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「不良生徒は警察に突き出せばいい? サービス業に徹する学校や教員が求めた生活指導方針「ゼロトレランス」とは?

集英社オンライン / 2024年12月17日 9時0分

1994年アメリカで、当時のクリントン大統領が学校への銃器持ち込みの取り締まりのために始めた「ゼロトレランス」。最初は、秩序を乱生徒への初期段階での毅然とした生徒指導方針だったはずがいつしか成績の悪い生徒の退学や停学処分に悪用されるようになった。

【画像】「ゼロトレランス」の実験地となった広島県福山市の学校に貼られた標語

書籍『崩壊する日本の公教育』より一部を抜粋・再構成し、日本にも持ち込まれた「ゼロトレランス」の是非を問う。

「ゼロトレランス」

「ゼロトレランス」を簡単に説明すれば、大きな秩序の乱れを引き起こさないよう、どんなに些細な学校規律からの逸脱行動をも初期段階で許さない厳格な生徒指導方針ということになる*1

1994年、クリントン大統領が学校への銃器持ち込みの取り締まりにゼロトレランスを適用したのがきっかけだったが、またたくまに取り締まりの対象範囲や年齢が拡大された。

米教育省の見積もりで年間300万人もの生徒(幼稚園児から高校生まで)が教員への暴言、ケンカ、遅刻、制服の乱れなどの些細な逸脱行為で停学処分を受けるまでになり、手に負えない生徒は積極的に警察に引き渡されるようになった*2

2002年、ジョージ・W・ブッシュ政権下で施行された「落ちこぼれ防止法(No Child Left Behind Act)」が構築した学力標準テストによる教育の徹底管理体制は、ゼロトレランスによる生徒の停・退学率を劇的に増加させた。

「アドバンスメント・プロジェクト」らによる共同報告書は、その現象をこう説明している。

「生徒の点数を上げろという指令の下、学区、学校、管理職や教員らは結果を出すための重圧を受けている。このプレッシャーは、実際には、点数の低い生徒の転出や排除を奨励・促進するという歪んだ動機を学校に与えている*3

一方で、そのような状況に違和感を覚える教員も少なくない。

南部貧困法律センターは、「絶望感を訴える教員や管理職もいる。以前は生徒の家庭に電話していた生徒指導の事柄も、今では警察を呼ぶことが義務づけられ、彼らは生徒同士が衝突を解決できるよう支援する代わりに、警察が生徒を逮捕するのを見ている他ない*4」と指摘する。

福山におけるゼロトレランス

似たような状況は、日本でも確認されている。

文部科学省は2006年1月の時点ですでに、「経験豊富な教員の大量退職を迎え世代交代が進む中で、問題行動に毅然として対応し、生活指導等を通じて学校規律を回復させ、子どもの規範意識の育成に資するという生徒指導の側面について、その今後の在り方等を様々な観点から検討していくことは大変意義深いもの*5」との見解を示しており、同年6月には「児童生徒の規範意識の醸成に向けた生徒指導の充実について」という通知の中で、各都道府県教育委員会などに対してアメリカで広く実践されているゼロトレランスを参考にした生活指導を推進している。

それを受け、日本におけるゼロトレランスの「実験地」となった広島県福山市では、教育委員会が市内の各公立学校長に、学校ごとの生徒指導基準となる生徒指導規定などをあらかじめ整備させ、生徒の問題行動に「毅然とした対応」を求めた。

福山市におけるゼロトレランスの実態を調査した『「ゼロトレランス」で学校はどうなる*6』は、「別室指導」の名の下で行われる生徒児童の教室からの排除や、「警察等関係機関との連携」として行われる警察への通報と生徒児童の逮捕が拡大していったことを明確に示している。

世取山洋介は、その「はじめに」で、同書の元になった2016年11月に広島で開かれた全国交流集会「ゼロ・トレランスの今から、学校・教育を問う」の参加者の声を紹介している。

「『東広島スタンダード』は、児童館、図書館、地域センター、至る所に張ってあって、息苦しいです。こんな風に行動規律を押しつけると、子どもは本音を話せなくなります。子どもを締め付け、追いつめる。その抑圧に気付かない人が大半です。福山の保護者の方のお話に驚きました。

生徒指導の細かさ、理不尽さ、警察がサイレンを鳴らして学校に駆けつけ、衆目の中、生徒を逮捕していく……子どもたちはどれほど傷つき、絶望してしまうことだろう。今は、学校は子どもを守り育てる場ではなく、排除し、規制して子どもを締め上げていく場になってしまっている。まさに戦争前夜だと思います。子どもへの細かい規律押しつけ、指導は良き兵士育成そのままですね*7

罰を通じた子どもの行動管理

大事な点がいくつかある。

一つは、ゼロトレランスは、本来なら時間をかけてベテランから新人へと継承されるべき匠の技の継承が困難になった時に導入された対症療法的な措置だったということ*8

子ども理解に通じた経験豊かな教員が一斉にいなくなり、経験の浅い教員でも「毅然とした態度」で生徒と接することができるようにと導入されたのがゼロトレランスだった。

だからこそ、ゼロトレランスの例外なきマニュアル的指導が若い教員には歓迎される一方で、それぞれの生徒のさまざまな事情を踏まえ、個別柔軟に時間をかけて対応しようとする教員が阻害され、教師の間で分断が生じるという弊害が生じた。

2010年頃から福山市の小中学校で広まっていったゼロトレランスについて調査した小林克己は、その象徴である「生徒指導規定」についてこう書いている。

子どもに寄り添い、そのつまずきを受け止め、理解と援助を進めようとする教師の前に、「規定」は大きく立ちはだかっています。どこの職場においても、「規定」を〝踏絵〟のようにして、もの言わぬ・言わせぬ教師づくりが進行し、「例外なき指導」「毅然とした指導」「ゼロトレランス」のことばの前に異論をはさみこむことができないような息苦しさが広がってきました*9

もう一つの大事な点は、ゼロトレランスの狙いは、生徒の人間としての成長ではなく、「学力向上」という学校業務の邪魔をする生徒の排除だということだ。

アメリカにおけるゼロトレランスは、学力標準テストと結果責任による全国的な管理体制を築き上げた「落ちこぼれ防止法」を契機に拡大した。

教育法学者である世取山洋介は、日本におけるゼロトレランス拡大の契機も、2007年に復活した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)だったと指摘し、1980年代の荒れた生徒たちへの対応として全国に拡大した「管理主義」とは別物だと位置づけている。

ゼロトレランスには、「権威への服従の教え込みなどという子どもの人格形成への働きかけはもはや存在せず、あるのは、競争的秩序の効率的な防衛のための罰を通じた子どもの行動管理だけ*10」と指摘する。

生徒指導こそ教師の専門性が生かされる領域ではないか?

ちなみに、その後アメリカでは、異常なまでに上昇した国内の停・退学率への各方面からの反発で、ゼロトレランスによる生徒の排除から、問題を抱える生徒への支援へと確実に潮の流れが変わってきた。

アメリカ心理学会は2008年のゼロトレランスの報告書で、停・退学は生徒の素行に逆効果であることを指摘。オバマ政権も2009年に司法省と教育省の主導で、学校に生徒の停・退学処分には慎重になるよう促した。

世取山は、ゼロトレランスは、全国学力テストを軸として「学校を競争的秩序の中に組み入れ、学校を競争的に組み替えていく文科省による上からの動きとセットになって、この競争的秩序を最大防衛するための方策としてアメリカから輸入され、上から地方に拡大されようとしている*11」と警告した。

神奈川県によれば、2006年8月28日には、神奈川県教育委員会と県警察本部との間で「学校と警察との情報連携に係る協定書」が締結され、現在では全都道府県において学校警察連携制度が整備されている*12

しかしながら本来、生徒指導こそ教師の専門性が生かされる領域ではないだろうか。

日々ともに過ごす生徒のニーズを最もよく知る現場の教師ならではの、それぞれの状況に応じた判断があるはずだ。ゼロトレランスによる生徒指導のマニュアル化や警察へのアウトソーシングは、教師が自らの専門性を手放すことになるのではないだろうか。

学校の塾化も、ゼロトレランスによる「問題児」の排除も、もはや教育とは言えず、「お客様を教育しなければならない」というジレンマの解決にもなっていない。

教員の働き方改革以上に、今日失われつつある「教師」という仕事そのものを守ることを本気で考えるなら、このジレンマと正面から向き合うことなしに、その成功はあり得ないのではないだろうか。

画像/書籍『崩壊する日本の公教育』より

脚注
*1 詳しくは、鈴木大裕『崩壊するアメリカの公教育―日本への警告』(岩波書店、2016年)
第6章「アメリカのゼロ・トレランスと教育の特権化」。
*2 “Revealing New Truths About Our Nation’s School.” U. S. Department of Education. https://www2.ed.gov/about/offices/list/ocr/docs/crdc-2012-data-summary.pdf
*3 Advancement Project et al. (2011) Federal policy, ESEA reauthorization, and the school-toprisonpipeline. NAACP Legal Defense Educational Fund; Juvenile Law Center; Advancement Project; Educational Law Center; Fair Test; The Forum for Education and Democracy.
*4 Brownstein, R. “Pushed Out.” Learning for Justice. https://www.learningforjustice.org/magazine/fall-2009/pushed-out
*5 「『ゼロトレランス方式』について」『生徒指導メールマガジン』第16号、文部科学省初等中等教育局児童生徒課、2006年1月31日。https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/04121503/1370136.htm
*6  横湯園子・世取山洋介・鈴木大裕編著『「ゼロトレランス」で学校はどうなる』花伝社、2017年。
*7 同上、p.7
*8 前掲「『ゼロトレランス方式』について」。
*9 横湯・世取山・鈴木編著前掲書、p.69
*10 同上、p.5
*11 同上、p.5
*12「学校警察連携制度」神奈川県ホームページ。https://www.pref.kanagawa.jp/docs/vn7/cnt/f6709/index.html#:~:text=%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E9%80%A3%E6%90%BA%E5%88%B6%E5%BA%A6%E3%81%A8,%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%82%92%E8%A1%8C%E3%81%86%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82

崩壊する日本の公教育

鈴木 大裕
崩壊する日本の公教育
2024年10月17日発売
1,100円(税込)
新書判/288ページ
ISBN: 978-4-08-721335-5
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