「平成」と伴走した最強の批評家、福田和也とは何者だったのか?
集英社オンライン / 2024年12月29日 18時0分
〈ウナギのゼリー寄せからサマープディング、フィッシュ&チップスまで。イギリスの「階級料理」を喰らいつくす! 怒れる3人組〈コモナーズ・キッチン〉に注目〉から続く
ノンフィクション本の新刊をフックに、書評のような顔をして、そうでもないコラムを藤野眞功が綴る〈ノンフィクション新刊〉よろず帳。最終回は、今年9月に急逝した批評家の福田和也を悼み、500ページのド迫力で刊行された『ユリイカ 総特集・福田和也』について。
【画像】2024年9月に急逝した批評家の福田和也を悼んだ500ページ超の特別号
福田和也、享年63歳
2023年に始まった本コラムの初回は「椎名誠と福田和也」だった。それから約1年が経ち、80歳になった椎名は今も酒を飲んでいるが、福田は逝ってしまった。まだ63歳の若さである。初回のコラムで書いたのは、椎名と福田のふたりが「似ている」という話だ。
〈ほとんど中毒者のように酒を飲み、日々深く酔っぱらうところ。早くに結婚し、一姫二太郎の順で子供を授かったこと。デビューした時期が10年違うが、いずれも雑誌の全盛期に書き手としてのキャリアを積み、あらゆる場所でコラムを書き、ゆうに百冊を超える著作を持っている〉【1】
評者はとくに説明もせずに〈雑誌の全盛期〉という表現を使ったが、これは雑誌が売れており、広告収入も潤沢にあったという意味だけを指しているのではない。「雑誌という器、あるいは出版社が濡れ手で粟のように儲かっていたこと」それ自体よりも、今回はそうした環境がもたらした「編集者の時代」にこそ注目してもらいたい。
『ユリイカ 総特集・福田和也』(青土社)の目次には、福田が敬愛した指導教授である古屋健三(仏文学者)や同窓の児島やよい(キュレーター)、伊藤彰彦(映画史家)などと並んで、「プロの書き手としての福田を支えた人々」の名前がずらり。この追悼号の影の主役は明らかに「雑誌の時代を謳歌した編集者たち」なのである。
「正しい意見」と「力のある信念」
といっても、福田が最初に出会い、大きな影響を受けた編集者はいわゆる「雑誌の人」ではなかった。マイナーポエットのような版元として知られる国書刊行会の佐々木秀一だ。
大学の卒業論文にセリーヌを選んだ佐々木は〈対独協力、反ユダヤ、コラボラトゥール、ドリュ、ルバテ、ジュアンドー等々、概念と固有名詞が頭の中を脈絡なく廻っているだけで、実は卒業後も両大戦間から終戦直後のフランスの思潮・動向などさっぱり理解していなかった。だいたい何で天下の極悪人ヒトラーに「協力」した作家などが人間としてまともに論じられているのか?〉【2】と、セリーヌだけを特別視してその他のコラボ作家を見ないことにしていた1980年代当時の風潮に疑念を抱いていた
だが、若手の研究者たちにコラボラトゥール(対独協力作家)を集めたシリーズの構想を話してみてもけんもほろろに「説教」されるだけだったそうだ。〈貴殿がコラボに思い入れを抱くのは勝手だが、本邦にはまだ未紹介のレジスタンス系作家もいるし、シュルレアリストもいる〉【2】。
そんななか、友人の平田一哉から紹介されたのが、修士課程に進んだばかりの福田和也だった。同窓の先輩として初対面に臨んだ佐々木は、この出会いだけで、シリーズ「1945:もうひとつのフランス」を福田の案に基づいて編むことを決断してしまう。
〈脱帽である。福田の一種天才的な発想を聞く、初めての機会だった。少なくとも編集者が欲しいのは識者の「正しい」意見などではなく「力のある」信念である〉【2】
編集者が、まさしく編集者たりえた時代の「真実」は、この佐々木の一言に象徴されているだろう。「ポリティカル・コレクトネス――政治的な正しさ」ではなく、「力のある信念――覚悟に基づく面白さ」を書籍、あるいは雑誌の記事にする。それが編集者の本分だと信じていられた時代があったのである。そして、福田は7年の歳月をかけて『奇妙な廃墟』を書き続けた。
角川春樹、バンザーイ‼
奥付に平成元年(1989年)と記されたデビュー作『奇妙な廃墟』を皮切りに、中瀬ゆかりとは『日本人の目玉』(新潮社)、飯窪成幸とは『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』(文藝春秋)といった代表作が世に送り出され、福田の周囲には異能の編集者たちが集った。これが2000年代初頭までの話だ。
〈若手作家をやり玉に挙げるならまだしも、「小説の運命」と構えて安岡章太郎、吉行淳之介、庄野潤三、三浦哲郎、丸谷才一などの大御所の小説に軒並み言いたい放題をしたのだから、周囲から正気を疑われて当然である〉【3】と言いながら、のちに『皆殺し文芸時評 かくも厳かな文壇バトル・ロイヤル』(四谷ラウンド)の名で単行本にまとめられる座談会を企画したのは、『イデオロギーズ』(新潮社)を担当した風元正。この流れの先に『作家の値うち』(飛鳥新社)が現れるのは、必然だったかもしれない。
福田の人間性については、長年に亘ってもっとも近い場所にいた3人の女性編集者たち、中瀬ゆかり、井本麻紀(講談社/『悪女の美食術』などを担当)、田中陽子(扶桑社/『en-taxi』元編集長)による鼎談〈機嫌よく生きる――福田組の愉快な日常〉が詳しい。
福田が書き手としての存在感を強めていくのと並行して、彼を担当する編集者たちも出世を遂げた。これは福田が出世させた、という意味ではなく、福田には編集者を見抜く目があり、編集者たちにも書き手を見抜く力があったということだ。さらに彼らには一蓮托生の覚悟もあった。
〈田中:〝保守の本質〟じゃないけど、ご自分が守ろうとする人や物事がはっきりされてましたよね。アモーレに角川歴彦さんがいらしたことがあって、福田さんも入口近くの八人くらいのテーブルでご飯を食べていたんだけど、歴彦さんが帰るときに、歴彦さんに向かって「角川春樹バンザーイ‼」って大きな声で、万歳したことがありました(…)
井本:「春樹バンザーイ‼」事件(笑)。あれは、酔っぱらっていても記憶に深く刻まれたよね。
中瀬:はいはい、私もいたなあ。ちょっと爪痕を残す感じで「バンザーイ‼」って。
田中:大人だから席まで行って喧嘩はしないし、澤口さんの店だから「来るな」とも言わないんですけど、あれはちょっとびっくりしました。一生忘れない(笑)。福田さんスピリットを表すエピソード。〉【4】
こうした振舞いが恰好いいのか、悪いのか、下らないのか、面白いのかは目下の問題にはならない。「正しさ」以外の価値基準において、書き手と編集者が共謀していた時代があったというだけのことだ。
デビュー直後の福田と知り合い、30年以上付き合った飯窪成幸は月刊文春の編集長を経て、文藝春秋の社長にまで上り詰め、中瀬は『新潮45』の編集長を経て、新潮社の執行役員となった。
彼らは皆、〈識者の「正しい」意見などではなく「力のある」信念〉【1】を信じて、「ポリティカル・コレクトネス」ではなく「覚悟に基づく面白いこと」に賭けた雑誌や本を作ってきた。その上での出世だ。
持続の意志
しかし「雑誌の時代」は終わり、今は「ウェブ媒体と動画の時代」になった。広告収益が消え、紙媒体の売上は低迷し、出版社は漫画とライツビジネス、そして不動産取引に活路を見出そうとしている。「編集者の時代」を支えたものがたんに「潤沢な資金」だけだったとすれば、もはや活字媒体において「面白いこと」は生まれ得ないということになるだろう。
そうだとすれば、この『ユリイカ 総特集・福田和也』は死んだ福田のみならず、かつての「編集者たち」あるいは「書き手たち」を隈なく墓石の下に送るレクイエムに過ぎないのだろうか。いや、そうではない。
明らかに分の悪い形勢の中で、一足先に福田を送る者たちは過去を懐かしむだけでなく、「抗い続ける」と宣言している。それこそが、この追悼号の土性骨だ。巻頭に置かれた古屋健三の言葉は限りなく〈和也〉に優しく――だいたい、大学教授がゼミ生を下の名前で呼ぶ、などということがあるだろうか――同時に苛烈である。そこには「持続の意志」が刻印されている。
福田ゼミが生み出した批評家のひとりである大澤信亮も『新潮』(2024年12月号)に寄せた追悼原稿で〈自らを保守と呼ぶことにやぶさかでなはない〉【5】と書いた。
〈批評家として守るべきものは、何かに相対するということであり、願わくばそれが、自分にとっても、近しいもの、遠いもの、果てしないもの、それを問うているということが、彼らをつなげるというようなもの。相手が生きていても、死んでいても、その対話のなかにしか文学はなく、責任はなく、その永遠を守る者を保守というのなら、私は自らを保守と呼ぶことにやぶさかでない〉【5】
その大澤を福田ゼミに誘った酒井信(批評家)も、本書で言う。
〈「奇妙な廃墟」の「中の人」が実存を賭け、「希望」を託しながら書いた批評が、「歌と踊りの王国=存在の家」に響き、福田和也がそこに召されることを、心より願う。福田は今日も遥かなるその場所で、酩酊しつつ、甲高い声で歌い、不器用なステップで踊っているだろうか。その場所でも私は、彼の「歌と踊り」の弟子でありたい〉【6】
場を作り、守る
抗っているのは、書き手だけではない。「持続の意志」をもっとも強烈に表現しているのは、KKベストセラーズの名物編集者として知られる鈴木康成だ。鈴木は、雑誌『en-taxi』の創刊編集長だった壹岐真也と同じく、福田の「周縁的な仕事」(壹岐)を支えた担当といえるが、刻々と進行する出版不況の最中、リスクを恐れて誰も手を挙げなかった福田の選集を企画した。
〈ファンドによるリストラと売却、組合の分裂、またさらにファンドによるリストラと売却を経て、三度目のスポンサーが入り、会社経営は二転三転する。出版事業を主軸とする気のないファンド経営者たち。彼らのリストラのやり方は実に巧妙かつ持久戦を強いるものだった。それを私は「塹壕戦」などと呼び、組合委員長として、残る社員を奮い立たせようとしたけれども、その実力はなかった。
会社への展望を失った社員はみるみる辞めていく。組合員も大きく減少していった。どの経営陣とも対立を繰り返し、ベストセラーズ労組も結成から五年後には組合員にして正社員は私一人だけになってしまった。その後の三年間は一人組合員かつひとり正社員かつひとり編集者として、会社を支えてくれる契約社員や派遣社員の仲間とともに出版活動を継続(…)やらねばならないことは〝場を作り、守る〟ことなんだ〉【7】
この凄まじい状況下において、鈴木は『福田和也コレクション』の第1巻を刊行した。2021年のことだ。それから第2巻の刊行は許されず、3年が経った。
そして今年の年明け、KKベストセラーズ経営陣が〈出版事業を縮小し、その他の事業を拡大したい〉【7】として、鈴木が準備してきた書籍企画の停止を通告するや否や、彼はたったひとりの金と責任において会社を買い取る決断を下し、なんとKKベストセラーズの代表取締役社長兼編集長になってしまったのである。
頭だけで判断するなら、紙媒体にさして明るい未来はない。だが、これから鈴木がやろうとしていることは面白い。成功するにせよ、失敗するにせよ、面白いことだけは疑えない。たとえ破れかぶれでも、つまらないことには抗えと福田和也は書いた。
鈴木はその暴言を信じているし、評者も信じている。本書『ユリイカ 総特集・福田和也』に参加している町田康も、鈴木涼美も、豊田道倫も、新庄耕もたぶん信じているだろう。抗いつつ、血みどろでも機嫌よく生きるのだ。死んだ福田をただ悼むのではなく、今わの際まで面白くやるために生きようとする連中の熱に当てられてよかった。
文/藤野眞功
【1】〈ノンフィクション新刊〉よろず帳/第1回より引用。
https://shueisha.online/articles/-/170441
【2】『ユリイカ 総特集・福田和也』収録の佐々木秀一〈『奇妙な廃墟』と――シリーズ「1945:もうひとつのフランス」周辺〉より引用。
【3】『ユリイカ 総特集・福田和也』収録の風元正〈だれでもない者の「空白」――福田和也と小説〉より引用。
【4】『ユリイカ 総特集・福田和也』収録の中瀬ゆかり+井本麻紀+田中陽子〈機嫌よく生きる――福田組の愉快な日常〉より引用。
【5】『新潮』(2024年12月号/新潮社)収録の大澤信亮〈福田和也先生と私〉より引用。
【6】『ユリイカ 総特集・福田和也』収録の酒井信〈福田和也という人――奇妙な廃墟の「中の人」の信仰心〉より引用。
【7】『ユリイカ 総特集・福田和也』収録の鈴木康成〈福田和也とKKベストセラーズと私と。そしてカオスの果てへ〉より引用。
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