とは、その治療行為が患者の生命・健康の維持・回復に必要であり、患者にとって優越的な身体利益になることを意味する。
10月2日にも、「厚生労働省が、治療が必要な患者の優先順位を策定することを呼びかけている」ことや「無痛分娩を制限せざるを得なくなる可能性がある」という報道があった(※5)が、こうした報道が、Xで大いに議論を巻き起こしたのだ。
「お腹を痛めて産んだ子」にみられる古い価値観
報道後、Xでは「治療が必要でなくても、痛みを軽減するために無痛分娩を選択できる権利があるはず」という旨の批判的な意見のポストがあふれかえった。
〈無痛分娩率、フィンランドは約9割、フランスは約8割、アメリカは約7割、日本はたったの6%。避けられる痛みを避けないのが普通で、大多数がそっちを選択するってほんとに意味が分からない。〉
〈妊娠した時点でいずれとんでもない激痛に襲われるの分かってるんだから、麻酔使うべきでしょ。結局のところ日本は男社会で、医者も男が多かったからこれまで軽視されてきたんだよね。これからは日本も無痛分娩を当たり前に。女性にもっと人権を。〉
また、「無痛分娩は甘え」「お腹を痛めて産んだ子」にみられる、出産にまつわる思い込みについても言及されている。
〈「つわりの薬や無痛分娩は甘え、産んだからには自己責任と母性でよろしくね!」な雰囲気しか感じないんだけど無理じゃない?〉
〈無痛分娩がない時代の「腹を痛めて産んだ子は可愛いぞ」と言う励ましの言葉が、今では「腹を痛めないと可愛いと思えない」と言う呪いの言葉になっている気がする〉
古い価値観を否定するポストが多く見られたが、その影響はいまだに根強い。筆者のまわりの経産婦でも「痛みに耐えてこそ一人前の母親」という義母の言葉をうけて、「費用面は問題ないけれど、あえて無痛分娩を選ばなかった」という者もいた。
今回の報道に対する批判は、古い価値観が揺らぐ様子を映し出したのかもしれない。
――10月8日に、厚生労働省の福岡資麿大臣による記者会見が行われた(※6)。それによると今年8月に承認されたアナペインの後発医薬品が、年内には供給開始される見込みだという。
アメリカ大統領選でも人工妊娠中絶の権利を認めるべきかどうかが、争点になっている。今後、令和の「女性の権利」はどのように変化していくのか。
プロフィール
植草良輔(うえくさ・りょうすけ)
名古屋大学産婦人科医。名古屋大学医学部を卒業し、豊橋市民病院産婦人科での勤務を経て、現在に至る。
出典元
※1『令和2年医療施設調査・病院報告の概要』 厚生労働省https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/iryosd/20/dl/02sisetu02.pdf
※2 厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000203217.pdf
※3 慈恵医大病院
https://jikei-hp.or.jp/painless/about/spread/
※4 明治安田生命https://www.meijiyasuda.co.jp/find2/light/knowledge/list/41.html#:~:text=%E8%87%AA%E7%84%B6%E5%88%86%E5%A8%A9%E3%81%AE%E8%B2%BB%E7%94%A8%E3%81%AF,%E3%81%9F%E9%87%91%E9%A1%8D%E3%81%8C%E3%81%8B%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
※5 NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241002/k10014598441000.html
※6 厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/stf/kaiken/daijin/0000194708_00741.html
取材・文/綾部まと
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