ヒッピーがペンタゴンを包囲し、向けられた銃口に花を差した日…新宿まで広がったアメリカの反戦デモ「フラワー・パワー」と呼ばれた歴史的瞬間とは
集英社オンライン / 2024年10月21日 11時0分
今から57年前の10月21日、10万人以上がベトナム戦争への反戦の意思を示した大規模なデモがアメリカであった。苛烈さを極めたデモだったが、そんなとき、集まっていた若者の1人の行動が世界に影響を与えた……。
パーティーに明け暮れ、ドラッグに手を出し、愛し合う日々…
1967年、アメリカは泥沼化するベトナム戦争に疲弊していた。
ベトコンに何の恨みもないはずの、アメリカの田舎町の名もなき若者たちが次々と徴兵され、閉ざされた環境で徹底的にベトコンを憎んで殺すような教育を受けたのち、過酷な戦場に送り出されていく。
一体誰のための戦いなのか。
そうしたベトナム戦争への批判が高まる中で、首都ワシントンのリンカーン・メモリアル公園に10万人もの人々が集まり、アメリカ国防総省の本庁舎ペンタゴンまでのデモ行進が行われたのは、1967年10月21日のこと。デモに集まった多くが、「ヒッピー」と呼ばれる若者たちだった……。
ヒッピーのルーツは、「ビートニク」にある。
第2次世界対戦後のアメリカでは、保守的な家庭や社会への反発からドロップアウトする若者が現れ始め、彼らは次第にビートニク、あるいはビート・ジェネレーション(打ちのめされた世代)と呼ばれるようになった。
居場所を失った彼らが、安住の地として辿り着いたのが、サンフランシスコの北西部に位置するのどかな海辺の町、ノース・ビーチだった。
親や社会によって植え付けられた価値観を否定したビートニクは、身体を洗うことを拒み、髭を剃ることもなく、パーティーに明け暮れ、ドラッグに手を出し、愛し合う日々を過ごす。
ところが1960年代に入ると、ノース・ビーチは都市化が進められ、高層ビルが建ち始めた。
それはビートニクにとって、資本主義社会の侵略であり、彼らはノース・ビーチに代わる新たな安住の地を探さなくてはならなかった。
そして再び辿り着いたのが、のちに「ヒッピーの聖地」と呼ばれるヘイト・アシュベリー地区だった。
ノース・ビーチの南西にあるこの地区は緑が多い住宅街で、高層ビルや商業施設もなく、彼らにとって理想の環境となった。
1960年代半ばになると、新たに多くの人々がヘイト・アシュベリーにやってきた。ケネディ大統領の暗殺後、ベトナム戦争に本格的に介入していくアメリカに希望を失い、社会からドロップアウトした若者たちが、噂を聞きつけて集まってきたのだ。
そこに行けば、住む場所も食べ物もあるし、同じ境遇の仲間たちもいる、彼らにとってヘイト・アシュベリーはまさに楽園だった。
ビートニクと同じく、既存の価値観を否定し、争いごとを嫌い、常に愛し合い、LSDが見せる幻想の世界で自由に生きる彼らを、メディアはヒッピーと呼び始めたのはこの頃からだった。
州兵が突きつけたライフルの銃口にカーネーションの花を差した若者
そんなヒッピーの運動、思想、哲学を、最初に全米に拡散させたのが、1967年1月14日に行われた大規模な集会「ヒューマン・ビー・イン」だ。
場所はサンフランシスコの広大な公園、ゴールデン・ゲート・パーク。その日、公園のポロ競技場は、入場料も飲食も無料だったこともあり、約2万人のヒッピーたちで埋め尽くされた。
グレイトフル・デッドやジェファソン・エアプレイン、ジャニス・ジョプリンが在籍するビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのライブのほか、知識人による演説も行われた。
元ハーバード大学教授でLSDの研究者でもあるティモシー・リアリーは、集まったヒッピーたちにこう呼びかけた。
「このシーンに傾倒し、起こっていることに同調せよ。高校、大学、大学院をドロップアウトせよ。会社のつまらぬ役職からドロップアウトせよ。我に従って、けわしい道をともに進もう」
これをきっかけに運動は拡散していき、ロサンゼルスやシアトル、ニューヨークなどさまざまな場所で、ヒッピーによる集会やイベントが催されるようになる。
1967年6月には、「音楽と愛と平和」を掲げたモンタレー・ポップ・フェスティバルが開催。ヒッピーを中心に約20万人が参加した。この年の夏は「サマー・オブ・ラヴ」と呼ばれた。
そして、1967 年10月21日。
デモの発起人だったアビー・ホフマンは、2000人で手を繋いでペンタゴンを取り囲むことによって、ペンタゴンを浮上させて悪の魂を振り払うという常識外れな計画を立てた。
結果は言うまでもなく、失敗に終わる。
しかし、ペンタゴン前に集まった人々のデモは続き、夜になっても大勢が座り続け、徴兵カードを燃やすといった行為で反戦を主張した。
現場に配置された大勢の州兵による警備隊とデモ参加者の衝突もあちこちで発生し、逮捕される者も現れた。
それでもデモの勢いは衰えることはなく、いつ警備隊が発砲しても不思議ではない一触即発の状態が続いていた。
そんな中、1人の若者が銃を構える警備隊に近づき、州兵が突きつけたM14ライフルの銃口に、1本ずつカーネーションの花を差していった。
自分に向けられた銃口に花を挿す、という勇気ある行動によって、張り詰めていた緊張の糸は切れ、他のヒッピーたちも次々と目の前の銃口に花を挿していく。
この時撮られた歴史的な瞬間の写真は、「フラワー・パワー」と名付けられ、その年のピューリッツァー賞にノミネートされる。この出来事によって、ヒッピーたちは「フラワー・チルドレン」と呼ばれるようになったとも言われている。
ヒッピーを中心とした若者たち10万人による大規模なデモは、ニュースで大きく取り上げられ、アメリカ国内の世論に少なからず影響をもたらした。
世論の支持を失ったジョンソン大統領はその後、北爆を中止して次期大統領選への出馬も断念、政界を引退することになった。
ヒッピーたちのデモは国内にとどまらず、世界中の若者たちにも影響を与えた。
南ベトナムを支援していた日本でも翌年、10月21日を国際反戦デーとして、ベトナムへ燃料が運ばれるのを阻止しようと、新宿を中心に大規模なデモが実施された。
文/TAP the POP
参考文献:「ザ・ヒッピー フラワー・チルドレンの反抗と挫折」バートン・H・ウルフ著 飯田隆昭訳(国書刊行会)
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