肌はボロボロで、体液がダラダラと…アトピー性皮膚炎に悩み21歳から24年間ひきもった男性の苦悩「自分は何の役にも立たないゴミ」
集英社オンライン / 2024年11月30日 11時0分
〈「いま樹海にいて、死のうとしているんだ」自殺を図ろうとしたひきこもり男性に起きた奇跡…うつ病、ギャンブル借金、絶望の人生から這い上がった48歳「今が一番楽しいっすよ」と言えるワケ〉から続く
母親に「黙っていなさい」と言われ、自分を抑圧し続けた52歳の男性。アトピー性皮膚炎で変わり果てた自分の見た目を受け入れられず、24年近くひきこもった。予想もしなかった不運な出来事をきっかけに、40代半ばで「ひきこもりから脱しよう」と決意。51歳で社会復帰するまでの姿を追った――。(前後編の前編)
母親の気を引きたくて不登校に
野口哲也さん(52=仮名)は身長176センチで体重55キロ。スラッとした体形にぴったりしたベストとスリムなジーンズがよく似合う。
声は小さめだが礼儀正しく受け答えもしっかりとしていて、数年前まで24年近くひきこもっていたとは思えない。
それだけ長くひきこもった背景には何があるのかと聞くと、野口さんはゆっくり考えながら幼少期を振り返ってくれた。
「1歳上の兄は好き嫌いが激しく、モノに八つ当たりするとか衝動的な行動が多かったので、よく父に怒鳴られていました。学校でも兄は浮いた存在で、私は“○○の弟”と言われるのが嫌でした。
だから、常に親や周りの目を意識して、目立たないよう自分自身を抑圧するようになったんだと思います。
自分を表現する作文は苦手でしたが、理科の実験や観察、身体を動かすことは好きでした。ドッジボールではネズミのように逃げ回るだけで、一度もボールに触れることなく、最後の1人に残ることが多かったです。
危機回避能力がすぐれ過ぎて、ひきこもりにつながったのかもしれませんね」
野口さんが不登校を始めたのは小学6年のときだ。小学3年のころから父方の祖母が認知症で入院。母親は付き添いで週の半分は病院に寝泊まりしていた。
夜遅く帰宅する父親を待たずに、兄と2人で寝ていたが、野口さんは「寂しさから母親の気を引きたくて」仮病を使って学校を休んだのが始まりだ。
学校を休み、ひきこもる期間が長くなるにつれ、生後間もなく発症したアトピー性皮膚炎と喘息の症状がひどくなっていったという。
中学に進学しても不登校は続いた。勉強の遅れを心配した母親に小中学生向けの養護学級が付属する療養所を勧められ、中学2年の5月に東北地方の療養所に入院。
親元を離れて寂しかったが、“○○の弟”というレッテルから解放され、入院仲間とも仲よくなったそうだ。
「最初は方言に慣れなくてからかわれたりしましたが、小学校低学年の子にはなつかれ、6年生の女の子から生まれて初めてバレンタインデーにチョコレートをもらい、中学生の男子からは、いろいろ学びました(笑)。
人の輪の中にいると、周囲のいい面や悪い面が気になりますが、自分自身のいい面と悪い面にも気づかされました」
アトピーが悪化し、ひきこもる
「高校は東京の学校へ」という両親の意向で中学3年の5月から実家に戻った。
だが、夜になると喘息の発作が出て眠れない。欠席を繰り返し、担任の勧めで始業時間の遅い4年制の高校に進んだ。
高校時代は若者向けのファッション誌より、『Newsweek日本版』を愛読。テレビのニュース番組などもよく観ていた。
「アトピー性皮膚炎に処方されるステロイドは有害」という報道が盛んにされるようになると、野口さんもステロイドへの不信感を持ち、皮膚科への通院をやめてしまう。
海外に魅力を感じて国際ビジネス科のある専門学校に進んだが、アトピーの症状はひどくなる一方で通学もままならなかった。
「あれ、昼間っからお酒飲んでるの?」
アトピーのせいで赤黒くなった顔を見た知り合いに勘違いされて、ショックを受けたことも。野口さんは専門学校を21歳で卒業すると、そのままひきこもってしまった。
「肌がボロボロで、ひどいときは血液じゃなくて、体液がダラダラと出ている状態で……。クラスメートからアトピーを理由にいじめられたことはありませんが、自分自身でアトピーを受け入れられず、引け目ばかり感じていました。
就活をする気にもなれなくて。もう、どうでもいいとあきらめていたというか、家から出たくなかった。
だって、街を歩いているとガラス窓とかに自分が映ったりするじゃないですか。それを見るたびに、嫌な気持ちになるんです」
ひきこもり始めてから、父親に何度か「お前はいくつになったんだ!」と叱られた。
だが、普段から「バカ」「うるさい」という衝動的で一方的な言葉しか口にしない父親とは、腹を割って話したことは一度もない。築50年の古いマンションなので、母親をなじる声は何度となく聞こえてきた。
「お前の育て方が悪いんだ!」
父親は地方の県立工業高校を出て、大手建設会社に入社。一流大卒の社員がほとんどの中、一級建築士の資格を取って設計部長にまでなった努力家だが、家庭内では独りよがりな父親だった。
地方から結婚を機に上京した専業主婦の母親は、そんな父親にべったり依存しており、野口さんは幼いころから母親に何度かこう言い聞かされたそうだ。
「お父さんに『出て行け』と言われたり、お父さんが亡くなったら、ここに住めなくなるし、生きていけないのよ。だから、あなたもお父さんに言いたいことがあっても我慢して。黙っていなさい」
父親と衝突することが多かった兄は、漫画やアニメが好きで、自分でもよく漫画を描いていた。才能をいかして専門学校を卒業後、デザイン事務所に就職して早々に家を出た。
野口さんがひきこもって間もないころ、兄に相談したことがあった。一言だけ返ってきた。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
野口さんは「それがわからないから相談しているのに」と当時は不満に思ったが、今では何かに悩むたびに、兄の言葉を思い出している。
「自分は何の役にも立たないゴミ」
ひきこもってからはほとんどの時間、自室でインターネットをして過ごした。
「ネット動画やSNSもない時代でしたが、今風にいうと個人が“推しを熱く語る”ホームページを探して、楽しんで見ていました。当時はデジカメや携帯電話が日進月歩で進歩していた時代で、ネットでパソコンの活用法も学びました。
時間に関係なく、目が覚めたら起きてネット、眠くなったら寝る。昼夜逆転より始末が悪かったです」
朝夕の2食は毎日母親が作ってくれたので、朝ご飯は母親が日中買い物に出かけている間に、晩ご飯は父親が寝静まった後、ダイニングテーブルで食べた。
マンション住まいなので一日に数十歩しか歩かない。
「こいつ働いていないんだな」と思われるのが嫌で昼間は出歩かず、週に1度、夕方や夜になると長い散歩に出かけたり、古本屋や中古CD店に行ったりした。
だが、PHSの通信料も含めて月1万円しかもらっておらず、お金がないので2、3か月に1度くらいしか買い物はできなかった。
子どものころから整理整頓が苦手だった野口さん。ひきこもってからは、片付けをすることも苦痛の種になった。
「これも不要、あれも不要、そもそも自分自身が何の役にも立たないゴミじゃん」
部屋の片付けを始めるとそんな思いに囚われてしまい、途中でやめざるを得ないのだ。
ひきこもる生活を始めて3年経った24歳のころ、母親が勧める医師のアトピー治療を受けるために、東北地方で一人暮らしをした。
当時、地方にもでき始めたインターネットカフェに入ると、地元の青年が声をかけてくれ、彼の家に遊びに行ったりした。
だが、アトピーの症状があまり改善しなかったことに加えて、ガスの元栓や玄関の鍵などいろいろなことが気になる強迫症的な症状が出てきてしまい、1年半で実家に戻った。
生まれて初めて「やべえ!」と感じた瞬間
そのまま10年、20年と、ひきこもる期間が長くなるにつれ、心境に変化はあったのだろうか。もし、ひきこもったまま両親が亡くなれば、すぐに生活も立ち行かなくなる。
将来が不安ではなかったかと聞くと、野口さんは静かな口調でこう言う。
「漠然と、親より先に死ぬわけにはいかないなと考えていたので、親が先に死んでくれれば、こちらも安心して死ねると考えたこともあります。
もともと小さかった自信も、年を追うごとにすり減っていきました。地デジに移行するときにテレビも買い替えできなかったので、世間への関心も年を追うごとに少なくなっていきました。
親亡き後を含め、将来を考えても何も希望を見出すことができない。だからといって、『働かなきゃならない』と考える方向には行かず、考えることすら放棄していましたね」
長くひきこもるうちに感情が消えていき、そのまま「消えてしまいたい」と考える人も少なくない。
野口さんは「死にたい」と考えたことはなかったのかと聞くと、「歩いているときに車にはねられて死んだら仕方ないのかなと思うけど、自分から死のうとは思わなかったです」と答えた。
「実は、一人暮らししたとき仲よくなった青年が、私が実家に戻った数年後にすい臓がんで亡くなったんです。彼の心遣いとか連れ出されて見た風景を思い出すと虚しさばかりで……。
自分が前に進む勇気には変えられませんでしたが、彼の若過ぎる死が影響しているのか、死に対して、“自分では選べない、選んではイケないことだ”という考えが浮かぶんです」
45歳のとき、人生を変える出来事が起きる。
ある日、家で新聞を読んでいると皮膚科の新規開院のチラシが目に入った。
「開院後すぐだと患者も少なく、詳しく話を聞けるかもしれない」
そう考えた野口さんは思い切って行ってみることに。2回目の通院の帰り道、夜の歩道で足を滑らせ、気が付くと四つん這いになっていた。
仰向けになろうと体を反転させても、左脚はまったく動かず脚が絡まる。
両手で左脚を持ち上げて、体育座りになると、膝の形が左右でまったく違っていた。
痛みはまったくなかったが、生まれて初めて、「やべえ!」と思った瞬間だった。
取材・文/萩原絹代
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