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オスカルは言葉の壁を越えた…韓国ミュージカル『ベルサイユのばら』観劇ルポ

集英社オンライン / 2024年11月17日 16時0分

2002年に連載開始30周年(当時)を記念して制作された超大作のファンブック『ベルサイユのばら大事典』に関わって以来、その仕事も人生も常に「ベルサイユのばら」とともにあったという編集者がいる。その彼女が「韓国での『ベルばら』のミュージカルが、とても素晴らしい!」との情報を耳にしてソウルに渡った。作品の新たな魅力を引き出した、韓国ならではの演出とは?

【画像】韓国で上演されたミュージカルの『ベルサイユのばら』

「宝塚版」と「韓国版」のちがい

物語はオスカルの誕生から始まる。ライオンキングみたいに、赤子のオスカルを暗い空に抱き上げて力強く語るジャルジェ将軍。韓国語は全くわからない。けれど、「お前の名はオスカルだ!」という原作のセリフが、そのまま脳みそに直接響いてくる。

同時期に上演されていた宝塚歌劇団の「ベルばら」のオープニングでは、水色の服の小公子、ピンクの服の小公女がどっと出てきて、シャンシャンを振り振り明るく歌う。初演以来50年ずっと変らないその華やかさとは対照的に、韓国版のそれはシリアスだ。

韓国で上演されていたミュージカルの『ベルサイユのばら』を、原作者の池田理代子先生がご自身のブログで絶賛しておられるのを見て、矢も楯もたまらず2泊3日の観劇ツアーを組み、はるばるソウルまでやってきたのだった。

声量があり歌も踊りもうまい、韓国のミュージカル俳優たちの演技に、たちまち引き込まれる。もちろん字幕など出ないのだが、原作の大事なシーンを過不足なく織り込んでいるので、たとえば「ここはアンドレが『今夜はお前を抱いて歩くぞ』っていう名シーンだ!」などと、原作の一コマが脳裏に浮かぶ。

170センチ越えの長身のオスカル(オク・ジュヒョン)を、さらにスラリと大きいアンドレ(コ・ウンソン)が抱き上げて歩く、原作でも屈指のシーンに、「脚本家も監督も、原作を愛して大事にしている!」「余計なものは何も足していない!」と思うと、それだけで無性に泣けてしまった。

なぜ女性のオスカルが男装し、軍人になったのか、どうして革命に身を投じたのかを順を追って丁寧に描いているのだ。

ロザリーの母が馬車にはねられたり、幼いベルナールが無理心中に巻き込まれたりするなど、原作に描かれた登場人物のバックボーンや、革命が起きる当時のフランスの国情を細かく入れ込んでストーリーは進む。

原作者の池田理代子先生は、英語もイタリア語もドイツ語も使いこなすが、韓国語は堪能ではない。それでも「わかった」そうだ。先生の「描いたからわかる」という言葉には、シーンをていねいに追っているというだけではなく、フランス革命を通じて先生が伝えたかったメッセージが再現されているという意味がこめられているのではないだろうか。

観客がみんな、『ベルサイユのばら』を読んで知っているという前提で作られている宝塚版との違いはそこなのかもしれない。

宝塚版はフランス革命の悲劇の予感がまるでしない夢のようなオープニング、身分の違いに隔てられた恋などを経て、アントワネットが処刑台の階段を上るラストに向かっていく。

一方韓国版では、物語はオスカルが革命に身を投じて倒れるところでエンディングを迎えるので、その点では「マリー・アントワネット」の生涯をも描き切った原作の、もうひとつの軸に力点は置かれていない。親衛隊として王妃に仕えてきたオスカルが、民衆のために位を捨てて国家に剣を向けるまでの気持ちの動きや社会的背景を、ダイナミックに描いている。

あえて恋愛要素を抑え、戦うオスカル描いた理由

公演前、読売新聞の取材に対し、プロデューサーのキム・ジウォン氏は「同作を手掛けるEMKミュージカルカンパニーは、史実を基にしたグランドミュージカルが得意」と語っており、だからこそ「フランス革命」を成し遂げた民衆のパワーをメインにしたのだろう。

さほど大きなサイズの舞台ではないのに、CGの使い方が見事で、奥行きのある宮殿の内部が展開されたりして、思わず「本物…??」と見入ってしまう。

クライマックスは、宝塚版でも、壮絶に美しい朝美絢のオスカルが気迫の演技で魅せた、バスティーユ襲撃のシーン。しつこいようだが韓国語はひと言もわからない。

わからないけれど、「自由と平等」のために命を投げ出す主人公オスカルの、全力の演技に叩きのめされたようになり、嗚咽を抑えるのに必死な状態…。素晴らしい歌唱に、客席から「ブラボー!」の声が飛ぶ。ラストは客席全員が総立ちの拍手で幕が下りる。

通称「今宵一夜」のシーンが無い、と残念がる原作ファンもいると聞く。フェルゼンに片思いし、ジェローデルに求婚され、幼馴染のアンドレへの思いに気づき心が揺れる原作のオスカルだが、韓国版のオスカルは、恋も怒りもすべてを闘うエネルギーに昇華させ、フランス革命に向かっていくかのように感じた。

あえて恋愛要素を抑え、誰にもすがらずに先頭に立って戦うオスカルを描いたのはEMKの指向なのか、それとも、OECD=経済協力開発機構の中で、「女性の管理職者の数が日本に次いで低い」韓国の女性達にくすぶる怒りに寄り添ったのものなのか。

もし後者であったなら、連載開始以来50年の間、『ベルサイユのばら』に勇気づけられ、「自由と平等」を手に入れるべくさまざまに努力を重ねてきた日本の女性達同様、韓国の女性達もまた、オスカルの立ち上がる姿に心を奪われるのだろう。がんばれ私達、と、ついついエモーショナルになり、ダダ泣きし続ける。

長きに渡り繰り返し演じられてきた、宝塚版の「オスカルとアンドレの戦死~アントワネットとフェルゼンの牢獄の別れ」のシーンで何度も泣かされてきた私だが、ここではさらに隣の国の闘いの歴史への思いも相まって、2倍涙があふれたのかもしれない。

日本での公演、DVD発売は?

この感動をみんなと共有したい。日本での公演は未定のようなので「DVDは発売しないのか?」と問い合わせたら、「まだまだ修正中なので、完璧なものができたら発売します」とのこと。あんなにグレードが高いのにまだブラッシュアップするのか。先のインタビューで、キム氏は「世界中で上演される作品を目指す」と語っている。

折しも9月で終わった朝ドラ『虎に翼』は、これでもかと言うぐらい法の下での自由と平等を訴えていた。戦う寅子を毎朝観ながら、不本意な状況に甘んじていた新入社員の頃の自分を思い出し「もっと怒っておけばよかった」と、後悔しきりだった。

50年前にすでに『ベルサイユのばら』では、そのテーマを取り上げていたのに。震災の年、桜が満開の頃、京都で行われたトークショーで、池田理代子先生が

「連載当時、漫画は文学に比べて、一段低いものと捉えられてきました。そして、少女漫画は少年漫画に比べてさらに蔑まれてきた、私はそういう風潮をひっくり返したくて戦ってきたのです」とおっしゃるのを会場のすみっこで聞き、ふいに涙が止まらなくなったのを思い出す。

貴族の称号の勲章を軍服からちぎり捨て、自由と平等のために戦うオスカルは、やはり池田先生そのひとなのではないかと考える。

その強い思いが、年代や国や言葉の壁を乗り越えて、観る者の気持ちを鷲掴みにする物語を生み出した。今、もういちど『ベルサイユのばら』を読み返し、ミュージカルの感動を反芻している。演者が目的でミュージカルを観に来た韓国のファンも、原作を読んでくれますように。

文/有馬弥生

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