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「あれが本塁打にならないから、引退なんですよ」オリックスT-岡田、現役最後の打席で心に刻まれた“最初で最後”の応援歌

集英社オンライン / 2024年11月15日 11時0分

オリックス・バファローズ一筋19年。今季を最後にプロ野球選手として現役生活を終えたT-岡田(36)。長年チームが低迷していたときも3連覇を成し遂げたときもチームを支え続けてきた功労者で、球場では誰よりも大きな声援を受ける。ファンにとって特別な選手、T-岡田に引退した今の心境を聞いた。(前後編の前編)

【画像】T-岡田が「彼のポテンシャルからしたら、全然こんなもんじゃない」と話すオリックスの選手

引退して変わったこと

「揚げ物が食べられるようになりましたよ。僕太りやすいんで、現役中は控えてたんですけど」

引退して何か変わったことはあるかを尋ねると、オリックスを牽引してきた大砲はそう言って微笑んだ。

「引退試合が終わって、1か月半ぐらいかな。けっこうのんびりはできていて。それこそ最近は息子の小学校の運動会にも初めて参加したり、家族との時間が作れるようになりました。現役時代は参加できなかったですけど。



特にここ3年は今の時期まで日本シリーズがありましたから。秋まで野球できていたので、ちょっと時期的に難しかったのもあって。よく『パパが来てくれて息子さん喜んでるんじゃないですか?』って言われるんですけど、多分僕のほうが喜んでます(笑)」。

名門・履正社高校では1年から4番を任され、高校通算55本塁打を記録。2005年ドラフトでオリックスに入団して19年間、そのすべてを野球に捧げてきた。

「引退してからは戸惑いというか……うん、何していいかわからん(笑)。息子たちが保育園や小学校に行った後は、もっぱら球団ロッカーから引き上げてきた荷物の整理ですね。妻から『これいつ片付くの?』って怒られてるので。でも(野球道具を)片付けながら、やっぱちょっと感慨深くなるんですよ。いろいろ思い出したりしてなかなか進まない」

思い出が詰まった道具は、今までお世話になった人に譲るつもりだと話す岡田。後輩たちにはさぞ多くのものを置いていったかと思いきや、

「後輩に譲ったものはあんまりないかな。僕、ロッカーが端っこで。ちょっと他よりスペースあるんですけど、ラオウ(杉本裕太郎)に『はよ、ロッカー開けてください』って急かされて、 ロッカー譲ったぐらいです(笑)。

ラオウには……頑張ってほしいんですよ。もう彼のポテンシャルからしたら、僕なんかより全然高いし、全然こんなもんじゃない。もう1回、来年、ほんまに自分追い込んで、やってほしいですよね」

「打席に入ると応援歌は聴こえないけど、現役最後の打席だけは…」

T-岡田、本名は岡田貴弘。2009年、翌年から指揮を取ることが決まっていた岡田彰布と名字が被るということで、ファンからの公募で決まった登録名が「T-岡田」だった。今では球団の垣根を越え多くの野球ファンに愛されているこの名前だが、当時の岡田は複雑な思いもあった。

「どうなんやろって。正直、やっぱそれが1番大きかったです。全然嫌ではなかったんですけど、『これはパッとしなあかんぞ』って。ほんとそれしかなかったですね。でもそれこそT-岡田にした年(2010年)に、本塁打王を取れたのでそれもあって、ある程度定着したのかなっていうのもあった。

今となったら『岡田貴弘』って言われても誰やろ? ってなりますよね。T-岡田じゃないとたぶん僕ってわからない人のほうが多いんじゃないかな。(引退後も)一応活動はT-岡田でしていく予定です」

登録名と並んで、T-岡田を特別なものにしたのは、稀代の名曲と言われる応援歌。哀愁あふれるトランペットの前奏からの「岡田!岡田!」コール。岡田の耳にあの応援歌はどのように届いていたのだろうか。

「うちの応援歌ってけっこう難しいやつ多いじゃないですか。その中でも僕のは歌いやすいですよね。そういう意味で歌ってくれる方が多いのはやっぱり嬉しいですよ。嬉しいですし、本当にめちゃくちゃおっきい声で歌ってくれる。

あと、『バファエール』(チャンステーマ)はやっぱりグッときますね。でも……正直シーズン中ってそこまで聴いてる余裕はなくて。打席に入る前はある程度聴こえるんですけど、入っちゃったらそんなに聴こえなくなるんですよね」

少し間をおいて、岡田は続ける。

「ただ、引退試合の日はもうこれ聴けるの最後やと思って。初めてあの応援歌を意識して聴いたというか。心に刻み込んでました」

9月24日、京セラドームで行われた引退試合。9回2アウト。思い切り振り抜いたボールはライトスタンド最上段。しかし、わずかにポールの右に逸れる。あのとき、打球を見送りながらしゃがみこんだ岡田は、少し笑っていたように見えた。まだ現役でやれるのでは……という我々ファンの淡い期待をよそに岡田は毅然とした口調で言う。

「あれが本塁打にならないから、引退なんですよ」

記憶に最も残る本塁打は…

2014年CSでの逆転3ラン、2021年ロッテとの天王山での逆転3ラン……ファンの中にはそれぞれ特別な”Tの本塁打”があるだろう。通算本塁打204本の中で、特に自身の記憶に残る本塁打を聞くと、少し困ったようにこう言った。

「この1本っていうのはなかなか難しいですね。ロッテ戦の逆転本塁打(2021年)もすごく記憶にありますし。あの本塁打からチームが優勝に近づいて、そういう意味では僕の中でもすごくいい1本ではある。でも1番って言われると……飛び抜けてっていうのはやっぱりないんですよ。

(2010年)ほっともっと(フィールド神戸)で打った代打満塁本塁打もすごく特別なものでしたし、(2014年)CSの1本もそうですし。1本1本覚えてるんです。1か月ぐらい出なかったときもありましたからね」

「ただ自分としては、とにかくその打席、その1球に対してどれだけ自分のいいスイングを出せるか。本当そこだけだと思うんで。それが結果、本塁打になったらいい。本塁打を打とうっていうよりは、この打席をどういう風に取り組むか。

どの打席でも本塁打が1番いいかもしれないけど、そのときそのときで最低限こうしないといけない打席っていうのはやっぱりある。本塁打も打ちたかったですけど、それよりも打点に僕は重点を置いてやっていました」

打点にこだわってきたという岡田だが、2021年は天王山での本塁打が「号砲」となり、自身初のリーグ優勝を経験する。そこからオリックスは怒涛の3連覇、黄金期を迎えた。しかし、チームが強くなるにつれ、岡田の出場機会は減っていく。

「試合に出れないっていうことは、やっぱり自分の調子が悪いということ。自分の成績と向き合わないといけないところで、なんとか成績が上がるように常に考えていました。二軍にいることも多くなっていたので、いつ呼ばれてもいいようにしっかりやっていこうって。とにかくそれだけでしたね」

初めて本塁打王に輝いた2010年は、チームは5位。自身はいつしかベテランとなり、ファームでひたすらバットを振る日々の中で、若手が一軍で華々しい活躍を見せていた。岡田はそうした時代の変化をどんな気持ちで受け入れていたのだろうか。現役時代は語ることのなかった複雑な胸中を明かした。

「やっぱりありましたよ、それこそ2022年、2023年っていうのは、やっぱりね。2021年の優勝はほんまに嬉しかったですけど。2022年、2023年の優勝が本当に僕が心から嬉しかったかって言われたら、『?』がつくところはありました」

2021年から3連覇とオリックスは常勝軍団への礎を築いていった。一方で、22歳の若さで本塁打王となり、暗黒時代のチームを支えてきたかつての主軸は30歳を過ぎて、若手の台頭もあり、チームの中でベテランの座に追いやられていく。

多くの重圧を背負って野球を続けてきたことで、いつしか岡田にとって野球は「つらくしんどいもの」になっていた。しかし、2019年初めて参加した海外リーグで思わぬ発見をすることになる。

 #2へつづく

取材・文/西澤千央 撮影/集英社オンライン編集部

T-岡田●1988年2月9日。大阪府吹田市出身の元プロ野球選手。左投左打。2005年にオリックス・バファローズに入団。2009年シーズン終了後に「岡田貴弘」から「T-岡田」に登録名を変更すると、2010年に本塁打王を獲得。2024年シーズンを最後に現役引退。

22歳で本塁打王も…オリックスの暗黒時代を支え続けたT-岡田が「苦しくて、しんどかった野球」の呪縛から解放された瞬間〉へ続く

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