養老孟司が「自衛隊のいる後ろめたさ」がなくなるのは危険だと警鐘するワケ…中国に見る、規範を重視する伝統の重要さ
集英社オンライン / 2025年1月18日 9時0分
「日本は徹底的に暴力を排除してきた」と解剖学者の養老孟司氏は指摘する。しかし、いまや戦後からある程度の時間を経たことで、国内にあった「自衛隊の後ろめたさ」が徐々になくなっているのではないか、と懸念し、武力衝突、侵略などによる安全保障環境の変化や震災の影響などで、そういった空気が一気に醸成される危惧すら感じているという。
【画像】暴力をなきものにしてきた国が、今度は防衛力増強だといっても…
生きていくうえでの壁について自身の知恵を語った『人生の壁』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全2回の1回目〉
後ろめたさのない力は良いものなのか
国にとって防衛力が大切なのは言うまでもありません。軍隊をきちんと整備することが抑止力につながるというのも当然でしょう。
軍隊をなくせば平和に近づくなんて考え方には無理があります。
しかし、日本は徹底的に暴力を排除してきました。学校での体罰やしごきといったものもなくした。戦後、もっとも身近な暴力は暴力団だったのではないでしょうか。山口組は戦後の自警団が母体になっています。逆に言えば、そのくらいしか身近な暴力はなくなっていったのです。
そこまで暴力をなきものにしてきた国が、今度は防衛力増強だという。その飛躍をどのくらい真面目に考えているのかが心配な点です。
戦後、日本は軍隊(自衛隊)をずっと後ろめたい存在として扱ってきました。憲法九条を素直に読めば、自衛隊は存在してはならないものです。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」というのですから、憲法上は認められていない組織だと考えるほうが普通でしょう。一方で、自衛隊のような組織が国家には必ず必要だというのもまた常識です。つまりみんなが必要だとわかっていながら、堂々とは認めていない。どこか後ろめたさがつきまとう存在にしているわけです。
その後ろめたさをなくしたいと考える人がいるのはよくわかります。自衛隊の人たちに後ろめたい気持ちを持ってほしいとも思いません。
しかし、軍隊を動かす側には、何か後ろめたさのようなものがあったほうがいいのではないか、とも思うのです。これは以前から言っていることです。
ある種の後ろめたさとつき合っていくというのが大人というものではないでしょうか。
人間は何らかの罪を背負っている存在であって、自分では意識していなくても何かを背負っているかもしれない、ということは頭の片隅に入れておいていいことです。
防衛力を増強する、あるいは憲法を改正するというのは、その後ろめたさをきれいに消していくということにならないか。私が憲法九条改正にもろ手を挙げて賛成できないのもそこが気になるからです。
つまり、後ろめたさなしに軍隊を動かすのがいいことだとは思えない。九条があることで、軍隊を動かす際にはいろいろと論争が起きやすくなります。それくらいでいいのではないでしょうか。
国家が人を殺すこと、戦争を起こすことを、日本以外の国は基本的に認めています。それは仕方がない面もあるけれど、無批判に受け入れていいことではない。
大災害が日本を変える
日本で防衛力を増強するのならば、ここまでに述べたようなことを前提に、細かい規則、縛りもまた真剣に考える必要があるのではないかと思います。法治主義をどのくらい徹底するかの問題になるはずです。
そうした本質的なことを考えないまま空気で何となく変えてしまうことはとても危ない。単に自衛隊を憲法に明記するだけのこと、では済まないのです。
たとえば中国は、実は規範を重視する伝統を持っています。三国志の「泣いて馬謖(ばし ょく)を斬る」はそれがよくあらわれた故事です。
蜀(しょく)の武将の馬謖が、上官にあたる諸葛亮(しょかつりょう)の指示に従わないで戦に敗れた。軍隊では命(めい)に背くことは大罪です。そのため諸葛亮は目をかけていた馬謖であっても、泣く泣く処刑をしなければならなかった。これが彼らの考える、軍隊を維持して運営するための規律であり、知恵だったわけです。
ああ見えて、といっては失礼ですが、中国は軍事においてはこのように厳しい規範を示す伝統があります。日本の場合、自衛隊内部はともかくとして、政府側にそのようなものがあるかは怪しい。
かりに堂々と軍隊を持ちたいのであれば、この規範の問題をセットで考えておかなければなりません。そうしないと、単にコントロールが効きづらい暴力装置を持つことになるからです。
おそらくこの件について、日本国内で大きく空気が変わるタイミングがあるとすれば、ロシアのウクライナ侵略、イスラエルの戦争、その他の武力衝突、侵略などによる安全保障環境の変化ではなく、震災がきっかけとなるのかもしれない。そんなふうに感じています。
ひとたび大震災が起きれば、役に立つ組織は日本では自衛隊くらいでしょう。大災害で都市が壊滅状態になった時に頼りになるのは自衛隊です。結果として、必ず多くの国民が最大限の感謝を示し、自衛隊への共感を強めることになる。阪神・淡路大震災、東日本大震災、そして直近の能登半島地震でも、自衛隊がさまざまな形で力を発揮してくれたのは間違いありません。
その際、これを機に自衛隊の後ろめたさをなくそうという空気が、一気につくられていくという流れは十分ありえます。
しかし、結局、その時点でもかつての武士道に対応するものがなく、なおかつ政治家や官僚に暴力についての定見もないままでしょう。これは大きな問題として残るのではないかと思います。
#2 養老孟司「日本が身の丈に合う大きさになる期間だったのかもしれない」 “失われた30年”が醸成された真の理由 に続く
文/養老孟司 写真/Shutterstock
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