24年間ひきこもった52歳男性、生まれて初めての仕事で雇い止め宣告…それでも社会復帰を諦めなかったワケとは
集英社オンライン / 2024年11月30日 11時0分
〈肌はボロボロで、体液がダラダラと…アトピー性皮膚炎に悩み21歳から24年間ひきもった男性の苦悩「自分は何の役にも立たないゴミ」〉から続く
幼いころから自分を抑圧し続け、アトピー性皮膚炎が悪化した自分の姿を受け入れられずに24年近くひきこった52歳の野口哲也さん(仮名)。「自分は何の役にも立たないゴミ」だと感じ、将来を考えることすら放棄していた。45歳のとき、思い切って小さな一歩を踏み出したことで、人生は思わぬ方向に向かう――。(前後編の後編)
入院生活で人生をやり直す
アトピーの治療のために通院した帰り道に転倒し、救急車で病院に運ばれた野口哲也さん(52=仮名)。
長いひきこもり生活で、初めて「やべえ!」と感じた瞬間だった。
「左膝蓋骨骨折」と診断され、搬送翌日に手術し、入院生活が始まった。担当の理学療法士はまだ若い青年。1日1時間のリハビリが終了する間際には、無邪気にこんなことを言う。
「僕は今夜、飲み会に行くんですよ~」
野口さんは内心「入院患者に言うか? こっちは飲みにも遊びにも行けないのに」と思いながら、彼との気楽な会話が入院生活で唯一の楽しみになった。
「彼は私とは真逆でチャラい(笑)。もし、彼が自分と似たような真面目な人だったら、そこまで馴染めなかったと思いますが、いつしか私も彼に本音を話せるようになったんです」
入院が3週間を過ぎたころ再手術になる。その手術部位が感染症を起こし、2か月ほど個室で過ごした。
淋しさを紛らわすため、窓際のカーテンを開けたまま寝る許可を得た。毎朝太陽の光を浴びていたら、長いひきこもり生活で乱れた体内時計をリセットできたという。
病棟を自由に動けるようになると談話室で東南アジア出身の男性患者と仲よくなった。
男性は老若男女問わず誰にでも気さくに話しかけるムードメーカー。その男性が退院すると病棟は灯りが消えたように静かになってしまった。
「僕はひきこもりの孤独な生活から一転、誰かに声が届くし、誰かの返事も聞こえる世界に半ば強制移住させられた訳ですが、歩くリハビリと相まって、赤ん坊に戻ったかのように、行動範囲が広がる。できることが増える。やりたいことが増える。人生をやり直しているような感覚が少なからずありました。
『入院中の恥はかき捨て』という考えもあり、私自身も他の方も退屈していると思うと、何かできないかなと。彼みたいに明るく話しかけることは難しいけど、あいさつなら僕でもできるかもと思ったんです。
テレビはお金がかかるので我慢し、その代わりに自主リハビリと称して、病棟の廊下を1日に何十往復もしていました。
廊下で会う患者さんや病院職員さん、すべての人に、『おはようございま~す』『こんにちは』と言ってみたら、みんなあいさつを返してくれて。それだけでも、うれしかったですね」
「やっぱ愛はね、人を救うんですよ(笑)」
野口さんは、さらに、思い切った行動をする。
仕事がていねいで真面目な30歳くらいの看護師が気になっており、その看護師が担当に就いた日、こう誘ったのだ。
「退院したら、○○さんと食事に行きたいなぁ。でも、食事に行く前にハローワークに行って仕事を探さないと……」
失敗してもいいように事前に“落ち”まで考えて口にしたのだが、当然のことながら返事はなかった。残念ではあったが、言えたことで満足もしたという。
「その看護師さんにほのかな恋心があった?」と聞くと、「ありますよ、それは」と言って野口さんは恥ずかしそうに笑う。
「病院は実家から近く、退院後もその看護師さんに限らず、職員の方たちと道端で会う可能性があります。会ったときに今のままじゃカッコ悪いというか、ちゃんと胸を張って会えるようになりたいなと思って。
それで、ひきこもりから脱する決意をしたんです。やっぱ愛はね、人を救うんですよ(笑)」
生まれて初めての仕事は苦戦
入院中にソーシャルワーカーに相談して、退院後に社会福祉協議会の生活サポートセンターにつながった。
就労準備支援事業所でビジネスマナーなどを受講。就労訓練で通った社会福祉法人からオファーを受けて、週3日働くことになった。
だが、生まれて初めての仕事は苦戦した。
高齢者会館の業務員として、電話の取次ぎ、報告書やチラシ作成、体操教室の準備撤収作業を行う。
だが、同じ業務に就いていた先輩が1か月ほどで辞めてしまい、業務マニュアルもなかった。わからないことがあっても、現場は職員が少なく、質問すらままならない。
「仕事のことが頭から離れず疲れが溜まっていく一方で、朝早いのに夜眠れない……。メンタルクリニックに通院して、睡眠導入剤を処方されて少し眠れるようになったけど、2年目の契約更新はされませんでした」
野口さんは社会不安障害と診断された。
その少し前には治ったはずの左膝に激痛が走り、骨髄炎と診断されていた。
「感染症リスクの高い体質なので手術は難しい。手術しても再発リスクがある」と言われ、今も痛みを抱えたまま生活している。
ひきこもる原因にもなったアトピーの症状は、ガイドラインに沿った治療を開始して、じょじょに改善している。
それでも、外ではかゆみを感じないが、家に帰ると緊張の糸が切れてかゆくなる。
だが、外見を気にすることはなくなった。入院中に読んだ新聞記事に心動かされ、発想を転換したのだという。
〈もし、あなたがアトピーを見せながら出歩き、幸せそうにしていたら、不幸だと思っている他のアトピー患者のためになるだろう〉(朝日新聞GLOBE+「アトピーと生きるということ『心の持ちよう』という薬」より)
野口さんは医師から障害者雇用を勧められて、48歳で障害者手帳(精神障害者保健福祉手帳)を取得。ひきこもり支援団体の講演会で会ったカウンセラーから就労移行支援事業所を紹介された。
就労移行支援事業所は国の法律で定められた福祉サービスで全国に約3300か所あり、障害のある人や難病の人の就職に向けた準備や就職活動、就職後の定着支援などさまざまなサポートを行っている。
ありのままの自分を出す
2か所の就労移行支援事業所を見学に行ったが、そのうちの1つはビルに囲まれた場所にあり、窓のカーテンも常に閉めっぱなしだった。
「自分がひきこもっている部屋と似たような景色だったので嫌だなと。僕の部屋に窓はあるけど、北側ですりガラスなんです。ひきこもりの生活は快適だと思われるかもしれませんが、僕の部屋、エアコンがないです。
室外機を置くスペースがないし、父親に陳情するのも面倒くさいなと。今年の夏は特に暑かったので、扇風機と自分の間に大きい保冷剤を置いて冷風にしていました」
2か所目の SIN医療福祉サービス(以下、SIN)もビルの入り口が薄暗くて不安になったが、事業所の中は明るく、大通りに面した大きな窓は開放感があった。
「所長に『障害者雇用は難しくない。素直になればいいんです』と言われて、思い切ってSINに身をゆだねてみようと思いました。僕がひきこもりをこじらせたのも、素直になれなかったからかなと考えたんです」
SINではまず、アサーション(ていねいな自己主張)と傾聴(相手の話を肯定的に聞く)を学んだ。
利用者同士で話し合いをするプログラムが多く、例えば、新聞要約の訓練では、各々がニュースの要約を発表して、それについてどう思うのか、1人ずつ発言していく。
グループワークでは、2か月後の企画実施日に向けて、利用者だけで話し合い企画を決める。多数決で決めるのではなく、1人1人が自分の意見を言うことを求められた。
野口さんが繰り返し指摘されたのは「ありのままの自分を出す」ということ。
母親に「黙っていなさい」と言われ、子どものころから自分を抑圧し続けてきた野口さんにとって「自分を出す」のは最も苦手なことだ。
最初は不安や緊張から頭が真っ白になって、一言二言しか発言できなかった。衝動的に「どうしたらいいでしょう」と解決策を求めて、職員を困らせてしまうことも多かったそうだ。
「可能な限り多くの企業実習や面接会に参加して、失敗も経験して、自分の特性を理解し、次のステップに生かしましょう」とも言われたが、参加するかどうか決めるのは利用者だ。
職員が急かしたり、促すような声かけはしない。野口さんは頭では理解していても、躊躇してなかなか踏み出せなかったという。
「ひきこもっていたので経験値が少ない→自信がない→踏み出す勇気がない→経験値を稼げないという無限ループに陥っていました。
そのころの私は、”大きなことを成さないと“とか、 “最後までやり遂げないと意味がない”と思っていたので、余計に一歩を踏み出せなかったんですね」
SINでさまざまなプログラムを受講し、他の利用者と交流するうちに、「ハードルをなるべく低く設定して、ちょっとずつ進んでいけばいい。途中で失敗しても、経験値は稼げる」と気が付き、ようやく無限ループから抜け出すことができたという。
「もっと早くケガをすればよかった」
本腰を入れて就活を始めたのは49歳のときだ。
正社員を目指してハローワークの合同面接会に参加しても、就労経験がほぼないことと年齢がネックになり、なかなか2次面接に進めない。
SINには2年間という利用制限があるが、期間内に内定を得られず野口さんは1年間の延長申請を出して就活を続けた。
職員のアドバイスで目標をパートに切り替え、企業実習に参加すると2年3か月で内定を得ることができた。
3か月間のトライアル雇用、半年間の有期雇用を経て無期雇用になり、現在は週5日、1日6時間半の勤務。
手取りは月12、3万円だが、障害年金2級と合わせると約20万円になるので、ほとんど貯金している。早く実家から出て一人暮らしをしたいと思っているからだ。
仕事は事務補助。契約書をていねいに三つ折りしてて封入するといった細かな作業や、業務委託先から送信されるデータの検収といった適切かつ迅速な判断を求められる作業もある。
マニュアルがあるし、困ったことがあればヘルプを出せばいいのだが、プレッシャーを感じる日々だという。
「働き始めて1年経ちますが、いまだに朝の目覚ましが鳴ると、与えられた仕事をやり遂げられるか、膝が動かなくなったらと不安になります。
成功体験が少ないので、つい大丈夫かなって。自分でプレッシャーをかけてしまうんです。
職場で緊張したり不安でいっぱいになったときは、笑顔のスイッチを入れて、ゆっくり息を吐くように心がけています。そうするとSINで一緒に学んだ利用者の方々の笑顔が浮かんで、落ち着くんです」
もし、ケガをしていなかったら、今どうしていると思うかと聞くと、野口さんはしばらく考えて、こう答えた。
「ひきこもっている最中にSINのことを教えられても、何も変わらなかったでしょうね。ケガも入院も、その後に経験したことも、どれも必要なプロセスだったと思います」
そして、照れ笑いを浮かべながら、こう続けた。
「もっと早く、若いころにケガをすればよかったのに……。それだけが心残りですね」
取材・文/萩原絹代
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