「親父に反発しグレた時期もあった」モノマネ芸人・原口あきまさが明かす不仲だった父への思い「ずっと認めてもらいたかった」
集英社オンライン / 2025年1月4日 13時0分
モノマネ芸人として活躍する原口あきまさ。明石家さんまや石橋貴明の特徴を上手く捉えたモノマネはお茶の間を笑顔にする。そんな原口が明かした父への想い、幼少期や反抗期、芸人を目指すと宣言した時の心情。そしてこれらのエピソードの背景にあったものは…。
【写真】1発で分かる(笑)原口あきまさの中学生時代の集合写真
元自衛官で、友人に恐れられるほど厳しかった父
北九州市小倉で幼少期を過ごした原口。小学生時代はどんなキャラだったか、と尋ねると「お調子者だったかも」と振り返る。
「運動は好きだけど勉強は追いつかずみたいな、“Theカツオ君タイプ”でした。テストの結果が悪いと持って帰るのをやめて、親父にバレて怒られたりしていました」(原口あきまさ、以下同)
そんな原口を優しくも厳しく育てたのが、父・勝利(としかつ)さんだ。元陸上自衛官の厳格な父は、職場の仲間を自宅に呼んで酒盛りをする社交的な面がある一方、子どもに対しては口下手なタイプだった。
「ずっと忘れられないのは、僕は少年野球をやりたくて。仲良しの友達から“一緒にやらないか”って誘ってもらえたんです。
僕は学年でいちばん足が早かったし、野球も好きだったので“やりてぇな”って。
それで小4の時、親父に“グローブとバットを買ってくれ”って頼んだんです。親父は“そうか、わかった”と。
それで後日親父が持ってきたのが、剣道の竹刀と小手だったんです。
親父は“これがグローブとバットや!”と言い張って。さすがに俺もわかるので“野球の道具じゃない”と言ったら、親父が“そうや、剣道や”と(笑)」
唐突にも思える行動だが、その裏には「あまり裕福ではなかった」という経済的事情や、いずれは息子にも自衛隊の道を、と望む父の本音が見え隠れする。
「少年野球はお金がかかってしょうがないし、親の当番もあるし大変なんですよね。
でも剣道だったら、自衛隊の中に剣道の道場があったり、自衛官の子どもはタダで教えてもらえたりと環境が整っていたのかもしれません」
結局、野球をあきらめ剣道の道を進むことになった原口。望まぬ道だったとはいえ、やってみると意外にも楽しかった。
「“バットがないと素振りできんやん”と言ったら親父は“素振りできるやろ!”って言って、竹刀で野球の素振りしてました。そうじゃないんだけど(笑)。
中学もそのまま剣道部で、そこそこ良い成績も残せていたので、高校は剣道推薦で行かせてもらいました。
練習は嫌いだったけど、試合の空気感とか勝負事の悔しさやうれしさを味わえるのが、楽しいなとは思っていましたね」
ただ、いくら父が望んだ剣道で頑張っても「褒められることは少なかった」という。
「初めて剣道の試合に出たときも、1回戦で女性剣士に負けたんです。それで悔しくて泣いていたら“お前、泣くぐらいやってないやろ。泣くぐらいなら勝って泣け!”って怒られました。
あんまり言葉を知らない人でもあったので、ただ親父の背中を見て育ちました。親父も“勝手に学んでいけ”って感じで。
ただ挨拶は厳しく言われましたね。“おはよう”も“いただきます”も言わなければ怒られましたし。あとは、『感謝の言葉を述べなさい』とうるさく言われましたね」
礼儀に厳しく、友人の間でも有名な“カミナリ親父”だった。
「ある時、友達が新車のバイクを見せに来たことがあったんです。家の前にバイクを停めて、挨拶せずに二階の僕の部屋に上がってたんです。そしたら親父が下から怒鳴るわけですよ。
“誰や、ここにバイク置いとるやつ!”って。それでバッと窓から下を見たら、親父が友人のバイクを抱えようとしてたんですよ。それで友達が“すんません!”って、そのままバイクに乗って家に帰っていきました(笑)。
運動会や授業参観も自衛隊の服のまま来たり、髭を生やして、いかついサングラスをかけてきたり。ある意味有名でしたね」
「父に可能性をつぶされているような気がした」
恐かった父とのエピソードを面白おかしく語る原口には、父への尊敬と感謝が滲み出ている。しかし、そんな父に対し、実は感じていたことがあるようだ。
「親父はあまり強くは言わないものの、“お前は自衛隊に入るしかない”“剣道しかないんだ”ということを、ずっと押し付けてきたんですよね。
俺はやりたいことを押し殺してまで、親父の言うことを自分なりに聞いてきたんです。それは、親父に認められたいし、褒めてもらいたいから。
だから親の言うことを聞きながらも、グレた時期もありました」
認められたいと思う一方で迎えた反抗期。
「“あんなやつらと遊んでるからお前はグレたんだ”って俺の友達を悪く言ったことがあって。“友達のせいにするな”って喧嘩したんですよ。
友達のことを言われるのは嫌だったし、グレたのは自分が選んだ道だったから。
今思えば、親父としては、俺が間違った方向に行くのを正そうとしただけなんですけどね。
でもあの頃はそんなふうに思えなかった。『俺は好きなことはできねぇんだ』と、可能性をつぶされているような気がしたんです。
だから、高校を卒業したら解放されたい、自由に自分のやりたいことをやってみたい。それで思い切って言ったんですよ。
『芸人になりたい』って」
「親父を喜ばせたい」との思いで芸能の道へ
「芸人になりたい」と告げた原口。厳格な父はどう返したのか。
「“うちの子じゃない、もう原口を名乗るな”ぐらいに言われましたよ。僕は“まあ芸名つけるからいいし”とか思ってましたけど(笑)。
でも、元々芸人になりたいって思ったのも、グレて親に迷惑をかけた時期もあったから親孝行したいなって思ったからなんですよね。
剣道を続けていたのも、親孝行がしたいからで。当時テレビでオリンピックを見ていたら、金メダルを掲げた選手がインタビューで“両親に感謝します”って言ってたんです。それで“これって親孝行になるよな”と思って。
だから“剣道でオリンピックに出よう”と思ってずっと頑張っていた。
でも高校1年の春、剣道はオリンピック競技にないということに気づくんですよ。ちょっと遅かったんですよ、気づいたのが(笑)」
剣道では親孝行ができない――。そう気づいた原口は「中途半端は嫌だ」と段位を取得したのち、きっぱりと剣道を辞めた。
「辞める時は親父にはブーブー言われましたけどね。それで、次に何をしようか考えたときに、テレビの世界が華やかそうに見えて“こういう世界も良いな”って。もし成功したら親孝行できるかもしれん、と。それで芸能にシフトチェンジしたんです」
原口は反対する父を振り切って上京。コンビからピンへ、ピンからモノマネ芸人へとシフトチェンジを繰り返しながら必死に道を模索するなか、胸の片隅にはいつも父への思いがあった。
「どこかでずっと親を喜ばせることをあきらめられない自分がいて、“このままじゃ親孝行できない”“親父の喜ぶ顔が見れないかもしれない”と必死でしたね。
結局は自分がやりたいことをやってるんだけど、親父を喜ばせたいとは常に思っていて。焦っちゃいけないんだけど焦る自分もいたりしました」
ある時、オーディションで即興で披露した明石家さんまのモノマネで一躍脚光を浴び、リアルを追求した新しいモノマネスタイルが話題を呼んだ。世間にその名前が浸透し、いつしか芸歴も20年を超えベテランの域に。そんな彼に訪れた父の末期がんの知らせ。
(文中敬称略)
※後編につづく
取材・文/市岡ひかり
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