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マラドーナの死から4年…遺族が他殺を訴えた初公判は来年の3月に予定 断ち切れなかったコカイン、マフィアとの関係

集英社オンライン / 2024年11月25日 17時0分

2020年の11月25日、享年60歳でこの世を去ったマラドーナ。彼が早すぎる死を迎えた原因には、若い頃から使用していたドラッグの影響がある。なぜドラッグを断ち切れなかったのか。キャリアの光と闇を探る。

ロシアワールドカップを観戦するマラドーナ氏

神の手と5人抜き

今日でディエゴ・アルマンド・マラドーナが天に召されて4年となる。2020年11月25日、60歳というあまりの早逝に、世界は悲しみに包まれた。

マラドーナといえば、1986年メキシコ・ワールドカップが思い出される。永遠に語り継がれるであろう “神の手”だ。

準々決勝のイングランド戦、ファジーなパスにいち早く反応したマラドーナは、左手でボールのコースを変えた。

VAR(ビデオアシスタントレフェリー:試合中にビデオで判定を確認する)がある現代であればゴールは認められず、マラドーナにはイエロカードが提示されたに違いない。

当時のアルゼンチン代表チームメイト、セルヒオ・バティスタも後に、
「ディエゴがハンドだ、ハンドだってせせら笑いながら、俺をハグしろ、喜べ、口を閉じていろと言っていた」と証言している。

ちなみにこの試合ではハーフウェー付近から一気にドリブル、絶妙な緩急でイングランドの選手たちを次々にかわし、最後はワンフェイクでシルトンを崩しゴールを決めた、いわゆる “5人抜き” の伝説も打ち立てている。

準決勝でベルギーを、決勝では西ドイツ(現ドイツ)を退け、25歳のときに世界の頂点に立った。

ワールドカップ優勝により、世界的な名声を手にしたマラドーナ。彼は2年前の1984年に当時最高峰のリーグであったイタリア・セリエAのナポリにバルセロナから移籍している。

首都ローマからおよそ200キロほど南に位置し、優勝争いとは無縁の日々が長く続いていたナポリに、マラドーナは初のリーグタイトル(86/87シーズン)をもたらすだけでなく、88/89シーズンにはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)でも優勝するなど、タイトルをもたらした。

結果的にナポリ市民はマラドーナをカルト的に愛し、 “現人神” と崇めるようになっていく。

だがワールドカップ優勝、セリエAでのタイトル獲得という栄光の中で、彼は徐々にストレスに蝕まれていった。連日のようにメディアが追いまわし、プライベートが壊れていったのだ。

キャリアハイとカモッラとの蜜月

私生活の憂さをパーティで晴らすマラドーナ、そのなかによくない人間が含まれていた。カモッラの関係者たちである。

カモッラはイタリア四大マフィアのひとつで、常時6000人の構成員を抱えるともいわれる犯罪者グループだ。ナポリを拠点とし、麻薬売買・殺人・武器の密輸・売春斡旋・恐喝など、なんでもござれ。その一方でごみ処理ビジネスにも進出し、長年の課題であった町の悪臭を改善。多くの雇用も創出するなどナポリにおける影響力は絶大だ。

コカインの使用疑惑が取り沙汰されていたが、マラドーナはカモッラとの関係を否定。また、度重なる負傷でピッチから遠ざかったり、監督との確執なども報じられていたが、89/90シーズンには再びナポリをセリエA優勝に導くなど、1990年までは選手として一定の評価を受けていた。

だが、91年以降はドラッグなどで荒んだ生活が、いよいよ彼のキャリアに暗い影を落としていく。

91年3月にはドーピング検査の結果コカインが検出され、15ヶ月の出場停止処分を受けた。またマフィア関係者のパーティに出席していた映像が出回るなど言い逃れができない状況が続く。ちなみにJリーグ発足前の名古屋グランパスエイトへの移籍も計画されていたというが、コカイン使用疑惑によって立ち消えたという。

よくない噂もありながら、スペインや母国アルゼンチンのリーグで現役を続けていたマラドーナ。

96年8月にはスイスの病院で薬物依存症の治療を受けるも、翌97年8月の検査でまたしてもコカイン検出。二か月後、自身の誕生日である10月30日に37歳で現役を引退した。

現役を退いた後もドラッグを断ち切れず、2000年1月に不整脈と高血圧、04年4月には拡張型心筋症で搬送。05年5月に胃のバイパス手術を受けるなど、体調は安定することがなかった。

そんな中2008年にアルゼンチン代表監督に就任。ワールドカップではチームをベスト8に導くことになる。表舞台に帰ってきたマラドーナは10年に代表監督を退任してからも、クラブチームの監督を歴任、15年には30歳年下の恋人のために54歳で美容整形を受け世界を騒がせたりもした。

また、解説者として参加した18年のロシア・ワールドカップでも一挙手一投足が話題になるなど、ドラッグでそのキャリアを汚しながらも世界からは愛され続けていた。

過ちを犯し、その代償を払ったが、ボールは汚れていない

だが2020年、彼の肉体は限界を迎えた。晩年は一人で歩くこともままならないほど衰弱していたという。11月3日、脳血種の除去手術。退院後の25日、心不全のため、アルゼンチンの自宅で死去。帰らぬ人になった。

90年代半ばから彼が入退院を繰り返した最大要因が、カモッラとの関係であることに疑いの余地はない。「ドラッグはいたるところにあって、ヤツらは特別なトレーに乗せて勧めてきた」と、後にマラドーナ本人も認めている。

なお、死因に関しては諸説あり、故殺(計画性のない意図的な殺人)の疑いで医療従事者8名が遺族に訴えられている。アルゼンチンの日刊紙『ラ・ナシオン』によると、2024年10月1日に予定されていた第一回公判が、2025年3月11日に延期されたという。

だれよりもドラマティック、なおかつエキセントリックな人生を、マラドーナは紡いでいった。本人の希望とはほど遠かったのか、あるいはプランに則ったものなのか、神ですらあずかり知らない展開だ。

マラドーナのパフォーマンスは19歳以下のころからすべて映像が残っている。彼がいまでも愛されているのは、紛れもなく本物の実力を兼ね備えていたからだ。

リオネル・メッシのように多くのタイトルを獲得したわけではない。クリスティアーノ・ロナウドのように自分を律していたわけではない。

情緒不安定で、わがまま放題、ドラッグ常習の非常識な人間。それでも、マラドーナはサッカーに対して真摯な姿勢で立ち向かった。

「俺は過ちを犯し、その代償を払ったが、ボールは汚れていない」という言葉も残している。

マラドーナの前にマラドーナはなく、マラドーナの後にマラドーナはない。不世出の天才は “悪の華” 独特の妖しい香りを振りまきながら、いまも多くの人々を惹き付けている。

文/粕谷秀樹
写真/shutterstock

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