〈火野正平・秘蔵インタビュー〉「『最低の女』と『最高の仕事』のどちらを選ぶかって聞かれたら…」不倫も許された“稀代のモテ男”の哲学
集英社オンライン / 2024年11月24日 10時0分
70年代のワイドショーではそのモテ男ぶりについて“最高11股”と騒がれたこともある元祖プレイボーイ、俳優の火野正平氏。火野氏が11月14日に逝去したことを所属事務所が発表した。享年75歳。集英社オンライン編集部では、若かりし頃に火野正平氏を報じた「週刊明星」のグラビアや記事とともに、名優をお見送りしたい。
〈秘蔵写真〉「男にとっての“やさしさ”とは…」若かりしころの火野正平が語っていた男女論
62年に子役デビュー後、映画やドラマなどで活躍
11月20日午前、所属事務所より火野正平氏の訃報が公表された。
その死を知り、Instagramでいち早く追悼の投稿をしたのは、今月3日に火野氏と電話で話したばかりだという俳優の中野英雄氏だ。「最後は奥様や家族に手を握られながら逝った先輩 素敵だよ」とつづり、「また向こうで後輩やらして下さい」と吐露。
他にも多数の追悼コメントがあがる中、火野氏とは幼馴染であるという俳優の小川知子氏が自身のInstagramでこのようにコメント。
「子役の頃からの知り合いで、私には本名の『二瓶康一』君の方が馴染みがあります。照れ屋さんでお茶目。そして優しい人でした。女性からモテモテという事でも有名でしたね。とても色気のある人だったので頷けます」
そうして、幼馴染がまたひとり逝ってしまったことを「安らかにね。お疲れ様」と見送った。
火野正平とはどんな俳優だったのか。
1962年、子役としてフジテレビ系「少年探偵団」でデビュー。
その当時はまだ小川氏のコメントにあるように本名の「二瓶康一」で活動しており、1973年のNHK大河ドラマ「国盗り物語」の羽柴秀吉役として出演する際に作家の池波正太郎が名付け親となって、名前を火野正平と改めた。“火のように力強く”から「火野」、池波正太郎の「正」から「正平」と名付けられたという。
その後も映画やNHK連続テレビ小説への出演を果たし、1977年には歌手としてもデビューしている。
1970年代の「週刊明星」では、本人だけでなく、関係を持った女優への直撃インタビューなども頻繁に行なっていた。だがその記事からも、火野がいかに「愛されていたか」がうかがい知れる。
1975年4月13日号の「週刊明星」では、当時、既婚者だった火野氏との不倫が原因でレギュラー番組やCMなどすべての仕事を失った女優の小鹿みき氏がこう述べている。
「正平さんの家庭に立ち入ろうなんて、考えたことはありません。私は愛されているだけでいいんです」
さらに、1979年7月29日号の「週刊明星」では、その当時の火野氏と愛人関係にあり、火野氏との間に女児を出産した女優の望月真理子氏が、出産から3日後に取材を受けている。
「私は一生彼といっしょにいたいけど、たとえこの先1年で2人の仲が終わっても、あの人が“真理子という女と暮らしてよかった”と思ってくれるだけでいいんです。今は私と暮らすことが彼の大きなマイナスにならないように、かばってあげたいと思うだけ…」
産後3日の女性にこうまで言わせる男性はそういないだろう。
「やっぱり勝手すぎるのかな、オレって奴は」
一方の火野氏はというと、1982年12月2日特大号の「週刊明星」の「男にとっての“やさしさ”とは…」というグラビアで、胸中をこのように語っていた。
仕事の合い間をぬって、ぶらり新宿・ゴールデン街にやってきた。
この街はいつきても懐かしい。
夜はネオンがこうこうと輝き、あれだけにぎやかだというのに
昼間のこの街ときたらまるでセットだ。
セットといえば、映画に憧れてこの世界に入ったのが8才の時。
あれからもう25年たつのか――。
今日のお伴はオレの良き相棒であるクマ。
ついこの間までチビだったのに、
いつのまにかこんなにデカくなりやがって。
犬といると一番素直な自分に気づく。
思えばオレと犬のつき合いは長い。
このクマともう一匹いるクズで
もう何代目になるんだろう。
そして女……。
オレにとって女とは一体何だろう。
男は女によって自分を変えることはないが
女は違う。
だからいつも女が可愛相だと思ってしまう。
勝手すぎるのかな、オレって。
オレと別れた後で、女が結婚したという噂を聞くと、
良かったという思いと、ちょっぴり寂しい気分が交錯する。
やっぱり勝手すぎるのかな、オレって奴は。
しかし女がそのままひとりでいると胸が痛む。酔った勢いで電話したこともある。
これも勝手すぎるよな、やっぱ。
とはいえ今のオレにはA子しかいない。
このオレがもっともやさしくふるまえる女性----。
なんとこの時点でも、小鹿みき氏と望月真理子氏を経て、A子なる女性と交際していることを打ち明けているのだ。1983年8月4日号の「週刊明星」では、このA子さんとの間にできた子どもの出産前に行なわれた火野氏の熱狂コンサートや、その後の直撃の様子なども掲載している。
「1番は遊ぶこと。2、3番が仕事」
火野は、20代から40代まで約2000人の女性ファンが詰めかけたコンサートの挨拶で、開口一番にこう言った。
「今晩は、火の車です」
この挨拶には女性ファンも大爆笑だったようだ。まもなく愛人女性との間の子どもが産まれるというときに別の女優との噂が出たことに対して、火野氏は上記のようなジョークをかましたわけだが、なんとも堂々としたものである。
コンサート直後の直撃にもこう答えている。
「まわりが騒ぐだけで、おれはカンケイないよ。(A子は)元気だよ、もう赤ん坊が出かかってるんだよね」
2009年のスポーツ新聞へのインタビューにもこう飄々と答えていた火野氏。
「『最低の女』と『最高の仕事』のどちらを選ぶかって聞かれたら、最低の女に決まってるだろ」。そして、「1番は遊ぶこと。2、3番が仕事。芸能界には『いい人いい役者にあらず』って言葉があるんだ」。
芸能界を遊び尽くした男が逝ってしまった。謹んでご冥福をお祈りいたします。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
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