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ルー大柴「トゥギャザーしようぜ!」で一躍大ブレイク、長い下積み生活を経て迎えた35歳での転機「テレビの仕事をしながらティッシュ配りしたり、無我インドリーム(夢中)だった」

集英社オンライン / 2024年11月5日 17時0分

「藪からスティック(棒)」など英語と日本語を混合させた「ルー語」で長い間、テレビを賑わせた俳優・タレントのルー大柴さん(70)。20代は役者を志すも鳴かず飛ばずで、一時は芸能界を諦めたというが、カツラメーカーのCM「トゥギャザーしようぜ!」で35歳直前に大ブレイクを果たした。それから2倍の年齢となる70歳を迎えたルーさんに、転機となった35歳当時を振り返ってもらった。(前後編の前編)

【画像】モデルだった20代の頃のルー大柴さん

35歳で奇跡のブレイク、当時は「無我インドリーム(夢中)だった」

――1990年代、カツラメーカーのCMで発した「トゥギャザーしようぜ!」というフレーズで脚光を浴びたルーさん。ブレイクを果たした35歳当時のことは覚えてますか?

ルー大柴(以下、同) 全然鳴かず飛ばずで34歳ぐらいまできたんですけど、アデランスのCMで右から左に飛び跳ねながら、「トゥギャザーしようぜ!」っていうのを発端にブレイクして。「すごいことになっちゃったな」っていうのが35歳の時ですね。

すでに結婚してワイフ(妻)も息子もいて、当時は崖っぷちでした。食えなきゃもうダメだなと思っていたんで、「無我インドリーム(夢中)」でしたね。海パン一枚でテレビに出たりしてアクの強さをだして、とにかくルー大柴を世間に覚えてもらおうってことでがむしゃらでしたよ、35歳は。

それが今までにないタイプのタレントだってことで、人気も急上昇して面白がられて、5、6年はもったんですけどね。

――当時はすごい熱量で仕事をされていたと思うんですが、人とぶつかったりされたことはあったんですか。

人とぶつかるってことはないけど、とにかく負けん気が強くて、ちょっとした隙があったらすぐ画面に映ろうとか。今考えるとちょっとやり過ぎだなってぐらいやってましたね(笑)。あの時のパワーは若かったのもあるけど、ちょっと気持ち悪いパワーでしたよね。でも、そうでもしないと落とされるって思いもあったから…。

チャイルドの時から日本語と英語を「トゥギャザー」、ルー語誕生秘話

――ブレイクのきっかけにもなった「ルー語」のルーツはなんだったんでしょう?

父が中国・ハルビンで生まれ育って、中国語と英語とロシア語が喋れたんですね。だから私もチャイルド(子ども)の頃から日本語と英語をトゥギャザーしてたのが事実なんですよ。チャイルド心(子ども心)になんかヘンだなとは思ってたんですけどね(笑)。

父の影響もあったし、高校の時のガールフレンドが帰国子女でアメリカンスクールに通ってたんですよ。その子も日本語と英語がトゥギャザーで、私も自然と日本語と英語がトゥギャザーになっていってしまいました。

――「ルー語」でブレイクを狙った訳ではなく、もともと自然に使っていたものが注目されたということですか?

そうですね。高校をグラジュエート(卒業)したら、1年間ヨーロッパへ放浪の旅に出て、帰ってきたらさらに日本語と英語がトゥギャザーになっている自分がいた。驚いた時は「ウェイト!」、ウォーター(水)をこぼしそうになったら「ウプス!」とか、すぐそういう言葉が出るようになっちゃったんです。だからジャパン(日本)にはないような個性だったね。

ただ30代のブレイクの時も「トゥギャザー」とか多少英語は使ってた部分はあるけど、本格的に「ルー語」が注目されたのは50代の再ブレイクの時ですよね。

鳴かず飛ばずだった20代、数々のアルバイトをする日々

――35歳でブレイクするまでは、何を目指し、どう生活していたんですか。

役者の道を目指していました。ただあまりにも20代のブレイクがなくて、役者の道を暗中模索しながら、いろんなアルバイトをしてたんです。でも結婚してワイフ(妻)もいて30歳で長男が生まれた時には、母親に「結婚して売れないんだからやめろ」って言われて。32歳の時に一度芸能界の仕事をあきらめようと思いましたね。

――本気で諦めかけた時期もあったんですね。

年に2、3回、舞台やテレビドラマのちょい役を演じるくらいでしたからね。母親から「女房子どもを泣かすな」って言われて、それもそうだなと。家にマネー(お金)も入れなかった時期もあったし、子どもの親として最低だなと。もう最低な人間だったんですよ、私。だから35歳でいろんな番組に出られるようになった時はもう…ドリーム(夢)を見ているようでした。

――35歳直前でブレイクするわけですが、夢を諦めかけた32歳以降は?

だから、32歳で夢を諦めてティッシュ配ったり、火災報知器の点検とか多種多様なアルバイトをして、当時はバブルだったこともあって何とか生活できたんですよ。そしたら少しずつアルバイト以外の仕事が入ってきたりして、夢から逃げたら夢が私を追ってきたという感じがしたのね。すごいウィンド(風)が吹いてきたなと。

それで深夜の番組とかに出始めたんだけど、「そんなもんは一時的なもので、人気や仕事はすぐなくなる」と思った。だからテレビの仕事をやりながらも路上でミルク代を稼ぐためにティッシュ配ってましたよ。

――35歳まであきらめずに走ってきてよかったですね。

そうですね。今の私がいるのも35歳の時の「トゥギャザーしようぜ!」があってだからね。だから運がよかったのかもしれない。才能というより運が味方してくれたのかも。崖っぷちだったから、なりふり構わずだったし、今までにないタイプのタレントだったからね。

#2へつづく

取材・文/木下未希 

ルー大柴「嫌いなタレントNo.1」から奇跡の再ブレイク…50代での“ニュー大柴”を“メイク”した“マインドチェンジ”「最近、朝は公園で近所の人と“トゥギャザー”してます」〉へ続く

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