「被り物」や「挨拶」のルールから物語の展開が予測できる!? 『ゴールデンカムイ』監修者が明かすアイヌ文化の基礎知識
集英社オンライン / 2024年12月15日 10時0分
〈『ゴールデンカムイ』でも大活躍! アイヌにとって「舟」が欠かせない、最も重要な交通手段だった理由〉から続く
現在、実写ドラマが放送され注目を集めている『ゴールデンカムイ』。同作には多くの名場面がありますが、ちょっとしたアイヌ文化の知識があると、より深く楽しめるようになることは間違いありません。
今回はドラマ第8話で登場する「挨拶」や「作法」に注目します。アイヌの人びとにとって、家を訪問する際にはさまざまな挨拶や礼儀などの約束事がありました。そして、それらの知識が物語の展開において鍵を握ることになります。同作でアイヌ語監修を務めた中川裕氏による新書『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』より、一部を抜粋してお届けします。
アイヌの家を訪問する時の作法
9巻87話では、樺戸(かばと)の近くまでやって来たアシㇼパ、杉元、牛山、尾形という面白い組み合わせの一行が、アイヌの村を見つけて休ませてもらうことにします。その時、杉元がアイヌの家を訪問する時の作法を牛山と尾形に説明します。杉元は尾形相手だとやけに気合が入りますね。
この時に杉元が説明している作法は、おおむね昔からそのように言われているものですので、おさらいしてみましょう。
まず、訪問先の家の前に来たら、「ンンンン……」といった感じで咳ばらいをします。女の人であれば「オホ、オホ」とか「エフ、エフ」といった声を上げます。あるいは、雪の上を歩いてきた場合などには、その場でカンジキを脱ぎ、それを打ち合わせて雪を落としたり、家の柱を叩いたりします。
この時、杉元の言うように「すみませ~ん」などといった、意味のある言葉を発してはいけません。とにかく何かの音を立てて、外に誰かが来ているということを家の中の人に気づかせます。
漫画ではここで中から若い男が出て来て、杉元たちの姿を確認すると、何も言わずにすっと引っ込んでしまいます。これも作法どおりで、ここで「どなたですか?」とか「どこから来たんですか?」などということを尋ねてはいけません。それは家の主人の役割なので、ここではどんな様子の人間が訪ねてきたかを、主人に報告するのが若者の役目です。
本来ここで出て来るのは奥さんや娘であることが多いのですが、この場面で家の中に女性陣がいるにもかかわらず男が出て来たのは、女たちに外に出られてはまずい事情があったからです。
その後しばらく待たされて、杉元たちは暇を持て余していますが、その間家の中では何をしているのかというと、掃除をし、客用の茣蓙(ござ)を敷いたりして、客を迎える準備を整えているのです。
やがて中から再び若者が顔を出して杉元の手を取り、杉元は牛山の手を取って、数珠(じゅず)つなぎのようになって家の中に入ります。
この時、杉元が「背筋を伸ばすなッ。手を引かれて招き入れられるときは、腰をかがめるのが作法だぞ」と言っていますが、これもまたそのとおりなので、杉元はずいぶんよく学習したようですね。
この場面で戸口には何も下がっていませんでしたが、普通戸口にはドア代わりに蓆(むしろ)が下がっており、その蓆の一番下には戸口の幅より少し長い丸太が結びつけてあります。これは蓆が風にあおられて家の中に風が入って来るのを防ぐためです。
そして、この蓆が下がっている時には、蓆の下の方を開けて、身をかがめて隙間から入るものでした。直立したまま頭で蓆をはねのけて入ったりするのは、敵意を持ってやって来た時のふるまい方で、物語の中では刀で蓆を切り落として入って来るなどという物騒な話もあります。
アシㇼパがあえて「被り物を取らなかった」理由
この時、尾形に手を引かれて一番後ろから入ってきたアシㇼパは、絵のようにちょっと頭のマタンプㇱ(被り物)を外しかけて、そのまま元に戻してしまいます。
後でアシㇼパがトイレに行くと言って席を立った時に、杉元が「すみませんね。普段は礼儀正しいんだけど……」「他の家では(中略)頭の鉢巻(はちまき)とかも取ってちゃんとしてたのに…」と言い訳をして不審がっていましたが、杉元の言うように、女性はこういう場では被り物を取るのが礼儀でした。
アシㇼパもこのような慣習は身につけていたはずですが、大の大人で元兵士である杉元の前で、マタンプㇱを外したことはついぞありませんでしたね(というか、誰の前でもあまり取ったのを見たことがありません)。
この9巻87話の場面では、村の男たちのふるまいや、何より外にあった熊檻の熊の扱いのひどさに、アシㇼパが男たちの正体を疑っていたことが表されています。
そういえば、家の中ではモノアという女性は被り物をしていませんが、9巻88話で、窓の外からウンカ オピウキ ヤン!「私たちを助けて!」と叫び声を上げた女性は、チエパヌㇷ゚(被り物)をつけていましたね。このようにアイヌの女性は成人男性の前では、被り物をとるのが慣習でした。
実はこの男たちは樺戸監獄から脱走した囚人で、この村の男たちを殺してアイヌに成りすましていたことが後で明らかになりますが、それにしても客を迎えるここまでの作法はほぼ完璧なもので、囚人たちもアイヌに成りすますために、いろいろ学んでいたことがわかります。
ただ、やっぱりアシㇼパのような本物のアイヌの眼をごまかすのは無理でしたし、尾形も彼らが怪しいことを早々と見抜いていたようでした。
それにひき比べて、杉元は尾形の疑いを晴らすために、たまたま見つけたキサラリ「耳長お化け」の使い方をレタンノエカシという長老に問うというアイディアまでは素晴らしかったのですが、尾形がキサラリでレタンノエカシの足を叩いて、日本語で叫び声を上げさせるというアシストまでしているのに、一向に偽者だと気がつきませんでした。
この、戦闘では超人的な勘のよさを見せるのに、それ以外のことになるとえらく鈍いという点も、杉元の魅力のひとつでしょう。
久しぶりに会った時の挨拶
7巻63話で、アシㇼパはフチのお姉さんの家を訪ねて行きます。久しぶりに会ったふたりは、正面を向き合いながら、お互いの髪をなでおろし、背中をさすったり手をさすり合ったりして、再会を喜び合います。これをウルイルイェと呼びます。
女性がやるものと決まっているわけではなくて、男性同士でも行います。私は千歳(ちとせ)の中本ムツ子さんから、両手を交差させて、右手で右手を、左手で左手を握り合って、上下させるというやり方を教わったこともあります。
また、向かい合って、まずお互いの左膝をさすり合い、次にお互いの右膝をさすり合うという作法もあります。女性の場合には、ウルイルイェの際に声を上げて泣くということもしました。
大変大げさなように見えますが、昔、交通手段としては徒歩か丸木舟しかなく、手紙も電話もない世界で、しかも広い北海道に2万数千人しかいないという状況で、離れて暮らしている親戚や知り合いと邂逅するというのは、現代の私たちが考えるよりはるかに稀な出来事でした。
だからお互いに生きて再び巡り合えたことを、体をさすり合って確かめ、喜びに涙を流し合ったのです。
ちなみに、5巻44話で、尾形に銃撃された谷垣がアシㇼパの家を脱出する際に、フチが谷垣のほっぺたをぺたぺたと叩いて、無事を祈る場面があります。これも本当は、谷垣の髪を両手でなでおろすところなのですが、フチと谷垣の間にちょっと身長差がありすぎて、届かなかったのでしょう。
なお、久しぶりに会った時に相手にかける言葉は地方によってさまざまで、沙流(さる)地方や千歳地方では、フチ へー「おばあちゃんかい?」、クマタキヒ ヘー「私の妹かい?」のように、親族名称にヘー「〜かい?」という言葉をつけて言います。別に親戚でなくてもこう言うので、私もおばあちゃんたちにクミッポホ ヘー「私の孫かい?」と声をかけられたものです。
日高(ひだか)の東から十勝(とかち)にかけては、イカターイという言葉がよく使われます。現代の若い人でも、これで挨拶する人がいます。また十勝から東の地域では、イッショロレーとかイシオロレーという言い方が使われます。
最近は、イランカラㇷ゚テーという挨拶が「こんにちは」の意味でよく使われます。これはもともとは儀礼の席で発する形式ばった言葉だったようですが、このように地方によって言葉が違うので、共通の挨拶言葉としてピックアップされ、「イランカラㇷ゚テ・キャンペーン」という活動で近年になって広まったものです。
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