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「20年経っても球団は三木谷さんのアクセサリーのまま」今江監督が解任、田中将大も去った楽天球団に初代監督が今も懸念すること

集英社オンライン / 2024年12月24日 17時0分

2024年、球団創設20周年を迎えた東北楽天イーグルス。だが、就任1年目で交流戦初優勝に導いた今江敏晃監督が解任され、象徴的存在だった田中将大もチームを去った。いったいこのチームに何が起きているのか。

【画像】「僕は強い球団よりも良い球団を作りたかった」と語る楽天の初代監督

今江監督の解任理由がわからない

「まるで球団を三木谷(浩史)さんは自分のアクセサリーのような感覚で持たれていた。それが20年経っても変わったように思えないのが、とても残念ですね」

東北楽天ゴールデンイーグルス初代監督の田尾安志は、素直に失望の色を隠さない。

今季、交流戦を13勝5敗の好成績で乗り切って球団史上初の優勝に導いた今江敏晃監督がまだ一年契約が残る中で突然解任されたことに続いて、チームの歴史的アイコンともいえる田中将大との交渉がまとまらず、田中は退団を表明した。

「今江監督はよくやっていました。シーズン前の戦力を見て彼に『悪いけど、評論家としては、今季は最下位の予想をさせてもらうよ』と告げたくらいでしたが、僕も計算していなかった新しいピッチャーを育ててどんどん勝ちに繋げていった。

複数年契約の一年目を終えてチーム状態も把握しただろうから、来季を楽しみにしていたのに、まさか切られるとは思っていなかった。解任の理由がわからない」

また、田中将大のリリースについてはこう言及した。

「今年はリハビリに専念して、さあ来年に(残り3勝の)日米通算200勝達成という気持ちでいたと思います。確かに今季は1試合しか登板していないので、減俸交渉になるのはわかっていましたが、決裂したのは、金額が原因ではないのでは。それよりも球団が彼に対してかけた言葉やふるまいの問題ではなかったかと思います」

田尾には忘れがたい経験がある。現役時代、西武に移籍して一年目のこと。1月末の突然のトレード通告によってキャンプもろくにできなかったことから、シーズン成績は周囲の期待を下回るものであった。

それまで、中日との契約更改では毎回、減給のための要素を粗さがしされては、突き付けられており、きつい言葉を覚悟してテーブルについた。

ところが、交渉相手の坂井保之代表は、金額を提示する前に8月の負け試合の中で田尾が放った一本のホームランに触れた。

「君が打ったあの放物線は、夏休みに応援に来た子どもたちにとって負けはしても唯一の楽しい思い出になっただろうね」と言ってくれた。しばし野球談議をした後に「移籍したばかりで慣れない環境で大変だったろう。ただ、今季は前の年に比べて数字は悪い。だから(年俸を)下げてもいいかな?」と訊いてくれたのである。

野球選手ほど、扱いやすい生き物はいないですよ

田尾は述懐する。

「手を抜かないそういうプレーまで見てくれているなら、もうどうぞ下げてくださいと伝えました。選手は成績が振るわないときには、申し訳ないという気持ちを誰よりも自身が持っているんです。本当にお金じゃなくて言葉ひとつで、野球選手ほど、扱いやすい生き物はいないですよ。

ただ楽天という球団は、創立以来、野球人に対してそうしたリスペクトをあまり払わない。歴史的に見ても、マー君のチームに対する貢献度は計り知れないです。

(2013年の)24勝0敗のことばかり言われていますが、例えば、あの時代に彼の存在でどれだけブルペンが助かったことか。確実に計算できるので他の中継ぎピッチャーはしっかり休めるわけですよ。チーム生え抜きの高卒ドラ1であの活躍、球団に、マー君はイーグルスのシンボルという意識があったのかな」

今、この現象だけを批判しているわけではない。常にトップダウンによってころころと方針が変わるチームの体質について田尾は創設時より、声を上げていた。

20年前、分配ドラフトによって、誰がどう見ても最下位濃厚なチームの監督を引き受けた背景には、こんな思いがあった。

「僕は『強い球団』というよりも『良い球団』を作りたかったんです。それは監督や選手にとって良いということだけではなくて、裏方さんやファンにおいても『良い球団』という意味です。

特に東北のファンは勝っても負けても目先のことに一喜一憂せずに応援してくれる。地域に根ざしてこの人たちに支持されるようなものを提供したい。三木谷オーナーにも『球団を持たれるのならば、それは私物ではないですよ。ファンや市民のものという意識を持ってください』と伝えていました。彼も『わかった』と言ってくれていたのです」

そもそも三木谷は1リーグ制に統合されかけた日本のプロ野球界に向けて、新規参入で球団を立ち上げてパイの縮小を救った人物である。であればこそ、なおのこと、プロ野球は公共財産であるという意識を持ってほしかったという。

これら理想の実現については、田尾を監督に誘った楽天初代GMマーティ・キーナートの存在も大きかった。

米国スタンフォード大学卒でスポーツ評論家でもあったキーナートは古くから日本プロ野球の問題点を指摘していた。

1998年刊行の著作「スター選手はなぜ亡命するか」では指導力も采配のスキルもないのに知名度だけでそのまま監督になってしまう元スター選手、親会社の出向で来ている情熱のない球団代表、何も野球を知らないコミッショナーなど、現在も改善すべきいくつものNPBの難点が挙げられている。キーナートと田尾はGMと監督の立場でともにチームを作っていく決意で船出をしたのである。

取材・文/木村元彦 写真/共同通信社

「次の試合で負けたら休養」「勝ったら続投です」楽天初代監督・田尾安志が苦心した球団の場当たり的な采配〉へ続く

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