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容赦なく金蹴りを繰り返すドS女性の壮絶な人生…6歳のときの性暴力、その後“玉狩りイベント”を立ち上げるまで

集英社オンライン / 2025年1月8日 18時0分

「タマの大きさが女性の手のひら超え」ひたすら金蹴りを食らわせる「玉狩り大会」に潜入…そこで見えてきた、参加者たちの“まさかの顔”〉から続く

“玉狩り”を掲げ、男性たちの金蹴りをするイベント「ドSのいおりん独裁政権 玉狩り大会」を主催するいおりん氏。彼女は一体どのような人物なのか。こうしたイベントはSM系の性風俗店の勤務経験を連想させるが、彼女はまったくの未経験。後編では、“普通”の社会人として大半を生きてきた女性が、“玉狩り”に目覚めるまでの軌跡を追う。〈前後編の後編〉

【画像】「玉狩り大会」で本来“反則”の技が繰り出されるとき

保育園での性的な出来事、6歳のときの性暴力

リングのなかでムチを振る、いおりん氏をみて、さぞ奔放に生き、性を謳歌してきた女性なのだろうと思った。スレンダーな体躯をボンテージに包み、男性たちの睾丸を容赦なく蹴り続ける。そのたびに歓声が上がり、M男は喜色満面の笑みを浮かべる。

意外なのは、いおりん氏の職業だ。一般的には「おカタイ」とされ、多くの人々の役に立つ仕事であり、S女としての彼女と結びつけるのは至難だ。

だが、その生い立ちを知ると、ここまでの道程がおぼろげに見えるように感じた。いおりん氏が生まれ育ったのは、辺境の島。両親はその島で事業を営んでいる。家族が忙しなく働いていたからか、彼女は小学校高学年になるまで一般的な学習進度についていけなかったと話す。

「本当に、高学年になるまで曜日の仕組みがわかっていなかったんですよね。それから、算数の図形の問題もちんぷんかんぷんでした。勉強ではかなりつまずいたのを覚えています」

その反面、性的には早熟だった。

「今でも覚えているのは、保育園のときのことです。同級生の女の子が、お昼寝の時間に私の股間をまさぐってきたんです。もちろんそれがなにを意味するのかわからないまま、私も同じことを彼女にしました。そんな関係が、小学校5年生くらいまで続いたと記憶しています。

私、レズビアン寄りのバイセクシャルなんですよね。大人の女性の身体に興奮するんです」

保育園から続いた性的な出来事もさることながら、いおりん氏が大人の女性に対して性的に興奮するのは、こんな過去も関係するかもしれない。

「6歳のとき、見知らぬ大人の男性からコンテナの連結部分に連れて行かれて、裸にされて……。それ以来、しばらくは男性と2人きりになるのが怖いと思う時期が続きました。父とでさえ、2人になるのは避けたほどです」

性暴力の体験が落とした影は色濃い。

「それから、夜中にひとりで起きて泣くことが増えました。私は汚れていて、他の女の子はまだきれいなままであるという思考にとらわれて、嫉妬に近い感情に振り回されました。まだなにも知らない女の子たちが羨ましかったんです。

中学3年生くらいのとき、友人に打ち明けることができて、これまでの激しい妬みの感情は少しずつ成仏していきました」

「こんなに暴力的なことをやっていいんだ」

暴力的な性体験の記憶が残るいおりん氏は、一方で、自身が持つもうひとつの側面に深く悩んだ。

「4歳くらいから、自分が『かわいい』『愛しい』と感じたものに対して、意地悪をしたくなってしまうことに気づいていました。もっと言葉を選ばずに言えば、虐げたくなってしまうんですよね」

自らの心の裡にある耐え難い欲求の正体を掴んだのは、かなり後年のことだったという。

「ずっと、自分でもどうしてこのような衝動に駆られるのか不思議でした。しかし調べていくと、キュートアグレッションという攻撃衝動だとわかったんです。かわいいものを噛んだり、つねったりすることによって、心が充足するんです。しかしやった直後は、『なんでこんな酷いことをしてしまったのだろう』という後悔にも襲われます」

高校卒業後、上京したいおりん氏は、ドMのパートナーを得る。そこで自らのサディズムをはっきりと自覚した。

「こんなに暴力的なことをやっていいんだという解放感がありました。それまで欲求はあっても、自制していた部分が多かったため、新鮮でしたね」

自らに課していたブレーキが外れ、そのまま現在の“ドS路線”をひた走るのかと思えば、そうではない。ふたたび抑圧の時期が訪れる。

「20歳のとき、かなり年上の方と結婚しました。嫉妬深い人で、日常を束縛されるようになりました。新年会、忘年会、歓送迎会など職場の飲み会に参加するのも怒る人でした。そのうち、アルバイトさえするなと言われて家に閉じ込められるようになりました。

また、メイクをしたりファッションを楽しんだりすることさえも、『他の男に媚びるのか』という理由で禁止。そんな閉塞感で息詰まる結婚生活が10年くらい続きました」

軟禁に近い結婚生活が解消されると、いおりん氏は徐々に社会復帰を果たした。そのスタイルを生かしたモデルなどの仕事の延長線上に、イベント参加があった。

「『デパートメントH』と呼ばれる、この界隈では有名なイベントがあります。初めて参加したとき、MCに指名されて舞台に上がりました。そこで初めて男性の睾丸を蹴ったんです。これまで忘れていた爽快感が一気に身体を駆け巡りました」

なぜ金蹴りの大会が生まれたのか

「デパートメントH」は鶯谷にある東京キネマ倶楽部で毎月開催され、あらゆる性癖の人々が集まる日本屈指のアングライベントだ。「変態の夜会」の異名を持つほど広く界隈に認知されている。

その後、いおりん氏は運命の出会いをする。

「2度目に参加したとき、金蹴られ侍シンジさんに会いました。当時から有名人だった彼の睾丸を蹴ることになったのですが、金属でも蹴っているかのような硬さでまったく歯が立ちませんでした。生来の負けず嫌いである私は、『いつか彼に膝をつかせてやろう』と思ってトレーニングを開始することにしました」

だがその後も連戦連敗。そう語る、いおりん氏はなぜか清々しい顔をしている。自らのイベント“ドSのいおりん独裁政権”を旗揚げすると、盟友となったシンジ氏に加え、各地から睾丸自慢の猛者たちが参加してくれた。

いおりん氏は金蹴りについて、こう話す。

「なにも知らない人がみたら、女性が男性を一方的に虐めているようにみえるでしょう。もちろん、双方の同意がない場合はただの暴行であり、到底許されません。私たちは犯罪行為を決して許容しません。

翻って、世の中には、痛みでしかコミュニケーションができない、あるいは痛みを伴う意思疎通の方がスムーズな人たちが存在します。

なりを潜めるように働いて、社会の同調圧力に耐えながら、性癖を悶々と抱える“マトモに擬態した人”がたくさんいます。たいてい、一般社会には馴染めず、心の距離を感じて孤独と戦っているんです。自分の性癖が嫌悪されることを察知して、打ち明けるのを諦めてしまう優しい人たちです。

私は、そんな人たちの居場所を作りたいと思ってイベントを立ち上げました。どんな自分でも許されて、愛してもらえる場所があっていいのではないでしょうか。これからも私は、彼らとともに安心できる場所を耕していきたいと考えています」

社会には、温厚な顔をして他人の性的自己決定権を奪い取る不届き者が、今なお野放しにされている。他方、いわゆる”変態イベント”に参加する者たちは互いを尊重し、規則のおよぶ領域において性癖を開放する。

幼い頃にいおりん氏が経験した性被害体験が、現在の“玉狩り”にどう通じているのか、知るよしもない。だが、痛みでしか会話のできない朴訥な人々のために、彼女は過激な愛情をあふれるほど注いで心を満たす。

前編 「タマの大きさが女性の手のひら超え」ひたすら金蹴りを食らわせる「玉狩り大会」に潜入…そこで見えてきた、参加者たちの“まさかの顔” はこちら

取材・文・撮影/黒島暁生

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