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『幸福論』で日本語の歌に革新をもたらした19歳の椎名林檎…ポップスでは稀な、「哲学」という単語を使った平成を象徴する音楽家誕生の瞬間

集英社オンライン / 2024年11月25日 11時0分

11月25日に46歳の誕生日を迎える椎名林檎。ほかの誰にも真似ができない音楽表現を極めてきた、平成を代表するアーティストの一人だ。そんな彼女のデビュー曲がもたらしたJ-POP界への衝撃をひも解いていく。

【画像】1998年発売の椎名林檎デビューシングルのジャケット写真

ポピュラー・ミュージック(大衆音楽)の変遷

昭和元年と昭和64年は、ともに7日間しかなかった。したがって昭和という時代は、昭和2年から昭和63年まで、西暦にすれば1927年から1988年までの約62年間であった。

それを半分に割ると、前半が1927年から1957年まで、後半が1958年から1988年までの31年間となる。

それぞれの31年をポピュラー・ミュージック(大衆音楽)という視点から見ていくと、戦前から戦後復興にかけての前半の昭和は、「流行歌」の時代といえる。

そして、高度成長期からバブルが弾けるまでの後半の昭和は、ロックやフォークの影響を受けるなかで、「歌謡曲」が全盛を迎える時代となった。

偶然なのか、必然なのか、1989年に始まった平成も、2019年4月末日までなので31年間となる。

平成に入ると、「歌謡曲」の中のポップスが、「J-POP」に受け継がれて呼称も代わり、コンピューターを使った音楽作りの比重が増えていった。

レコードやテープからCD、インターネットでのダウンロード、ストリーミングと、音楽を伝達するメディアも大きく変化しながら現在に至っている。

日本語の歌に革新をもたらした椎名林檎

平成を象徴する音楽家になる椎名林檎が、シングル『幸福論』で音楽シーンに登場してきたのは、平成という時代が10年目を迎えた1998年のことだった。

椎名林檎の革新性は何よりもまず、斬新かつ大胆な楽曲を作るソングライターだというところにある。

しかも、それを自ら歌で表現できるシンガーであり、アレンジや打ち込みもできるミュージシャンであり、自分を客観視してプロデュースできるアーティストでもあった。

『幸福論』は、歌の歌詞という常識をくつがえす散文スタイルで、ポップスでは滅多に使われない「哲学」などという単語も出てくる。

そして翌1999年2月に、デビュー・アルバム『無罪モラトリアム』がリリースされると、本格的にブレイクしてベストセラーとなり、新しい表現者として世に受け入れられていく。

自らを”新宿系自作自演屋”と称していたこともあって、アルバム2曲目の『歌舞伎町の女王』があらためて話題になり、続く3曲目の『丸の内サディスティック』も評判になった。

歌詞に出てくる「東京」「御茶ノ水」「銀座」「後楽園」「池袋」という地名は、いずれも営団地下鉄の丸ノ内線にある駅名からきている。

その前の曲で「新宿」の歌舞伎町を歌っていることもあって、どことなく東京を舞台にした流れの中での物語性が感じられる。

さらに歌詞を読めば、楽器メーカーのブランド名「リッケン」「マーシャル」「グレッチ」が並んで、楽器の街だった「御茶ノ水」などの風景も立ち昇ってくる仕掛けだ。

『丸の内サディスティック』は昭和の『東京行進曲」?

1999年の『丸の内サディスティック』から遡ること70年、1929(昭和4)年に、『東京行進曲』が日活映画「東京行進曲」の主題歌として誕生した。

金融恐慌による不況などから不安が募る中で、享楽主義や刹那主義がはばをきかせて、巷では「エロ・グロ・ナンセンス」が流行していた時代のことだ。

モダンボーイとモダンガール、略してモボ・モガが行き交う昭和初期の東京は、まだ戦争の影は薄く、街には妙な賑わいがあった。

そうした風潮の中で、西條八十は最先端の風俗を織り込んで、大衆にアピールすることを強く意識しながら『東京行進曲』を作詞した。

丸の内ビルディングを丸ビルに略し、思い切って調子を下した言葉でカタカナ横文字を散りばめた歌詞はモダンで、中山晋平が作曲して佐藤千夜子が歌うと、爆発的なヒットになった。

特に「ジャズで踊って リキュルで更けて 明けりゃダンサーの 涙雨」というデカダン調の歌詞は、扇情的だったという点でも『丸の内サディスティック』に通じるものがある。

先駆者たちの歩みの延長線上に、忽然と現れた19歳の椎名林檎

前半の昭和にあった「流行歌」の時代に、女性のソングライターはほぼ皆無だった。

後半の昭和である「歌謡曲」の時代になってようやく、岩谷時子や安井かずみといった女性の作詞家が活躍し始めて、道が拓けていった。

それに続いたのが加藤登紀子、荒井(松任谷)由実、中島みゆきといった、女性のシンガー・ソングライターたちであった。

彼女たちは成長していくにつれて、プロデュースの領域にまで進出し、「アーティスト」と呼ばれるようになった。

いずれも自分の作品を書いて歌うだけではなく、他者に作品を提供することで、ソングライターとしても実績を上げている。

そうした先駆者たちの歩みの延長線上に、忽然と現れたのが、19歳の椎名林檎である。

それまでの日本の歌の概念には収まらない大胆な楽曲を作り、自らの音楽でそれらを表現するという意味で、彼女は最初から「アーティスト」だった。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP

サムネイル/左:『無罪モラトリアム』(1999年2月24日発売、UNIVERSAL MUSIC) 右:『幸福論/すべりだい』(1998年5月27日発売、UNIVERSAL MUSIC)

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