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Z世代起業家が業績好調にも関わらずインドで出家した深い理由「執着と、ありがたいと思いながら使うことは違う」

集英社オンライン / 2025年1月12日 9時0分

日本の伝統工芸品、市場規模870億円は大きい? 従事者数5.4万人、1人当たりの生産額はたった161万円という現実を変えられるか?〉から続く

2000年生まれの起業家、塚原龍雲さんは、ITスタートアップでの成功を志して渡米後、挫折を経て「日本の伝統工芸を世界に橋渡しする」という道に進んだ。彼が目指す「工芸をめぐる状況のアップデート」について、また業績の好調時にインドで出家する(会社経営は継続)という急展開を通じて、これからの生き方や働き方にもつながる気づきを語る。

インドで出家・剃髪した塚原さんと再会した社員の方々

僕がインド仏教僧になったわけ

僕は数年前から初対面の方々に驚かれることが多い。頭を剃髪して(いわゆるスキンヘッド)、日によってはオレンジ色の袈裟をまとっているからだ。KASASAGI代表としての仕事を続けながら、2021年にインド仏教僧として出家した。突拍子もない行動と思うかもしれないが、いま自分が目指す仕事とも深く関わるので、ここで書いておきたい。

当時、会社の業績は創業時(年間売上38万円!)に比べ急激に伸び始めていた。しかし、仕事が広がるほど忙しくなり、皆が疲弊していくという負のスパイラルに入り込んでいたと思う。特に共同創業者の岡⽥佳⼈は、人生を賭けて一緒に会社を始めてくれた恩人・親友であるにもかかわらず、僕が日々つらくあたった結果、重圧から精神に不調をきたしてしまった。僕自身、成長にとらわれて進むべき道を見失っていたと思う。

悩んでいたとき、小野龍光さんと知り合った。地元密着型掲示板サービス「ジモティー」など数々のIT事業を牽引し、ベンチャー投資家としても知られた方だ。僕がかつて志した世界のスター的存在とも言える彼が、突然にインドで出家したという。驚きつつ、今の自分にヒントをもらえるかも、と引き合わせてもらった。悩みを相談するうち、龍光さんの師・佐々井秀嶺上人がいるインドへの旅に誘われたのだった。

そうして僕は、インド中西部のナーグプルに佐々井さんを訪ねた。ご高齢でお声も出づらそうだったが、日々のお務めの姿に心を打たれた。人様の役に立つためにという一心で身を捧げ、「仏典は頭で読んでも無駄、体で読まないといけない」と仰る言葉を体現するように、早朝から深夜まで街でさまざまな人を助け、老若男女から「上人さま、ありがとうございます!」と挨拶される。

経済的には豊かでない地域ながら、治安は良く、識字率も高いという。半世紀以上も街のために活動してきたことを身に染みて感じ、こういう「仕事」があるのかと思った。その笑顔と背中から大きなものを学んだ滞在だった。

これで旅は終了だと思ったのだが、佐々井さんに「袈裟を着てみたいか」と聞かれ、僕は浅草で観光客が着物をレンタルするような気軽さで「はい」と答えた。すると翌朝なぜか車に乗せられ、道中で佐々井さんに「塚原、着いたら得度式をするからな」と言われる。

とくど? 「僕は会社を経営していて従業員も取引先もいるのですが」と伝えると、「お前はそれを何のためにやっているのだ」と問われ、「一応、人様の役に立ちたくてやっています」と僕。

すると短く「なら良い、がんばれ」と仰っていただいた。後から考えると、そのやりとりが全てだなとも思える。塚原大が「塚原龍雲」になった日である。

「執着」と「ありがたい」は違う

もちろん佐々井さんは誰かれ構わず出家させているわけではなく、「なぜ僕なんですか!?」と失礼な質問もしたが、「俺には心眼があるんだ」と言われた。

ちなみに「龍雲」の名の由来は「龍が出る時には雲が起こる。お前は俺の前に突如として現れ、何かを起こしそうな気概がある!」とのこと。

兄弟子となった龍光さんは「ときには流れに身を任せるのも大事」と言ってくれた。急流すぎ! とは思いつつ、僕としては佐々井さんの生き方に心から感じ入っていたこともあり、今の挑戦を続けながらでも良いなら、この流れを受け入れてみようかと思った。その後も師匠や兄弟子には何かと応援していただいている。

工芸品を扱う仕事だから、モノへのこだわりは仏教と相容れない「執着」では、と悩みもした。ただ、佐々井さんが「執着と、ありがたいと思いながら使うことは違う」と仰ったことがヒントになった。

お釈迦さまのお弟子のひとりが、師からもらった袈裟をボロボロになるまで着て、絶対に離さなかったという話がある。これはけして執着ではなく、いただいたものにありがたみを持って接したのだろう。

僕も工芸にこだわるうえで、感謝やありがたみを大切にしたい。石や木や土が器になるとき、大きな時間の流れの中で変化の縁みたいなものに関わるのが職人さんだと思う。だから彼らは、自然の周期や流れに刃向かうようなものづくりはしない。

もともと僕は、社会貢献に身を捧げるようなタイプではない。創業時の発想も、日本文化のマネタイズみたいなことができたら格好良いな、というものだった。ただ、全国の職人さんとお付き合いするなかで、お世話になった人たちが希望を持てない産業になってはいけない、彼らに少しでも恩返しできることは何だろうと考えるようになった。

また、会社経営にはお金も必要だが、何より、ものづくりのための事業を大切にしたい。そうしたバランス感覚を、インドに行く前は持てていなかった。いつしか皆が疲れ、心身に深刻な不調をきたす者まで出てしまった。だからこのとき立ち止まり、何のために会社をやるのか再認識できたのは、すごくありがたかった。

当然ながら、会社の仲間たちは驚いたと思う。帰国後、東京駅で待ち合わせしたが、彼らからすれば、向こうから頭を剃ったオレンジ色の男が歩いてきて、それが僕だったのだから。

ただ、もともと自然と対峙する伝統工芸の職人さんたちを共に訪ね回ってきた同志でもある。自分たちの会社が大切にしてきたことと、仏教の根幹にある価値観との共通点は納得しやすかったのか、なるべくしてなった「ナチュラル出家」かもねと言われた。

それまで皆に厳しくあたることも増えていた僕の心中を理解しようとしてくれたのかもしれず、それもありがたかった。このとき、創業以来のジェットコースターのような日々から、もう一度原点に戻れたように感じた。

職人のリズムは自然のリズム

経営者は組織や社員をどうコントロールするかを考えることも必要だと思うが、そこで負の方向に進んでしまわないよう気をつけたい。

僕の場合、業績を上げるためにはものづくりを少し妥協してもいいのではと思ったことや、取引先の心象を気にするあまり、共同創業者の服装や体型にまで口を出したことがあった(思い返せば、それが彼の健康を慮っての助言ならまた全然違ったと思う)。

結果、工芸と世界つなぐ「橋」を目指したはずのKASASAGIに、大きな歪みが生じたのだ。今は「そこを強引にコントロールするのはおかしいのでは」という領域について、より注意深く考えるようになった。

職人さんの仕事は納期まで数か月かかることも、避け難い理由で予定より遅れることもある。そこで対応策を考えるのも経営者の役割だが、この仕事をやればやるほど実感するのが、結局は人間が自然と向き合ってつくるモノである以上、しかたがない部分もあるということだ。スケジュールを軽視してよいという意味ではない。ただ、不可能・不自然なことを捻じ曲げて辻褄を合わせるより、ならばどういうやり方なら良い商いができるかを考えたい。

まだまだ見習い坊主経営者の自分があまり偉そうなことを語れないが、当社が扱うのは、職人さんが胸を張って「これは自分が作った」と誇れるものばかりだ。

しかし、利益や効率が優先されがちな現代では「僕が作ったということはあまり言わないでね」と職人さんに言わせてしまうような工芸品も、残念ながら結構ある。

僕たちはそうしたくないし、「ものづくりのための経済」という信念を貫いていきたい。そもそも「経済」という言葉も、今は「エコノミー」の意味合いが強いが、もとは「経世済民」(世の中を治め、民衆を救済する)に由来するという。そのことを忘れず、今の社会情勢に対応しながら、自分たちの仕事のあり方を追求していきたい。

その際、ときには「しかたがない」という考え方も重要だと思う。海外でもそのまま「shikata ga nai」の表記で解説されている日本特有のこの概念は、ネガティブな諦めの文脈で使われることも多い反面、「コントロールできないものを受け入れ、回復力を持って前進する」という前向きな言葉としてもとらえられる。

工芸とのつながりで考えると、厳しい自然との共生にも通じると同時に、自然のリズムをとらえて共に歩むことでもあると思う。職人さんは「漆にいくら『早く乾け』といっても、それは漆の気分次第だから」と言う。そして職人さんも、もっと言えば僕や社員たちも本来は自然の一部なのだ。最善を尽くした上で不自然な道は選ばず、状況を受け入れつつ前進をやめないこと。それができるかどうかが大切だと思う。

「大工って、職業じゃなくて、生き様なんですよ」。自然素材を活かした伝統工法で家をつくる菱田昌平さんを長野に訪ね、ご自身で建てた茅葺き屋根のご自宅で、息子さんの手料理と共にお酒を呑み交わしたとき、そう話していただいたことも思い出す。

自分の仕事と地続きの生き方に誇りを持ち、喜びを感じている人の言葉だと感じた。そして僕は、職人さんにとっての工芸もまた、「つくる」行為でありながら、自然と向き合い、自然の周期で生きる、美しい仕事であり、暮らしであると感じている。

伝統工芸で空間プロデュース

KASASGIの具体的な事業の話に戻ると、起業時に主軸とした「どこよりも魅力的な伝統工芸のECサイト」が多くの課題に直面した一方、これを目指す過程で職人さんを訪ねて全国行脚し、膝を突き合わせて交流し、現場で教えてもらったことが新たな事業展開のヒントをくれた。

伝統工芸の職人さんたちの技術を、現代のホテル、飲食店、住宅などの建材や内装に応⽤し、豊かで心地良い空間を生み出す空間プロデュース事業はそのひとつだ。この取り組みは日本各地および、僕がかつて留学したロサンゼルスで実績を重ねている。

単に「目先」を変えたわけではない。工芸の豊かさを探り続けるなかで、それは個々のモノだけでなく、産地、素材、技法、使われる場所など多様な要素からなる奥行きから生まれるのだという思いを強くした。

伝統的な日本家屋の中で、蝋燭の淡い光に照らされた金蒔絵は本当に美しい。工芸品は、それが存在する場と幸福な関係を結んでいるとき、真の美しさを発揮する。これは物理的な関係性にとどまらず、さまざまな異なった背景を持ったモノが文脈で繋がりひとつになるいう話だ。

ある職人さんに「本物は使えば使うほど良くなる」と言われて腑に落ちたが、それは「経年美化」と言える時間の蓄積があってこそだと思う。こうした気づきが、職人さんたちと共に空間をプロデュースする、という仕事につながった。

伝統工芸の奥行きの魅力のシンプルな例を挙げると、例えば木椀づくりにおける、原木からの材料の取り方がある。原木を垂直にスライスして、長い一枚板からポコポコと取っていくのが「横木取り」。対して、原木を輪切りにしたものから取り出していくやり方を「縦木取り」という。

縦木取りのお椀はその木が持つ木目を素直に見ることができ、横木は個性的で面白い木目を愉しめるという特徴がある。また、木の繊維方向によって、作れるカタチにも差が生じる。

宮大工の世界にも「木は生育の方位のままに使え」「木組みとは、木の癖を組むことと心得よ」という教えがあるそうだが、自然と長年向き合うなかで生まれる表現には、自ずと奥深い魅力と力強さが宿る。

それは時代が変わっても同様で、手仕事にこだわる家具工房KOMAの松岡茂樹さんも、「木目に逆らって刃を入れても切れてくれない。だから最初に刃を入れるときにコイツの癖をさわって覚えて、進めていく」と仰っていた。

他にも、備前焼の表面に現れる炎の流れや、金属を腐食させて色をつける高山銅器など、伝統工芸には自然の理と職人さんの創意工夫が響き合うことで生まれる魅力にあふれている。

「景色」のアップデート

器を焼き上げる窯の中で、人間には手に負えない自然の理によって予期せぬ特徴が生まれることがある。例えば黒い鉄粉がついてしまった、釉薬が灰をかぶってしまったなど、現代の大量生産の評価基準からすれば「規格外」のようなものだ。

しかし、昔の茶人はそこに目を向けた。人間の意図を超えて生まれたそうした特徴は、自然の美、すなわち「景色」ではないかという解釈だ。工芸品のなかに景色を見出し、それらを愛でる独特の審美眼はとても秀逸なものだと思う。

ただ、そうした「景色」を人為的につくろうとする意図が前面に出て、形式化に至ってしまうと、今度はかえってうるさいものなるだろう。日常の手仕事から生まれた器などに美を見出す「民藝運動」を提唱した評論家・思想家の柳宗悦も、茶道の祖が見出した新たな価値観を評価しつつ、そこから生まれたものが形式化することには批判的だった。そして僕は、この指摘は彼が唱えた民藝についても同様ではと思っている。

民藝の本質は、簡単に言えば作為のない、素材をありのままに生かした自然の美、日々の実用品のなかに生まれた美にあると言える。しかしそれを称揚する「民藝」という言葉が先走って形骸化していくと、本質を置き去りにした「民藝っぽいもの」を作為的につくろうとする動きも生まれる。

最たるものは、観光地などでよく目にする、「民藝調」と書かれたお土産だろう。実は僕は最初、民藝の銘品を前にしても「何か野暮ったいな……」と思ってしまったのだが、さまざまな職人さんの工房とその作品を観ていくなかで、民藝に大きな魅力を感じるようになった。だからこそ、本質を失った「民藝っぽいもの」が世にあふれてしまうことは、不健康な状況に思えてしまう。

工芸に向き合い、それを学ぶとき、民藝は避けて通れない重要なものだ。柳宗悦の美意識を起点に、日本のみならず世界に広まった民藝。柳は「私はそこに幾個かの種を下ろした。いつか春は廻り芽萌える時は来るであろう」と言った。彼が民藝を提唱してから100年が経つ今こそ、その価値を見つめ直し、民藝、そして工芸全体をめぐる状況をアップデートすることで、新たな可能性が開けるように思う。

健康的であることの喜び

優れた工芸品を前にすると、それがつくられた土地や時代が自分と離れていても、素材やその活かし方、手間のかけ方の向こうに、つくり手の心持ちや気遣いを想像できる。

その節々から感じ取れる雰囲気があり、「これは職人さんがものづくりの悦びを噛み締めながらつくっているな」と思うと、健康的に感じる。

素材が矯正されることなくありのままで、職人さんの創造性によってのびのびと生かされているからだろう。いわば「作為と無作為のあいだ」で、人と共に生きるカタチ、つくる人の個性が自然を押さえつけない絶妙なバランスがそこにはある。

ちなみに自然は仏典では「じねん」と読み、「おのずから しからしむ」、つまり「ありのままであること」を意味する。

良いモノの見分け方は、たくさん観て目を肥やす必要もあると思うが、僕の場合は産地に出かけてその土地の風土を感じ、実際のつくり方を見せていただくことや、職人さんと地元の居酒屋で呑み明かして対話することで、ものづくりの気遣いを知る体験にも要点がある。

そう考えると、工芸は和食に似ていると思うことも多い。両者とも、良い素材を使い、つくり手の作為によって素材のポテンシャルを閉じ込めることなく活かすことが、温かみや奥行きにつながる。

関連して言うと、価格イコール価値というわけではないだろう。ひとつの指標にはなるが、本来はそれぞれの生産過程や、つくり手がこだわった部分など、そのモノがどのように成り立っているかも大事なことのはずだ。

しかし、このことは何事も急ぎ足の今の消費社会では置き去りにされがちなように思う。近年広まってきたエシカル(倫理的)な消費という考え方も含め、モノだけでなく「モノのありよう」を観ていくと、僕たちの世界の「景色」はもっと変わるのではないだろうか。

あるいは、一見するとどれも同じようなモノのなかに見えてくる景色もある。あるカタチを基準に複数の工芸品をつくる場合、それは素材の個性を無視することにならないだろうか?

そんなことを考えていたとき、輪島の漆職人・赤木明登さんの言葉と出会った。

「個性っていうのを消していったら、僕の本当の本質が出てきて、人間が共通して持っている個性みたいなものがあるんじゃないかと。そしてそんな人間の個性みたいなものを消し去ることができたら、哺乳類の個性みたいなのが出てきて、最後に残るのは宇宙の個性みたいなものかもしれない」

赤木さんのような職人は、常に素材と対話しながらその本質に迫り、自然と人が調和するカタチを導くものづくりをしているのだろう。

家紋を現代にアップデートする「京源」の波戸場親子からは、「在り方」の大切さを学ばせていただいた。彼らは着物に家紋を筆で描き入れる紋章上絵師(もんしょううわえし)だが、時代の変化と共にデジタル技術を制作に取り入れ、新たな領域を探求している。

手仕事の世界から踏み出したその挑戦は、従来の表現からすると異色にも思えるが、家紋を突き詰めてきた彼らならではの価値観と経験のうえにこそ成り立つものだ。「やり方」は以前と違っても、根底にある「在り方」は変わらない。僕はそこに大きな魅力を感じる。

現代を生きる伝統工芸の職人さんたちの挑戦は人それぞれで、その多様さも魅力のひとつだと思う。ただ、いずれにも共通するのは、先人たちが気の遠くなるほど長い年月をかけて積み上げてきた「自然との向き合い方」の上に立ち、その先に自分のものづくりを探究していることだろう。

編集協力:内田伸一

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