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「ダンシング・ヒーロー」「六本木心中」の振付師が最も衝撃を受けたアイドルとは?「彼の表現力にはやられました」

集英社オンライン / 2024年11月27日 10時30分

“自分”を追求した中森明菜と“みんなの理想”を作り上げた松田聖子…振付師が明かす≪ふたりの違い≫とは?〉から続く

荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」や、アン・ルイスの「六本木心中」の振付師・三浦亨さん(78)。「まだまだ俺も現役だからね」という三浦さんが明かす、衝撃を受けた伝説のアイドルとは……。

【写真】伝説の振付師が明かした「衝撃を受けたアイドル」

 

「真のエンターテイナー」と呼べるアイドル

名だたるアイドルたちに指導してきた振付師の三浦亨さん。

キャンディーズ、中森明菜や松田聖子など、王道のアイドルを知る彼が、「これぞ真のエンターテイナー」だと衝撃を受けたアイドルは、この男性グループのメンバーだった。

「少年隊のパフォーマンスを初めて見たとき、本当に驚きましたね。パーフェクトだと思った。

特にニッキ(錦織一清・59)。彼のダンス、身体能力、表現力、歌唱力にはやられました。

少年隊の座組はすばらしくて、パッと見てみんなの目を引く華があるヒガシ(東山紀之・58)、他の2人に比べて歌もダンスもいまいちなんだけど、なんともいえない愛くるしさがあるカッちゃん(植草克秀・58)、――いや俺たち業界人は“ウーサー”って呼んでいたんだけど――、それを、表現者としてパーフェクトなニッキがひっぱっている……。

俺が振り付けた曲は『ABC』(1987年)くらいだけど、少年隊の曲の場合、いろんな振付師のバージョンがあるんです。でもどれも、ニッキがアレンジして、独自のものにしているんですよね」(三浦さん、以下同)

きらびやかな衣装でバク宙を連続してするといった、彼らの華麗なパフォーマンスは、バブル景気で浮かれていた当時の世相とベストマッチした。

「少年隊のダンスは本当にかっこいいから、ショーパブですぐ真似されていたんですよ。

ニッキはよくお忍びで観に行って、『もう真似されてた』なんて悔しがってた。だから常にいろんなバーションを考えていましたね。

ニッキはよくいろんなところに顔を出していたから、同じくらい遊んでいた俺は、しょっちゅう顔を合わせましたよ」

時代の寵児となった少年隊だが、三浦さんは錦織の苦悩にも気づいていたという。

「ジャニー(喜多川)さんは、ベストテンで1位とか、レコード大賞とか、そういうわかりやすい万人受けが好きだった。

でも、ニッキはもっと、通をうならせるダンスや演劇を極めたいと思ったんだろうね。

今は自分のやりたいことができていて幸せそうだけど、ジャニーズ(事務所)も、早くからそちら方面にも重きを置いていれば、全世界に通用するパフォーマーがもっと生まれていたと思う」

“ダサカッコイイ”の概念

少年隊と同じく、バブルの時流に乗った曲、そして三浦さんの振付としてよく知られているのが、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」(1985年)だ。

英国歌手のカバー曲ではあるものの、何度もリバイバルされたり、昨今では盆踊りバージョンまで作られるなど、もはや日本を代表する歌謡曲といっても過言ではないだろう。

三浦さんが、日本でのダンスミュージックの変遷の歴史を踏まえつつ、振付の制作秘話を語る。

「俺がディスコに通い出した50年ほど前は、海外帰りの人が集まる新宿二丁目や、在日米軍基地のある福生あたりが、最新の洋楽やダンスのステップを知ることができる場所だった。

芸能プロダクションの社長から、よくわからないお金持ち、ただ単に踊ることが好きなヤツまで、いろんな人が集まっていた。つまり、俺は毎晩、いろんな人たちと遊んでいたんだよ(笑)」

この曲の振付担当に決まったのも、「遊んでいたから」だという。荻野目が所属するライジングプロダクション社長・平哲夫氏からの直接の指名だった。

「平ちゃんによると、俺が“振付師の中で一番遊んでいる”からだと。“はいそうです”って感じだった(笑)。

たしかにユーロビートである『ダンシング・ヒーロー』の原曲を初めて聴いたとき、この曲調は日本人に受けそうだな、とも思いました。

当時はソウルミュージックが洋楽の主流で、ユーロビートはまだ一般的ではなかった。そういうところはやはり、遊んでないとわからなかっただろうね」

振付は「楽しい夜にワクワクする気持ち」を意識したという。

三浦さんの予想通り、「ダンシング・ヒーロー」は息の長いヒット曲となり、その後ユーロビートは大箱のディスコの定番メロディとなった。

三浦さんは、平氏のセンスには今でも絶対の信頼を置いていると話す。

「“ダサカッコイイ”という概念は、平ちゃんが作ったんじゃないかな。もともとカッコいい人間が、あえてダサいことをしてみせるからよけいカッコいい。

それで最近大成功したのが、DA PUMPの『U.S.A.』でしょう。平ちゃんがどこまで関わったかは知らないけれど、確実に『ダンシング・ヒーロー』の魂は継いでいるよね」

そんな『U.S.A.』の振付を担当したDA PUMPのKENZO(39)とは、振付談義をする仲だという。

「彼はダンスのテクニックも、振付の才能もすごいし、勉強熱心。過去の映像をたくさん見たりしていて、昭和のタレントたちに対してもとてもリスペクトしているんだよね。

KENZOだけでなく、今の若い人たちはとても真面目。

“これから一緒に飲みませんか?”なんて夜中に俺を呼び出す昔のアイドルたちに比べたら段違いだよね(笑)。

そもそも今の人たちのダンステクニックは、昭和のアイドルとはレベルが違う。K-POPのアーティストなんか、個々が振付師のレベルだし、完成度が高すぎる。

でも俺は思うんですよ。ダンスはすごいけど、歌の世界の表現力は、ちょっとないがしろになってきているんじゃないかな、って。

それって、ネットの世界とかが主流になってきて、人と直接関わらなくなってきたからじゃないの、って。

俺の言う“遊ぶ”って、とどのつまり人と直接交流すること。

そうすることで公私ともに新しい発見があるし、コミュニケーションのために表現力が身につく。だから俺は今でも遊んでるし、これからも遊びたいんだよ」

三浦さんは最後にこう話した。

「昭和って、手に入れられないものが多くて自分で工夫をするしかなかったけど、だからこそ、表現力が豊かになれた時代だったのかもしれないね」

レジェンドが語る昭和の思い出は、ミラーボールのように輝いている――。

三浦亨(みうら・とおる)●1946年、宮城県生まれ。宮城県石巻高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒。’70年代から多数の歌手の振付や、『レッツゴーヤング』(NHK)、『夕やけニャンニャン』『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ系)といった音楽番組やバラエティ番組のダンス指導を手掛ける。「カーニバル三浦」名義でも活動。近年では「YOSAKOIソーラン祭り」や故郷・石巻市の町おこしイベントにも関わっている。

取材・文/木原みぎわ

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